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異世界最強の引きこもりは、人と生きる意味を知る  作者: わまたよ


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第九話 噂の青年保護者

 王家からの封書が屋敷へ届いたのは、朝食の後だった。


 白い封蝋にはヴェリア・ソリス王家の紋章。


 セラフィスはそれを一目見て、静かに目を細めた。


「主様。王城からです」


 アルトは紅茶を置いた。


「思ったより早いですね」


「ルナ様の件でしょう」


 封を開く。


 中身は命令ではなかった。


 招集でもない。


 文面は極めて丁寧で、むしろ低姿勢ですらあった。


 ――ルナの学院生活と今後の保護について、一度ご相談の場を設けたい。


 ――王家として必要な支援を行う用意がある。


 ――アルト殿の意向を尊重したい。


 簡潔で、慎重な言葉だった。


 アルトはしばらく文面を見つめていた。


 やがて、静かに息を吐く。


「王は賢い方ですね」


「少なくとも、命令すれば従う相手ではないと理解しているようです」


 セラフィスが言う。


 ヴァルクは壁際で腕を組んだまま、低く呟いた。


「罠か」


「罠にしては礼を尽くしすぎています」


 セラフィスは封書を受け取り、文面を確認した。


「これは拘束ではなく、信頼関係の構築を意図した文ですね」


「ええ」


 アルトは窓の外を見る。


 庭では朝の光が葉を透かし、細かな影を芝生に落としていた。


「いずれ話す必要はありました」


「王と、ですか」


「はい」


 アルトの声は落ち着いていた。


「ルナがこの国で学ぶ以上、王家と無関係ではいられません。まして彼女の才能が知られ始めた」


 全属性適性。


 学院測定器の限界を越える魔力量。


 それは、ただの学生の才能では済まされない。


 王国が保護を考えるのは当然だった。


 同時に、それは他国や貴族が狙う理由にもなる。


「話すべきでしょう」


 アルトは封書を畳んだ。


「ただし、ルナの生活を壊すような支援なら断ります」


「王家相手にずいぶん明快ですね」


「相手が誰であれ、基準は同じです」


 セラフィスはわずかに微笑んだ。


「ルナ様が安心して笑えるかどうか、ですか」


「ええ」


 ヴァルクが頷いた。


「それでいい」


 アルトは席を立つ。


「返書をお願いします。近日中に王と会う、と」


「承知しました」


「それと今日は少し王都を見て回ります」


「目的は?」


「ルナが通う街を、私も知っておきたい」


 セラフィスは一礼した。


「保護者らしいお考えです」


「……そう言われると否定したくなります」


「否定できる内容ではありません」


 ヴァルクが短く言った。


「父だな」


「違います」


 即答だった。



 その日、アルトは一人で王都を歩いた。


 護衛も供も連れず、ただ黒い外套を軽く羽織り、石畳の通りをゆっくり進む。


 王都ソルレイアは、歩けば歩くほど表情を変える街だった。


 貴族街の整然とした白い屋敷。


 商業区画の賑わい。


 職人街の金属音。


 市場の香辛料と焼き菓子の匂い。


 噴水広場の吟遊詩人。


 路地裏で遊ぶ子どもたち。


 この街は大きい。


 そして人が多い。


 だからこそ、ルナが一人で歩けば迷うことも、狙われることもあるだろう。


 アルトは表情を変えず、通りの構造、衛兵の配置、裏道、死角になりやすい路地を自然に頭へ入れていった。


 途中、市場通りのパン屋の前を通ると、ミーナがこちらに気づいた。


「あっ、アルトさん!」


「こんにちは」


「ルナちゃんのお迎えですか?」


「その前に、少し散策を」


「保護者みたいですね」


「よく言われます」


 ミーナはけらけら笑い、紙包みを一つ差し出した。


「これ、焼きたてです。ルナちゃんに」


「ありがとうございます。代金は」


「いいですいいです。友達価格!」


「では次はまとめて買います」


「やった!」


 その明るさに、アルトはわずかに目を細めた。


 ルナには、こういう友人が必要だ。


 血筋も才能も関係なく、ただ同じ少女として笑ってくれる存在。


 それはどんな護衛よりも、彼女の心を守るのかもしれない。



 午後。


 学院では授業が終わる鐘が鳴った。


 生徒たちは校門へ向かい、ある者は寮へ、ある者は迎えの馬車へ、ある者は商業区画へ流れていく。


 その校門前に、黒髪の青年が立っていた。


 ただ立っているだけだった。


 しかし、不思議と目を引いた。


 背が高く、姿勢が美しい。


 顔立ちは整っているが、派手ではない。


 柔らかな雰囲気を纏っているのに、どこか近づきがたい静けさがあった。


 最初に気づいたのは、上級生の女子たちだった。


「ねえ、あの人……」


「誰?」


「すごく綺麗な人」


「黒髪って珍しいわね」


 次に、Sクラスの生徒たちが気づいた。


「あれ、ルナの迎えじゃないか?」


「保護者?」


「兄?」


「いや、王城で噂になってる人だろ」


 噂は瞬く間に広がった。


 黒髪の美丈夫。


 王家が礼を尽くした男。


 S級冒険者を圧倒した一行の中心。


 古龍討伐に関わった旅人。


 話が話を呼び、姿を見た者の印象が加わり、校門前には妙なざわめきが生まれていた。


 アルトはそのざわめきを気にした様子もなく、ただ門の内側を見ていた。


 やがて、ルナが出てくる。


 隣にはリリアーナがいた。


 何かを話していたらしく、ルナは少し笑っていた。


 その笑顔を見て、アルトの表情がわずかに柔らかくなる。


「アルト」


 ルナが小走りで近づく。


「おかえりなさい」


「ただいま。今日は早いね」


「王都を歩いていたので、そのまま迎えに」


「王都を?」


「ええ。市場でミーナにも会いました」


「ミーナに?」


 ルナの顔が明るくなる。


「元気だった?」


「ええ。パンを預かりました」


 紙包みを見せると、ルナは嬉しそうに受け取った。


 その様子を、周囲の生徒たちが見ていた。


 主席合格の謎多き少女。


 全属性適性を示した異才。


 その彼女が、黒髪の青年の前では年相応の表情を見せている。


 驚く者もいた。


 微笑ましく見る者もいた。


 そして、面白くなさそうに目を細める者もいた。



 リリアーナが一歩前に出て、優雅に礼をする。


「アルト様、ごきげんよう」


「リリアーナ殿下。ルナがお世話になっています」


「こちらこそ。ルナさんは大切な友人ですもの」


 王女がそう言った瞬間、周囲のざわめきがまた大きくなる。


 友人。


 王女が、はっきりとそう言った。


 ルナは少し照れたように視線を落とす。


 アルトは静かに微笑んだ。


「ありがとうございます」


 そのやり取りを遠くから見ていたセシリアは、複雑な表情を浮かべていた。


 王女に友人と呼ばれ。


 王家が礼を尽くす男に迎えられ。


 才能は全属性。


 それでも、ルナはどこか不安げで、普通の少女のようにパンの包みを大切そうに抱えている。


 セシリアには、それが理解できなかった。


 理解できないから、余計に苛立つ。



「帰りましょうか」


 アルトが言う。


「うん」


 ルナは頷き、歩き出す。


 だが数歩進んでから、ふと振り返った。


 セシリアがこちらを見ていたからだ。


 ルナは少し迷った。


 そして、小さく頭を下げた。


「また明日」


 セシリアは答えなかった。


 しかし、完全に無視もしなかった。


 ほんのわずか、視線を伏せた。


 それだけだった。


 ルナは少しだけ笑って、アルトの隣へ戻った。



 帰り道。


 王都の夕方は茜色に染まっていた。


 アルトとルナは並んで歩く。


 少し後ろにセラフィスとヴァルクが続く。


「今日、学院で噂になってた」


 ルナがぽつりと言った。


「何がですか」


「アルトのこと」


「私の?」


「黒髪の美丈夫、とか」


 アルトは歩みを止めかけた。


 後ろでセラフィスが肩を震わせる。


「笑ってますね」


「いえ、主様。事実確認中です」


 ヴァルクが言う。


「美丈夫」


「繰り返さなくていいです」


 ルナは少し笑った。


「あと、王家が礼を尽くす男って」


「それは少し物騒ですね」


「そうなの?」


「目立つので」


「アルトでも目立つの嫌?」


「私自身は気にしません。ただ、あなたに影響するなら考えます」


 ルナは包みを抱えたまま、少し考えた。


「でも……嫌じゃなかった」


「そうですか」


「みんながアルトを見て驚いてた。少し、誇らしかった」


 その言葉に、アルトは静かに瞬いた。


 セラフィスは柔らかく微笑み、ヴァルクは無言で頷く。


「誇らしい、ですか」


「うん。だって、私の……」


 そこでルナは言葉に詰まった。


 保護者。


 先生。


 家族。


 どれも近いけれど、ぴたりとはまらない。


 アルトは答えを急かさなかった。


 しばらくして、ルナは小さく言った。


「私の、大事な人だから」


 夕暮れの風が通りを抜ける。


 アルトは少しだけ目を細めた。


「それは光栄です」


「なんか他人行儀」


「照れています」


「分かりにくい」


 ルナは笑った。


 その笑顔は、学院で見せる緊張混じりのものではなかった。


 家へ帰る道でだけ見せる、安心した少女の顔だった。



 その夜、屋敷には王家への返書が用意された。


 セラフィスが文面を整え、アルトが最後に目を通す。


 ――相談の場をお受けいたします。


 ――ただし、ルナ本人の意思と平穏を最優先といたします。


 短いが、明確な返答だった。


「これでよろしいですか」


「ええ」


 セラフィスは封を閉じる。


「王家は喜ぶでしょう」


「喜ばせるためではありません」


「存じております」


 ヴァルクが窓の外を見る。


「動くな」


「誰がですか」


「国も、敵も」


 アルトは静かに頷いた。


「ええ。これから動くでしょうね」


 王家。


 学院。


 貴族。


 そしてまだ見ぬ他国の影。


 ルナの才能が示された以上、静かな日々だけでは終わらない。


 それでも、今日のルナは笑っていた。


 学院を楽しみ、友人と話し、自分から挨拶をした。


 それは小さな成長だった。


 だが、アルトにとってはどんな戦果よりも価値があった。


「ならば」


 アルトは窓の外、王都の灯りを見る。


「守るだけでなく、彼女が歩ける道を残しましょう」


 セラフィスが一礼する。


「仰せのままに」


 ヴァルクは短く答えた。


「任せろ」


 王都の夜は静かだった。


 だがその静けさの奥で、噂はもう広がり始めていた。


 黒髪の青年。


 王家が礼を尽くす男。


 ルナを迎えに来る、穏やかで美しい保護者。


 その噂はやがて、学院の廊下を渡り、貴族の茶会へ流れ、王都の中枢へ届いていく。


 そしてルナの日常は、また少しずつ形を変えていくのだった。

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