表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界最強の引きこもりは、人と生きる意味を知る  作者: わまたよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
48/76

第七話 全属性適性

 夜の屋敷は、静かだった。


 王都の西区画に建つその屋敷は、昼間こそ柔らかな陽光と庭の緑に包まれているが、夜になると少しだけ別の顔を見せる。


 窓の外には、遠く王都の灯りが星のように滲んでいた。


 大通りの喧騒はここまでは届かず、ただ時折、風に揺れる木々の葉擦れだけが聞こえる。


 ルナは夕食を終えると、いつもより早く自室へ戻った。


 明日の授業の準備をする、と言っていた。


 その声は平静だった。


 だが、アルトには分かっていた。


 平静に見せようとしているだけだと。


 扉が閉まる音を聞いた後、食堂には三人だけが残った。


 アルト。


 セラフィス。


 ヴァルク。


 食卓には、まだ温かな紅茶が置かれている。


 セラフィスは静かにカップを整えながら、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。


 ただし、その瞳は冷たかった。


「主様」


 最初に口を開いたのはセラフィスだった。


「本日の件ですが」


「ええ」


 アルトは紅茶へ視線を落としたまま頷く。


「避けて通れませんね」


 ヴァルクは壁際に立っていた。


 いつものように無言だったが、空気は重い。


 怒っている。


 彼は怒りを言葉にしない。


 だからこそ、周囲の空気が剣の刃のように冷える。


「身分違い、ですか」


 セラフィスがその言葉を繰り返す。


 丁寧な声音だった。


 だが、食器がかすかに鳴った。


「実にくだらない言葉です」


「くだらない、で済めばいいのですが」


 アルトは静かに答えた。


「この国では、そうではないのでしょう」


「ええ。貴族社会において家名とは盾であり、剣であり、檻でもあります」


 セラフィスは椅子の背に手を置く。


「ルナ様には、その盾がありません」


「盾がないから、言葉が直接届く」


「はい」


 沈黙。


 ルナが傷ついたことは明らかだった。


 しかし問題は、それだけではない。


 学院は社会の縮図だ。


 そこには学力や才能だけでは届かない力がある。


 家柄。


 血筋。


 後ろ盾。


 名前。


 ルナは能力だけなら誰にも劣らない。


 だが、社会は能力だけで人を守ってはくれない。


「……養子」


 低く、ヴァルクが言った。


 短い一言に、アルトとセラフィスの視線が向く。


 ヴァルクは腕を組んだまま続けた。


「家名が要るなら、与えればいい」


 セラフィスはわずかに目を細める。


「考えていなかったわけではありません」


「私もです」


 アルトは紅茶を置いた。


 陶器の底が、静かに皿へ触れる。


「ルナが望むなら、養子にすることはできるでしょう」


「問題は、主様がこの国の貴族ではないことです」


「貴族でなくても、後見人としての登録は可能では?」


「可能です。ただし、正式に家名を与えるとなると少々複雑になります」


 セラフィスは淡々と説明する。


「王家の承認を受け、後見人としての社会的地位を明確にし、必要であれば爵位または準貴族待遇を得る。通常なら長い手続きが必要ですが……」


「国王なら通すでしょうね」


「むしろ向こうから提案してくる可能性すらあります」


 そこまで言って、セラフィスはわずかに苦笑した。


「王家としても、ルナ様を無防備なまま学院に置くより、名目上でも確かな後ろ盾を与えた方が都合がよい」


「都合、ですか」


「政治とはそういうものです」


 アルトは黙る。


 養子。


 その言葉は、軽く扱えるものではなかった。


 ルナを守るためなら、手段としては有効だ。


 だが、それは同時に彼女の人生へ一つの名前を刻むことでもある。


 黒瀬ルナ。


 あるいは、この世界に合わせた別の家名。


 それが彼女にとって救いになるのか。


 それとも、新しい鎖になるのか。


「主様」


 セラフィスが静かに言う。


「ルナ様は、家名を持たぬことで傷つきました」


「ええ」


「しかし、家名を与えることで全てが解決するわけではありません」


「分かっています」


 アルトの声は低かった。


「名を与えるのは簡単です。ですが、それで彼女が“自分は借り物の名で立っている”と思うなら、意味がない」


 ヴァルクが頷く。


「聞くべきだ」


「ええ」


 アルトはゆっくり息を吐いた。


「ルナが望むなら、私は家名でも立場でも用意します。ですが望まないなら、無理に与えない」


「では、まずは様子見ですか」


「いえ」


 アルトは首を横に振った。


「近いうちに話します。彼女が落ち着いている時に」


 セラフィスは一礼した。


「承知しました」


 その時、二階から小さな足音が聞こえた。


 三人は同時に黙る。


 階段を下りてくる音ではない。


 部屋の中を歩く音。


 やがて止まり、また少し動く。


 眠れずにいるのだろう。


 アルトは少しだけ目を伏せた。


「……強い子です」


 セラフィスが言った。


「しかし、強い子ほど、折れるまで我慢します」


「分かっています」


 ヴァルクが短く言う。


「見ておく」


「頼みます」


 アルトは窓の外を見た。


 王都の灯りは美しい。


 だが、その光の中にも影はある。


 学院という新しい世界で、ルナはその影にも触れていくのだろう。


 守りたい。


 けれど、守りすぎてはいけない。


 その境界線は、剣よりも魔法よりも難しかった。



 翌朝。


 ルナはいつも通り起きてきた。


 少し眠そうだったが、制服はきちんと整っている。


 セラフィスが襟元を確認し、ヴァルクが無言で頷き、アルトが「いってらっしゃい」と告げる。


 ただ、それだけ。


 昨夜の話はしなかった。


 ルナも何も言わなかった。


 ただ玄関を出る前、彼女は一度だけ振り返った。


「……今日、実技がある」


「魔法ですか」


「うん」


 小さく頷く。


「少し、怖い」


「怖くても構いません」


 アルトは言った。


「暴れないようにすれば大丈夫です」


「そこ?」


「そこです」


 ルナは一瞬きょとんとして、それから少し笑った。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 その背中は、昨日よりほんの少しだけ真っ直ぐだった。



 王立学院の実技場は、本館の北側にあった。


 半円形の観覧席に囲まれた広い砂地。


 周囲には魔法障壁用の石柱が並び、中央には測定水晶が据えられている。


 水晶は大人の頭ほどの大きさで、透明な内部に淡い光を宿していた。


 魔力を流すと、その属性や濃度、安定度を測定する魔道具である。


 この日の授業は、魔法実技の基礎確認だった。


 Sクラスの生徒たちは、実技場に整列していた。


 教師は二人。


 一人は担任のミレディア。


 もう一人は魔法実技主任の老教師、オルガン。


 白い髭を蓄えた小柄な老人だが、学院では長く実技を見てきた名物教師らしい。


「さて、諸君」


 オルガンが杖をつきながら前へ出た。


「今日は属性適性を測る。すでに入学試験で測定した者もいるが、学院正式記録として改めて確認する」


 生徒たちの間にざわめきが生まれる。


 属性適性。


 魔法を扱う者にとって、才能を示す最初の指標。


 火、水、風、土、雷、光、闇。


 一般には一属性が主適性。


 二属性あれば優秀。


 三属性なら天才。


 四属性以上は歴史に名が残ることもある。


「測定は順番に行う。水晶へ手を置き、魔力を流せ。無理に強く流す必要はない。適性は量ではなく反応で見る」


 そう説明され、生徒たちは一人ずつ前へ進んだ。


 最初の男子生徒。


 水晶が赤く光る。


「火属性、強適性。風属性、微適性」


 周囲から感嘆の声。


 次の令嬢。


 青と白の光。


「水属性、強適性。光属性、中適性」


 彼女は誇らしげに微笑む。


 Sクラスらしく、どの生徒も優秀だった。


 一属性だけの者は少ない。


 ほとんどが二属性以上。


 三属性持ちが出ると、観覧席にいた補助教師たちが記録用紙へ慌ただしく書き込んだ。


 ルナは列の中でそれを見ていた。


 手のひらが少し汗ばむ。


 自分の適性は、アルトたちから大まかには聞いている。


 だが、学院の正式な場で測るのは初めてだった。


 昨日のセシリアの言葉が、まだ胸に残っている。


 目立ちたくない。


 でも、隠していいのかも分からない。


 アルトなら何と言うだろう。


 たぶん、こう言う。


 必要以上に誇る必要はありません。


 でも、あなたの力を恥じる必要もありません。


「次、セシリア」


 その名が呼ばれ、ルナは顔を上げた。


 セシリアが前へ出る。


 金色の髪が陽を受けて輝き、所作は相変わらず美しかった。


 彼女は水晶へ手を置く。


 静かに魔力を流した瞬間、水晶が強く光った。


 赤。


 青。


 白。


 さらに、淡い紫。


 実技場がざわめく。


「火属性、強適性。水属性、強適性。光属性、中適性。雷属性、微適性」


 オルガンの目が細くなる。


「見事。四属性反応だ。さすが伯爵家の才女よ」


 生徒たちから感嘆の声が上がる。


 セシリアは一礼した。


 その横顔には、当然という誇りと、少しの安堵があった。


 彼女は席へ戻る途中、ほんの一瞬だけルナを見た。


 視線が交差する。


 冷たい。


 だが昨日とは違う。


 そこには、挑むような色があった。


 ルナは小さく息を吸った。


「次、ルナ」


 名前が呼ばれた瞬間、実技場の空気が変わった。


 昨日の魔法理論授業を見ていた者たちは、黙って彼女を見る。


 見ていなかった補助教師たちも、主席合格者の名に顔を上げた。


 ルナは一歩前に出た。


 砂を踏む音が、自分でも大きく聞こえる。


 水晶の前に立つ。


 透明な球体の中で、淡い光が揺れている。


「落ち着いて」


 ミレディアが短く言った。


 それは命令ではなく、助言だった。


 ルナは頷き、手を置く。


 冷たい。


 水晶の表面は、春の朝の水のようだった。


 魔力を流す。


 ほんの少し。


 そのつもりだった。



 最初に光ったのは、赤だった。


 火属性。


 次に青。


 水属性。


 続いて緑。


 風。


 黄土色。


 土。


 紫。


 雷。


 白。


 光。


 黒に近い深い藍。


 闇。


 七つの色が、水晶の内部で同時に立ち上がった。


 光はぶつからなかった。


 濁らなかった。


 それぞれが明確な色を保ったまま、円を描くように回り始める。


 まるで小さな世界が、水晶の中に生まれたかのようだった。


 誰も声を出さない。


 砂地を撫でる風の音だけが聞こえる。


 次の瞬間、水晶の光がさらに強くなった。


 属性反応だけではない。


 魔力量に反応している。


 測定台の下部に刻まれた魔法文字が次々と発光し、記録石が震え始めた。


「止めろ!」


 オルガンが叫んだ。


 ルナは慌てて手を離す。


 水晶の光はしばらく残り、やがてゆっくりと消えた。


 静寂。


 あまりにも深い静寂。


 そして、遅れてざわめきが爆発した。


「全属性……?」


「嘘だろ」


「水晶の故障では?」


「七属性反応なんて、聞いたことがない」


「しかも全部、強くなかった?」


 補助教師たちは完全に混乱していた。


 記録用紙を持つ手が震えている。


 オルガンは水晶へ駆け寄り、何度も確認した。


「破損なし……魔力焼けもない……正常反応……」


 ミレディアは黙ってルナを見ていた。


 その目には驚愕があった。


 だが、それ以上に思考する者の光があった。


「ルナ」


「は、はい」


「今、どれほど流しましたか」


「……少し、です」


「具体的に」


「えっと……普段の練習で火球を一つ作る時より、少ないくらい」


 オルガンが頭を抱えた。


「それでこれか……」


 教師陣の顔色が変わっていく。


 これは単なる優秀ではない。


 天才という言葉でも足りない。


 学院の記録に残るどころではない。


 王国の魔法史そのものに関わる可能性がある。


 生徒たちの視線も変わった。


 驚き。


 畏れ。


 嫉妬。


 疑念。


 そして、拒絶。


 セシリアは立ち尽くしていた。


 美しい顔から血の気が引いている。


 四属性反応。


 彼女にとって、それは誇りだった。


 家族から期待され、努力を重ね、ようやく示せた才能。


 だが、その直後にルナは全属性を見せた。


 本人に誇示する意図などなかったとしても、結果は残酷だった。


 セシリアの指先が震える。


 彼女は唇を噛み、視線を逸らした。



 その後の授業は、半ば授業ではなくなった。


 教師陣はルナの再測定を求めたが、ミレディアが止めた。


「本日はここまでにします」


「しかし、これは――」


「だからこそです。生徒の心理負担を考慮すべきです」


 ミレディアの声は冷たかった。


 オルガンも我に返り、頷く。


「……そうじゃな。記録は一旦保留。学院長へ報告する」


 その言葉で、場は解散となった。


 だが、空気は戻らない。


 ルナは列へ戻ったが、周囲の生徒たちは自然と少し距離を取った。


 誰も露骨には逃げない。


 けれど、一歩。


 たった一歩の距離が、はっきりと生まれた。


 ルナはそれに気づいた。


 気づいてしまった。


 胸の奥に、小さな冷たいものが落ちる。


 昨日よりも、今日の方が遠い。


 自分は近づこうと思ったのに。


 挨拶しようと思ったのに。


 また、離れてしまった。



 放課後。


 校門の外で待つアルトは、ルナの表情を見た瞬間、何かを察した。


「おかえりなさい」


「……ただいま」


「実技でしたね」


「うん」


「何がありましたか」


 ルナは少し俯く。


「水晶が、光った」


「どのくらい」


「全部」


 アルトは一瞬黙った。


 セラフィスは隣で目を閉じた。


「そうですか」


 アルトは静かに言った。


「怪我は?」


「ない」


「ならよかった」


「……よかったのかな」


 ルナの声は震えていなかった。


 けれど弱かった。


「みんな、びっくりしてた。先生たちも。セシリアも……」


 足元を見る。


「また、遠くなった気がする」


 アルトはすぐには答えなかった。


 しばらく並んで歩く。


 夕方の王都は、人の声と馬車の音で満ちている。


 その中で、アルトの声は静かに届いた。


「才能は、時に人との距離を広げます」


「……うん」


「ですが、才能そのものが悪いわけではありません」


「でも、私が普通なら」


「それは違います」


 アルトは立ち止まった。


 ルナも足を止める。


「あなたがあなたであることを、謝る必要はありません」


 その言葉は、昨夜のものと似ていた。


 だが今のルナには、より深く響いた。


「ただし」


 アルトは続ける。


「力を見た人が、すぐに理解してくれるとは限りません。驚く者もいる。恐れる者もいる。嫉妬する者もいる」


「……セシリアも?」


「おそらく」


 ルナは黙った。


「では、どうしますか」


「分からない」


「ええ。分からなくていい」


 アルトは少し微笑む。


「昨日、挨拶すると決めたのでしょう」


 ルナは驚いて顔を上げた。


「……ノート見た?」


「見ていません」


「じゃあ、なんで」


「あなたの顔に書いてありました」


 ミーナみたいなことを言う。


 ルナは少しだけ笑った。


「明日も、挨拶しますか」


 しばらく沈黙。


 やがてルナは、小さく頷いた。


「する」


「では、それで十分です」



 その夜。


 学院では、測定記録が学院長室へ運ばれていた。


 オルガンは興奮と疲労で顔を赤くし、ミレディアは無言で報告書を差し出す。


 学院長ローゼンバルトは、老いた指で紙面をなぞった。


「全属性適性……か」


 声は静かだった。


 だが目は鋭い。


「しかも魔力量測定不能域」


 オルガンが頷く。


「水晶が耐えられませんでした」


「ふむ」


 学院長は窓の外を見た。


 夜の学院。


 静かな塔。


 その中に、歴史を変えるかもしれない少女がいる。


「王家には?」


「まだです」


「今夜中に報告する」


 ミレディアが問う。


「保護対象として、ですか」


「当然だ」


 学院長は淡々と言った。


「才能は祝福であると同時に、標的にもなる」


 彼は報告書を閉じた。


「ルナ。……苗字のない少女か」


 小さく呟く。


「この学院は、しばらく騒がしくなるな」



 同じ頃。


 王都西区画の屋敷では、ルナが自室の机に向かっていた。


 ノートを開く。


 昨日書いた文字がある。


 ――セシリア。


 ――あいさつする。


 その下に、今日新しく書き足した。


 ――こわがられても、やめない。


 文字は少し震えていた。


 けれど、消さなかった。


 窓の外に、月が浮かんでいる。


 明日も教室へ行く。


 明日も視線はあるだろう。


 冷たい言葉もあるかもしれない。


 それでも、ルナはもう知っている。


 逃げないことは、戦うことだけではない。


 挨拶をすること。


 笑ってみること。


 分からない相手を、すぐ嫌いにならないこと。


 それもまた、小さな勇気なのだと。


 少女はペンを置き、静かに目を閉じた。


 明日、もう一度。


 そう思いながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ