第九話 見ていた者たち
一 異変の報せ
朝の冒険者ギルドは、いつも通り騒がしかった。
依頼板の前では早い者勝ちとばかりに押し合いが起こり、受付では報酬の確認、文句、値切り交渉、昨夜の酒代の借金相談まで飛び交っている。
リミアは慣れた手つきで書類を捌きながら、ひとりの冒険者へ笑顔で告げた。
「ですので、泥酔して依頼失敗した場合は自己責任です」
「そこを何とか!」
「何ともなりません」
にこやかに切り捨てた。
隣の窓口係が苦笑する。
「今日も容赦ないね」
「優しさだけでは回りませんので」
そんな日常の最中、アルトたち三人が入ってきた。
リミアの目が少し明るくなる。
「おはようございます!」
昨日より声が弾んでいることに、自分だけ気づいていない。
ギルド長シルヴェスターは二階からその様子を見下ろし、鼻を鳴らした。
「分かりやすい嬢ちゃんだ」
副官が首を傾げる。
「何がです?」
「お前は鈍いな」
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アルトたちが初心者向けの採集依頼を選んだ時、広間の冒険者たちは笑っていた。
「昨日の三人組、採集かよ」
「まあ登録したてならそんなもんだ」
「護衛の兄ちゃんだけは強そうだがな」
昨日ヴァルクに叩き伏せられた連中だけは黙っていた。
彼らは知っている。
“強そう”では済まないことを。
シルヴェスターも腕を組みながら見送る。
「採集、ね」
「問題ありますか?」
副官が問う。
「いや。賢い選択だ」
そう言いつつも、彼の勘は妙にざわついていた。
強者は、わざわざ強さを見せびらかさない。
昨日アルトがほんの僅かに漏らした気配は、長年現場にいた男の本能へ嫌な確信を与えていた。
あれは、街にいていい類の存在ではない。
だが同時に――敵にも見えなかった。
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二 警鐘
昼前、外門側から鐘が鳴った。
一打、二打、三打。
緊急招集。
広間の空気が一瞬で変わる。
「魔物だ!」
「規模は!?」
「分からん、門兵が叫んでる!」
椅子が倒れ、酒瓶が転がり、冒険者たちが一斉に武器を取る。
リミアも書類を放り、避難用の帳簿と医療箱を掴んだ。
「リミア!」
先輩受付嬢が叫ぶ。
「中央通りの避難誘導お願い!」
「了解!」
走りながら彼女は祈る。
どうか下位種であってほしい、と。
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門前へ着いた時、その願いは砕けた。
黒鉄の外殻。
家屋ほどの巨体。
地面を揺らす足音。
上位種。
リミアの喉が乾いた。
「……うそ」
これまで報告書でしか見たことのない災厄が、街の目前にいる。
シルヴェスターの怒号が飛ぶ。
「総動員だ! 前衛出ろ! 衛兵は住民を下げろ! 魔術師、詠唱短縮で撃て!」
その声で皆が動いた。
恐怖している暇などない。
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三 耐える者たち
戦いは地獄だった。
盾役が吹き飛ぶ。
槍が折れる。
火球は外殻に弾かれ、氷槍は浅く刺さるだけ。
それでも冒険者たちは前へ出る。
「押さえろ!」
「次、俺が行く!」
「回復まだか!」
リミアは門脇で負傷者の処置に追われていた。
「腕を押さえて! 布もっと!」
「痛ぇ……!」
「痛くても押さえてください!」
血で手が滑る。
包帯が足りない。
泣いている子供を衛兵へ預け、また別の負傷者へ走る。
昨日街案内をしていた自分が遠い。
だがこれが、この街の日常の裏側だった。
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シルヴェスターは前線で斧を振るっていた。
元Sランクの肩書きは飾りではない。
巨獣の脚へ的確に打撃を叩き込み、仲間の隙を埋め、崩れた陣形を怒鳴って立て直す。
「下がるな! 門を背にするな!」
だが、分かっていた。
削り切れない。
このままでは誰かが崩れ、その穴から街へ入られる。
時間だけが敵に味方していた。
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四 現れた三人
若い槍使いが転んだ。
角が振り下ろされる。
誰も間に合わない。
そう思った瞬間、視界に銀と黒が走った。
三人がいた。
アルト、セラフィス、ヴァルク。
まるで最初からそこにいたように。
「……は?」
シルヴェスターですら間の抜けた声を漏らした。
次の瞬間、さらに理解不能な光景が続く。
アルトが巨獣の角を止めた。
掌で。
「おいおいおい……」
近くの冒険者が後ずさる。
「人間か、あれ?」
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セラフィスは後方へ回り、負傷者を次々に治し始めた。
裂けた皮膚が閉じる。
折れた骨が戻る。
苦悶の声が止まり、呻きが安堵へ変わる。
リミアは呆然とした。
「回復魔法って……一人一回でも大変なのに……」
それを何人も、息を乱さず連続で行っている。
しかも精度が異常に高い。
傷跡すら薄い。
「執事って何……」
誰かが呟いた。
皆、同意した。
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ヴァルクが動いた時、前衛の熟練冒険者たちは息を呑んだ。
速い、ではない。
無駄がない。
剣士ほど、その異常さが分かる。
「ありゃ完成してる……」
「達人ってレベルじゃねえ」
巨獣の脚が切断され、腱が断たれ、巨体が崩れる。
必要な箇所だけを、必要な深さだけ断っている。
力任せの斬撃ではない。
技術の極致だった。
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そしてアルトが剣を抜いた。
静かな青年だった。
礼儀正しく、少し世間知らずで、採集依頼を受けていた若者。
その彼が、戦場の中心でただ一振りする。
白い線が走る。
巨獣が倒れる。
それだけだった。
沈黙の後、誰かが叫んだ。
「終わっ……た?」
次の瞬間、歓声が爆発した。
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五 戦後
リミアはへたり込みそうになる脚を叱咤して立った。
まだ仕事は終わっていない。
「軽傷者こっち! 歩ける人は列作って!」
だが胸の奥では別の感情が渦巻いていた。
助かった。
街が。
みんなが。
そして――あの人たち、何者なの。
アルトへ視線が向く。
彼は周囲から礼を言われ、困ったように頭を下げている。
上位種を倒した直後とは思えぬ温度差だった。
「……心配して損しました」
思わず口に出た本音に、自分で少し笑ってしまう。
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シルヴェスターは戦場跡で腕を組んだ。
「確信した」
副官が問う。
「何をです?」
「絶対に怒らせちゃならん相手だ」
「敵ですか?」
「いや」
ギルド長はアルトたちを見る。
怪我人を気遣い、礼を言われて困り、騒ぎを嫌がっている三人を。
「むしろ逆だ。味方ならこの上なく頼もしい」
そして小さく笑った。
「だが厄介事は、強い奴の周りに集まる」
長年の経験則だった。
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六 宴
夜、街は祭りとなった。
上位種討伐の報せは一瞬で広がり、酒場も宿も満席。広場には長机が並び、肉が焼かれ、樽酒が次々空く。
冒険者たちは口々に語る。
「俺、あの時脚止めてた!」
「嘘つけ、吹っ飛んでただろ!」
「執事が俺の肩治した!」
「護衛の兄ちゃんに弟子入りしたい!」
誇張は混ざっていたが、熱気は本物だった。
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リミアは給仕を手伝いながら、何度もアルトの方を見てしまう。
彼は人混みに囲まれ、少し疲れた顔で礼を返していた。
でも、昨日より柔らかく笑っている。
人の輪の中にいる姿が、妙に似合っていた。
「気になるの?」
同僚受付嬢がにやにやと聞く。
「ち、違います!」
「顔真っ赤」
「仕事します!」
逃げた。
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シルヴェスターは酒樽片手に豪快に笑う。
「今日は飲め! 明日生きてる保証なんざ誰にもねぇ!」
「ギルド長、それ普段なら問題発言です!」
「今日は祝いだ!」
誰も止めなかった。
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宴の端で、若い槍使いがアルトへ頭を下げていた。
「あの時、助けてくれて……ありがとうございました」
「お気になさらず」
「でも俺、怖くて動けなくて……」
アルトは少し考え、静かに言う。
「怖いのは普通です。立てなくても、生きていれば次があります」
若者は泣きそうな顔で何度も頷いた。
その様子を見ていたリミアは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
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騒がしい夜だった。
だが、その騒がしさを嫌だとは思わなかった。
人が生き延びた音だったからだ。
そしてこの街には、今日から少しだけ特別な三人組が増えた。
リミアも、ギルド長も、冒険者たちも――皆そう思っていた。




