21
野中幸人は夢を見ていた。幼い頃の、息苦しく閉塞した頃の夢。いつからだっただろうか、兄姉と比べられるようになったのは。
一人の少年が駆けていく。ピカピカの紺色のランドセルを背負い慣れていない少年が、頬を赤くさせうずうずした様子で駆けていく。仕立ての良い制服は少しブカブカでその姿から、まだ小学校に入りたてなのはすぐに分かった。
「お母さん、おかーさーん!」
勢いよく玄関の扉を開けると居ても立っても居られないと言わんばかりにリビングにいるであろう母親を呼ぶ。いつもはしないが靴を放り脱ぎ、揃えもしないで綺麗に掃除された廊下を走る。時折滑りそうになりながらも、顔を輝かせながらリビングに入ると何事かと玄関へ向かおうとしていた母親とかち合った。
「お母さん、お母さん!お母さん!」
興奮した少年は母の腰にしがみつき、嬉しさを隠しきれずにぴょんぴょんと跳ねる。母親の顔を見上げると困ったように眉を下げてはいるものの、興奮する我が子を優しい目で見つめていた。
「どうしたの、そんなに息を切らして。」
母親はしゃがむと少年と目を合わせた。この少し垂れた目にほんのりと皺が寄っている母親の笑顔が少年は好きだった。
「あの、あのね!今日のテスト!」
ランドセルを下ろすと丁寧にファイルにしまわれたテスト用紙を取り出す。右上には98点と赤で書かれていた。
「僕、クラスで一番だって!先生がこっそり教えてくれたの!」
抑えきれない嬉しさを溢れさせながら母親にテストを見せる。母親はそれをじっと見つめる。
「頑張ったね!すごいじゃない!」
母親が頬を綻ばせると、褒められて嬉しくて、それでいてちょっぴり恥ずかしさもあって少し俯いた。
「でも。」
でも?その言葉に引っ掛かりを覚えて顔を上げると、母親は口元には笑みを浮かべていたものの、どこか落胆しているように見えた。
「問題の読み間違いで、ここ点数引かれちゃったね。お兄ちゃんとお姉ちゃんなら間違えなかったよ。」
まるで落とし穴に落ちたような気持ちになった。頭に柔らかいふっくらとした手のひらの感触を感じるも顔を上げることが出来ず、テスト用紙を強く握った。母親は何か言っているようだったが、耳には入ってこなかった。
テストがあるたびに、期待と落胆を繰り返す。次こそは、次こそはと思ってもこの気持ちが報われることはなかった。
決して悪い母親ではないと思う。必ず『頑張ったね』、『やったね』と褒めてくれる。だが次に来る言葉は必ず『でも』だった。
『お兄ちゃんは満点だった。』
『お姉ちゃんなら間違えることない。』
兄姉と比べられる言葉がなくなることはなかった。長年それが続くとどうしても劣等感が生まれてくる。優秀な兄姉、平凡な僕。どんなにがむしゃらになっても超えられない壁がそこにはあった。
丸めてしまったテスト用紙は数知れず、中には破り捨ててしまったものもあった。どんどんそれが積み上がっていくたびに、家族の中でどんどん孤立していくように思えた。
疑問が心にへばりついて、剥がれることはない。ただただ手放しに褒めて欲しかった。認めて欲しかった。
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