第十五話 王家の召喚
王都ソルレイアの朝は、いつもなら鐘と商人の声で始まる。
市場の扉が開き、荷車の軋む音が石畳へ流れ、焼きたてのパンの香りが路地へ満ちる。魔導灯の残光は薄れ、人々はそれぞれの生活へ戻っていく。
だが、その日の朝だけは違った。
街全体が、何か巨大な噂を抱えたまま目覚めていた。
昨日、王都は滅びかけた。
災害級魔物――地砕獣グラズ=ヴォルグが迫り、北門外平原は死地と化した。
そして救われた。
王国最強《蒼天の楔》が討ち果たしたからだ。
そこまでは、人々が理解できる英雄譚だった。
だが、その後が理解できなかった。
その英雄たちが、正体不明の旅人三人に完敗した。
しかも一方的に。
剣士は剣を断たれ、魔導士は術式を奪われ、盾役は子供のように転がされ、斥候は近づくことすら許されなかった。
酒場では十通りに誇張され、広場では百通りに尾ひれがつき、王都中が同じ話題で持ち切りだった。
――黒髪の青年は竜を斬ったらしい。
――銀髪の執事は禁術使いだ。
――無口な剣士は魔人だ。
――少女は未来の聖女だ。
人は知らぬものへ、好き勝手な名を与える。
だが王宮だけは違った。
知らぬものを、放置しない。
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ヴェリア・ソリス王城。
白亜の塔と青い尖塔をいくつも重ねた王都の中心。その最上層にある執務室では、朝日が長い窓から差し込み、赤い絨毯の上へ金の筋を描いていた。
国王アルディオン・ヴェリア・ソリスは、机上へ積まれた報告書に目を通していた。
五十二歳。
白銀の髪を後ろへ流し、威厳ある壮年の容貌。だがその眼差しは、武人ではなく統治者のものだった。
柔らかく見えて、鋭い。
穏やかに見えて、何一つ見逃さぬ目。
「……同じ内容が三種類あるな」
低く落ち着いた声で言う。
側近官僚が額に汗を浮かべた。
「は、はい陛下。現場証言と近衛兵団報告、冒険者ギルド報告で若干の差異が……」
「差異ではない。誰も理解できておらぬだけだ」
紙を置く。
そこには簡潔にこう記されていた。
龍種一体討伐。
災害級出現。
S級冒険者出動。
旅人一行、S級四名を模擬戦で制圧。
国王は指で机を叩いた。
「……一つずつならまだいい」
側近たちは黙る。
「龍討伐だけなら、隠遁した英雄かもしれぬ」
「はい」
「災害級の観戦だけなら、愚かな強者かもしれぬ」
「……はい」
「S級制圧だけなら、別のS級かもしれぬ」
そこで国王は顔を上げた。
「だが全て同時に起こるなら、それは国家案件だ」
室内の空気が重く沈んだ。
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扉が開き、王妃セレナが入室した。
金髪を優雅にまとめた上品な女性で、その穏やかな微笑みは王城の緊張を和らげる数少ない存在だった。
「また朝から難しい顔をなさって」
「難しい顔にもなる」
国王は報告書を差し出す。
「読んでみよ」
王妃は静かに目を通し、途中で小さく眉を上げた。
「まあ……随分と賑やかな方々ですこと」
「余は賑やかで済ませたくない」
「危険だと?」
「危険にもなれる、だ」
その言葉は重かった。
力ある者すべてが敵ではない。
だが敵に回れば、最も危険となる。
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続いて第一王女フィリアも姿を見せた。
知的な美貌と冷静な眼差しを持つ才媛。政治にも深く関わる王女である。
「父上、すでに市中ではその旅人たちの噂で溢れています」
「内容は」
「半分は虚構、半分は誇張、残り半分が真実です」
「三つで百を超えておるぞ」
「噂とはそういうものです」
国王は少しだけ口元を緩めた。
この娘のこういう所は嫌いではない。
「で、お前はどう見る」
フィリアは迷わず答えた。
「確保すべきです」
側近たちがざわつく。
「軟禁ではなく、懐柔。敵対は最悪です」
「理由は」
「もし報告が事実なら、戦力価値が国家級だからです」
静かな声だった。
「もし虚偽でも、王都最強とされる《蒼天の楔》が完敗した事実は消えません」
王妃が補足する。
「つまり、放っておけない、と」
「はい、お母様」
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召喚されたレオンハルトが執務室へ入る。
昨日の負傷を包帯で隠し、背筋は変わらず真っ直ぐだった。
「近衛副団長レオンハルト、参上いたしました」
「楽にせよ。報告を聞く」
国王は率直に問う。
「旅人一行、どう見た」
レオンハルトは少し考え、正直に答えた。
「理解不能です」
官僚たちが顔を見合わせる。
だが彼は続けた。
「私は剣士です。剣なら多少は分かるつもりでした」
「ヴァルクという男か」
「はい。あれは技量の次元が違います。力でも速さでもなく、“無駄が存在しない剣”でした」
「青年アルトは」
「……底が見えません」
その一言に、国王の目が細くなる。
「強いのか」
「強い、という言葉で足りるか判断しかねます」
正直だった。
「敵意はありませんでした。むしろ穏やかです。しかし、あの場にいた誰より危険に見えました」
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次に通されたのは《蒼天の楔》の四人だった。
アリシアは礼装が窮屈そうで、エルディンは完璧な姿勢、ボルグは少し緊張し、ミレアは眠そうだった。
「王都救援、大義であった」
国王の言葉に、四人は膝をつく。
「面を上げよ。そなたらに聞きたいのは昨日のその後だ」
アリシアが笑う。
「いやあ、恥を晒しましたね」
「笑い事ではない」
フィリアが即座に刺す。
「そういうとこだよ王女様」
軽口を叩きながらも、アリシアの目は真剣だった。
「……負けました。完敗です」
王城内が静まり返る。
「四対三で?」
「実質、一対三で負けた気分ですね」
「詳しく」
エルディンが前へ出る。
「私の複合魔法は術式支配権ごと奪われました」
側近たちが意味を理解できず固まる。
「あり得ません」
「私もそう思っていました」
ボルグが続く。
「私は投げられました」
「怪力でか」
「触れられただけで」
ミレア。
「近づけませんでした」
最後にアリシア。
「剣を折られました」
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国王は深く息を吐いた。
「……全員揃って余の胃を痛めに来たのか」
珍しい冗談だったが、誰も笑えなかった。
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国王は立ち上がる。
窓の外には王都の街並み。昨日守られた街が広がっている。
「敵か味方か、それはまだよい」
静かな声。
「まずは、どのような者かを知らねばならぬ」
振り返る。
「正式に招く」
官僚たちが一斉に頭を下げた。
「王家の名において、旅人アルト一行を王宮へ召喚する」
側近が確認する。
「拘束ではなく、謁見として?」
「当然だ」
国王の声は鋭かった。
「礼を尽くせ。相手が礼を返す者なら友となる。無礼を返す者なら、その時考える」
フィリアが微笑む。
「賢明です、父上」
「お前は黙っていろ。余が言いたかった台詞だ」
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その頃、王都冒険者ギルド。
昨夜の疲労を引きずりながら、ガレスは山積みの書類と格闘していた。
「誰だ素材分配表こんな雑に書いたのは!」
「支部長です」
「俺かよ!」
アリスは笑いを堪えながら帳簿を運んでいた。
その時、外が騒がしくなる。
蹄の音。
鎧の擦れる音。
扉が開き、王家紋章を掲げた近衛騎士たちが整列した。
中央には礼装の使者。
ギルド内が凍る。
「……なんだ今度は」
ガレスが顔をしかめる。
使者が朗々と告げた。
「王命である!」
全員が姿勢を正す。
「旅人アルト一行へ伝える。ヴェリア・ソリス王家は其方らの功績を認め、王宮への正式謁見を望む!」
ざわめきが爆発した。
「王家!?」
「マジかよ!」
「昨日来たばっかの旅人だぞ!?」
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奥の席で朝食を取っていたアルトは、パンを置いて首を傾げた。
「私たちですか?」
「其方らである!」
「なぜでしょう」
ガレスが頭を抱える。
「心当たりありすぎるだろうが」
アリスは興奮で頬を赤くしていた。
「王宮ですよ!? 王宮!」
ルナは不安そうにアルトの袖を掴む。
「……行くの?」
アルトは穏やかに微笑む。
「招かれたなら、礼を尽くして伺いましょう」
セラフィスは静かに目を細めた。
「主様。面倒の匂いがします」
「昨日からずっとしています」
ヴァルクは無言で剣帯を整える。
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使者たちが帰った後も、ギルドは騒然としていた。
王家が動いた。
それはつまり、王都全体が動くということだ。
貴族たちも。
商人たちも。
軍も。
裏社会すら。
誰もが、得体の知れぬ旅人たちへ注目する。
ガレスは遠くを見る目で呟いた。
「……面倒ごとが王城サイズになりやがった」
アリスは目を輝かせる。
「でも少し楽しみです!」
「お前は気楽でいいな」
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アルトは窓の外を見ていた。
青空の下、白い王城がそびえている。
人と関わらず生きることは簡単だった。
森の中ならなおさらだ。
だが今、自分はまた人の中心へ呼ばれている。
それが何を意味するのか、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは――
静かな旅は、もう終わったということだった。




