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「『彼』について説明は?」
浮かび上がるようにただ佇む『彼』を指し示すように手を向ける狸塚に、慈鳥は首を横に振った。
「大丈夫だ。」
「え、俺は知りたいっす!」
源は慌てて、はい!はい!と少し跳ねながら手を上げた。跳ねるたびに床は不穏な音を立てながら軋む。慈鳥は源のスーツの裾を引っ張ると慌てて動きを止めた。狸塚はゆったりとした歩みで『彼』に近づくと蝋燭の前で立ち止まり、源と慈鳥の方を向く。
「『彼』は冴島登さん。享年21歳です。」
炎が揺れるたびに冴島の顔に落ちる影が形を変える。何かを訴えることもせず、視線が僅かに下を向いたまま、そこにある。
「この冴島医院の一人息子で、3度目の医学部受験に失敗し、自ら命を断ちました。」
「3回も失敗したんすか!」
驚き声を上げる源に、狸塚は頷く。
「まあ、医学部受験ではさして珍しくないですよ。狙っていたのは旧帝大クラスでしたし。」
狸塚は青白い冴島登の顔を一瞥するとすぐに視線を戻した。
「ただ、登さんのお父様もお祖父様も優秀で、現役合格されていましたし、かなりのプレッシャーはあったでしょう。」
ふっと息を呑んだ。どこか、似た話を聞いた気がする。優秀な家族、上手くいかない自分。源の中でピースが少しずつ填まっていく。
「お母様はそれでも献身的に登さんをサポートしていらっしゃいました。時に励まし、時には叱咤し。」
もしかしたら、冴島登には他の道もあったかもしれない。でも、それを『母親の愛』で縛りつけ、道を失くした。源は、そう直感した。
「野中さんと一緒っすね。」
「え?」
狸塚の声に我に返る。不意に口をついて出た言葉に、自分でも驚いていた。
「あ、なんか何となくそう思ったっす!」
誤魔化すように笑う。
「なんとなく、野中さんもお母さんに。」
尻すぼみに声が小さくなった。自信はなかったけど、源の中に何か確信があった。
「それ、正しいかもな。」
源は慈鳥の言葉に弾けたように顔を上げた。狸塚も数度、瞬きをしていた。
「ほ、ほとんど勘みたいなもんすよ?」
根拠はまったくない。焦りから、少し首筋に汗をかいた。狸塚は片方の口角を上げ、何か納得したように頷いた。
「そういう直感は大事にしたほうがいいですよ。特に君の場合は。」
源は首筋にかいた汗を拭う。眉間に皺が寄っていたのか、慈鳥は息を漏らし口元に笑みを浮かべた。
「そのうち分かる。」
慈鳥の一言にさらに眉間に皺が寄った。ますます意味が分からないが、慈鳥が言うからそうなのだろう。源は寄った皺を伸ばすように眉間を指で触った。
「さて、冴島さんには悪いですがこうも周りに影響を与え始めてしまいましたから、ご退場願いましょうかね。」
三人の視線は冴島登に向かう。ただ、静かに佇む冴島は、ゆっくりと顔を上げる。視線は合わない。けれど、その正気を失くした目は救いを求めるように揺れていた。
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