第十八話 少女は頂へ立つ
王都の朝は早い。
まだ空に薄い青が滲み始めたばかりの刻から、石畳には人の気配が満ちていく。荷馬車の車輪、商人の呼び声、開かれる店の扉、遠くで鳴る鐘の音。巨大な都市は、眠りから覚めるというより、途切れることなく脈打ち続けている生き物のようだった。
その王都の中心部、白い学院街区に建つ巨大な建造物――王立ソルレイア学院。
学問、魔法、軍学、政治、礼法。
この国の未来を担う者たちが集い、選ばれ、磨かれる場所。
本日、その入学試験の日であった。
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学院正門前には、すでに多くの受験者が集まっていた。
貴族の子弟らしい豪奢な馬車。護衛付きで到着する名家の令嬢。緊張に顔を強張らせる地方出身者。自信満々に仲間と談笑する少年たち。
年齢は様々だが、多くは十代半ば。
未来への野心と不安が、朝の冷気の中で白く立ちのぼっているようだった。
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その人波の中を、ルナは静かに歩いていた。
淡い色合いの受験用衣装。整えられた髪。背筋は伸びている。
だが袖の中の指先は、わずかに震えていた。
「緊張していますか」
隣を歩くセラフィスが問う。
「……少し」
「正常です」
「セラフィスは緊張しないの?」
「主様以外の評価に興味がありませんので」
「それ基準が偏ってるよ……」
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アルトは少し離れた位置で周囲を見ていた。
受験者の動き。教師陣の配置。警備の導線。試験場の建物構造。
自然に観察しているだけだが、傍から見れば完全に監査官だった。
「主様」
セラフィスが視線だけ向ける。
「威圧感があります」
「そうでしょうか」
「受験生が三名ほど目を逸らしました」
「失礼しました」
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ヴァルクは門柱脇に立ち、像のように動かない。
しかし近づいてきた不良貴族風の少年二人組が、彼の前を通る瞬間だけ無言で方向転換した。
理由を本人たちは説明できないだろう。
本能だった。
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「ルナ」
アルトが声をかける。
「はい」
「落ちても問題ありません」
ルナは目を瞬かせる。
「受かるために来たんじゃないの?」
「ええ。ですが結果より、あなたが自分の足でここまで来たことに意味があります」
少し間を置いて、続ける。
「……とはいえ、受かると思います」
「なんで最後だけ急に現実的なの」
「事実です」
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ルナは思わず笑った。
その笑いで、胸の強張りが少しほどける。
そして試験受付へ向かう背中には、以前の怯えた少女の影はほとんどなかった。
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筆記試験
広い講堂に、長机が整然と並んでいる。
窓から差し込む朝日が机上へ白く伸び、羽根ペンとインク壺が一人ずつ配置されていた。
監督官が厳格な声で告げる。
「不正行為は即失格。質問は認めぬ。開始まで静粛に」
紙の擦れる音と咳払いだけが響く。
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ルナは席につき、深呼吸した。
配られた問題用紙には、基礎算術、読解、論理、魔法理論初級、王国法の基礎、歴史概論。
思ったより難しい。
だが、思ったより解ける。
セラフィスの詰め込み教育を思い出す。
『この程度で詰まるようなら、主様の食事当番を増やします』
『それ罰なの?』
『主様の味覚は独創的です』
あれは脅しだったのか、教育だったのか。
今となっては判別不能だった。
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羽根ペンが走る。
算術は迷いなく埋まる。
読解も、物語の含意を拾って書く。
魔法理論では魔力循環と属性干渉について、教師が少し眉を上げるほど整った答案を書いた。
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だが、歴史で手が止まる。
『第三次北方遠征における講和条約締結年を記せ』
「……え」
知らない。
いや、聞いた気はする。
セラフィスが説明していた。たしかその時、自分は眠くて――。
ルナの眉間に皺が寄る。
『王国成立以前の諸侯連合時代における……』
「長いよ……」
心の中で泣いた。
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周囲では貴族子弟たちが得意げに書き進めている。
幼い頃から家庭教師付きで叩き込まれてきた分野だろう。
ルナは唇を噛み、思い出せる限りを記した。
年号が曖昧でも、流れと意義を書く。
分からないところは空欄にせず推論を書く。
アルトの言葉が蘇る。
『知らないことは恥ではありません。考えることをやめる方が損です』
だから最後まで書いた。
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実技試験
筆記後、受験生たちは学院裏手の巨大訓練場へ移された。
石造りの観覧席、砂地の闘技区画、魔法障壁柱、測定用水晶。
王立学院の名に恥じぬ設備だった。
観覧席には教師陣、試験官、見学の貴族関係者までいる。
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「次、受験番号七十二番。ルナ」
名を呼ばれ、ざわめきが走る。
「平民枠か?」
「名前だけだとそうだな」
「でもあの子、綺麗……」
視線が集まる。
ルナは一歩、砂地へ出た。
心臓が速い。
だが逃げたいとは思わなかった。
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試験官は壮年の剣術教師だった。
「まず体術。模擬木剣を取れ」
木剣が投げ渡される。
握る。
重さ、重心、手触り。
ヴァルクとの訓練が身体に蘇る。
『剣は振るな。通すものだ』
『意味わかんない』
『分かるまで振れ』
鬼だった。
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「始め!」
教師が踏み込む。
速い。受験生相手に手加減しつつも、経験者の動き。
ルナは受けない。
半歩ずらし、斜めへ逃がす。
木剣が交差し、砂が跳ねる。
「ほう」
教師の目が変わる。
次は連撃。
上段、横薙ぎ、突き。
ルナは最小限で捌き、三撃目の伸びた手元へ木剣を添えた。
くるり、と円を描く。
教師の木剣が宙へ舞った。
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観覧席がどよめく。
「今のは……」
「流し技か?」
「受験生が?」
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教師は無手のまま笑った。
「よし、十分だ」
額に汗を浮かべている。
「誰に習った」
「……家族、です」
ルナは少し考えて答えた。
遠く観覧席外で見ていたアルトたちに、誰にも見えないほど小さく視線を送った。
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魔法試験
次は魔法障壁区画。
測定水晶と標的板が並ぶ。
若い女性教師が説明する。
「威力、制御、速度、応用を見る。属性自由。過剰破壊は禁止」
受験生たちが次々に火球や風刃を放つ。
平均以上でも歓声が上がる。
中にはかなり優秀な者もいた。
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「七十二番、前へ」
ルナが立つ。
「準備でき次第」
彼女は目を閉じた。
呼吸を整える。
アルトの教えを思い出す。
『魔法は感情で暴れます。だからこそ、感情を否定せず整える』
怖い。
見られている。
失敗したくない。
その全部を抱えたまま、静かに中心へ置く。
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手をかざす。
詠唱なし。
ざわめきが起きる。
次の瞬間、五つの光球が同時に生まれた。
火、水、風、土、雷。
属性ごとの魔力波長が完全に分離され、空中で円環を描く。
「な……!」
教師陣が立ち上がる。
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ルナは指を振る。
五球が一斉に標的へ。
直撃寸前、軌道が変わる。
互いを避け、交差し、中心一点へ収束。
爆ぜる。
しかし標的以外は無傷。
障壁柱の反応値が上限近くまで跳ね上がった。
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静寂。
それから、遅れて歓声と悲鳴が混じる。
「五属性同時制御!?」
「無詠唱だと!?」
「どこの家の子だ!」
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女性教師は震える声で言った。
「……追加課題。防御術式を」
「はい」
ルナが展開した障壁は、透明で、薄く、だが三重構造だった。
教師が放った試験用衝撃弾は、一枚目で減衰し、二枚目で拡散し、三枚目で消えた。
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「満点……いえ、規格外です」
思わず本音が漏れていた。
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戦術試験
最後は卓上戦術。
地図盤と駒を用い、想定戦場でどう動くかを問う試験だ。
多くの受験生は兵数差や地形で迷い、正攻法へ寄っていく。
ルナの番。
与えられた条件は劣勢側守備軍。
敵は倍の兵力で正面進軍。
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「どうする」
老教授が問う。
ルナは盤面を見つめる。
森、川、狭路、補給線。
アルトとした旅路の会話を思い出す。
『勝つ方法だけが戦術ではありません。相手に負けさせる方法もあります』
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「正面では戦いません」
駒を動かす。
「橋を落として進軍速度を遅らせます。夜間に補給線へ小隊を回し、食料を焼きます」
さらに別駒。
「森に火は使いません。風向き次第で民家へ延焼するから」
教授の目が細くなる。
「続けよ」
「敵が焦れて狭路へ兵を入れたところで、ここを崩します」
崖駒が動く。
「勝つというより、撤退させます」
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教授は黙ったまま盤を見つめ、やがて深く頷いた。
「……良い。兵を駒として見ていない」
それは高い評価だった。
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発表
夕刻。
受験生たちは学院中央広場へ集められた。
塔の影が長く伸び、空は茜色に染まり始めている。
巨大掲示板に合格者名が貼り出される瞬間、群衆が押し寄せた。
「見えない!」
「押すな!」
「どけ、私が先だ!」
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ルナは後ろから背伸びする。
「見えない……」
アルトが近づき、ひょいと持ち上げた。
「え、ちょ、アルト!」
「見えますか」
「見えるけど恥ずかしい!」
セラフィスがため息をつく。
「主様、配慮が直線的です」
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ルナの視線が一番上へ届く。
そこに、大きく記されていた。
主席合格 ルナ
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時間が止まったようだった。
「……え」
もう一度見る。
同じだ。
夢ではない。
「……ええええっ!?」
広場中に響いた。
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周囲がざわめく。
「主席!? あの子が?」
「平民枠じゃないのか?」
「誰だルナって!」
「魔法試験の化け物だろ!」
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ルナは地面へ降ろされ、呆然とアルトを見る。
「わ、わたし……?」
「ええ」
「主席……?」
「そのようです」
「どうしよう」
「特に問題ありません」
「あるよ!」
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セラフィスは珍しく微笑んだ。
「よく頑張りました」
ヴァルクも短く言う。
「誇れ」
その一言で、ルナの目に涙が浮かんだ。
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「……歴史、たぶん少し間違えたのに」
「それで主席なら、他が満点級だったのでしょう」
アルトが言う。
「歴史は今後学べばいい」
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ルナは堪えきれず笑った。
泣きながら、笑った。
奴隷として値札を付けられていた少女が、今、王国最高学府の頂点に名を刻んでいる。
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夕陽が学院塔を赤く染める。
人々のざわめきの中、少女は初めて知った。
生まれではなく、過去でもなく、今の自分で立てる場所があるのだと。
その場所の名を、人は未来と呼ぶ。




