第三話 見る目のある者たち
アルトたちがギルドを去ってからしばらくのあいだ、広間には奇妙な静けさが残っていた。
昼の冒険者ギルドは、本来もっと騒がしい場所である。
依頼帰りの報告。酒の注文。仲間同士の罵声まじりの冗談。受付嬢への無意味な口説き文句。椅子を引く音、皿の触れ合う音、誰かが笑い、誰かが怒鳴る音。
そうした雑音の総体こそが、この場所の日常だった。
だが今は違う。
皆、先ほど扉から出ていった三人組の背中を、それぞれの記憶の中で反芻していた。
「……なんだったんだ、あいつら」
最初に声を漏らしたのは、片目に古傷のある中年の槍使いだった。
誰に向けたわけでもない呟きに、近くの席から返事が飛ぶ。
「執事と護衛連れの坊ちゃんだろ」
「坊ちゃんが、ゴルドを椅子ごと床に埋める護衛を連れてるかよ」
「埋まってはいねえ。転がっただけだ」
「似たようなもんだ」
笑いが起きる。
だが、その笑いにはどこか乾いた色が混じっていた。
ゴルド――先ほどヴァルクに一瞬で叩き伏せられた大男は、奥の長椅子に座り込み、鼻に詰め物をしながら無言で酒を飲んでいる。いつもなら大声で怒鳴り散らしている男が、今日はやけに静かだった。
視線に気づいたのか、彼は低く唸る。
「……見えてねえんだよ」
「何がだ?」
「動きがだ。手ぇ伸ばしたと思ったら、床だった」
周囲がまた黙る。
荒くれ者ではあるが、ゴルドも辺境で何年も生き残ってきた男だ。決して弱くはない。その彼が、何もできずに倒された。
それが事実として重かった。
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カウンター近くの丸机では、数人の中堅冒険者たちが小声で話していた。
「俺は執事の方が気になる」
弓使いの女が言う。
「銀髪のやつか」
「ああ。気配が薄い。なのに、あの場で一番周り見てた」
「魔術師だろ?」
「たぶんな。でも普通じゃない」
彼女は眉を寄せる。
「強い魔術師ってのは、もっと“匂い”がある。自信とか、癖とか、他人見下してる感じとかな」
「偏見だろ、それ」
「経験則だよ」
彼女は杯を傾け、続けた。
「あいつは違う。何でもできるやつの無関心さだ」
隣の剣士が肩をすくめた。
「嫌な評価だな」
「嫌な相手ほど、長生きする」
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一方で、若手冒険者たちは別の盛り上がり方をしていた。
「なあなあ、見たか!? あの護衛の抜き手!」
「剣抜いてなかったぞ」
「だからすげえんだよ!」
「俺、弟子入りしようかな」
「三秒で断られるわ」
「じゃあ執事の方に」
「もっと無理だ」
笑い声が広がる。
恐れと憧れは、ときに近い場所にある。
⸻
受付の奥では、リミアが書類をまとめながらちらりとギルド長室を見た。
「……大丈夫かな」
彼女の呟きに、隣の先輩受付嬢が苦笑する。
「誰の心配してるの?」
「アルトさんたちです。なんだか悪い人には見えませんでしたし」
「ギルド長の方じゃなくて?」
「ギルド長は丈夫なので」
「ひどい」
だが先輩も、どこか同意していた。
短いやり取りだったが、あの黒髪の青年には不思議な落ち着きがあった。力を誇示する者でも、媚びる者でもなく、ただ静かにそこにいるような男。
辺境では珍しい種類の人間だった。
⸻
その頃、ギルド長室。
シルヴェスターは椅子にもたれ、深いため息をついていた。
「……どう思う」
部屋の隅に声を投げる。
そこには、いつの間にか一人の老人が立っていた。
灰色のローブに身を包み、背は曲がり、杖をついている。ギルド所属の鑑定士、ヘルムートである。
「さて」
老人は笑うように喉を鳴らした。
「面白い者たちですな」
「雑な感想だ」
「では少し丁寧に申し上げましょう」
老人はゆっくり指を立てる。
「護衛役の青年。あれは剣の達人です。戦場で百を斬る類ではなく、一人を守るために百を斬る類」
「俺もそう見た」
「執事の男。あれは危険ですな」
「それも分かる」
「何を考えているか見えぬ者ほど、恐ろしい」
「で、本命は」
シルヴェスターの声が低くなる。
老人は少しだけ目を細めた。
「黒髪の青年です」
「やっぱりか」
「わしが扉越しに覗いた時、一瞬だけ“漏れ”ました」
「漏れ?」
「魔力です」
部屋の空気が重くなる。
「……どの程度だ」
老人は沈黙した。
そして、慎重に答える。
「計れません」
「は?」
「海の水を匙で測れと言われても困るでしょう」
シルヴェスターは舌打ちした。
「盛るな」
「盛っておりません。むしろ控えめです」
老人は杖を鳴らす。
「普段は完全に隠しておる。存在感すら薄い。あれほど自然に己を消せる者を、わしは見たことがない」
「つまり?」
「本気を出せば、この街は消し飛ぶかもしれませんな」
「冗談きついぞ」
「冗談で済めば良いのですが」
シルヴェスターは額を押さえた。
辺境都市の支部長という仕事は、魔物被害、冒険者同士の諍い、役人との折衝、予算不足、酒乱の対応など、十分に胃へ悪い。
そこへ街を消せるかもしれない青年が現れた。
「……引退したくなってきた」
「今さらですな」
⸻
しばらくして、扉が叩かれた。
「入れ」
リミアが顔を出す。
「失礼します。あの、アルトさんたち、宿へ向かわれました」
「そうか」
「……ギルド長」
「なんだ」
彼女は少し迷い、それから言った。
「悪い人たちじゃないと思います」
シルヴェスターは片眉を上げる。
「根拠は」
「困ってる人を見た時、すぐ視線が向く人でした」
「それだけで分かるのか」
「なんとなくです」
若さゆえの感覚だ、と切り捨てることもできた。
だが辺境で長く人を見てきたシルヴェスターは知っている。
理屈より先に本質へ触れる勘というものが、稀にある。
「……そうかもしれんな」
リミアはぱっと表情を明るくした。
「ですよね!」
「調子に乗るな」
「はい!」
元気よく去っていく。
扉が閉まると、老人がくつくつと笑った。
「良い娘ですな」
「うるせえ」
⸻
夕刻。
広間の喧騒はいつもの調子を取り戻しつつあった。
酒が回れば、人は大抵のことを忘れる。
だが一部の者たちは忘れない。
見る目のある者ほど、あの三人の異質さを理解していた。
嵐は、派手な音を立てて来るとは限らない。
ときにそれは、穏やかな敬語と共に街へ入ってくる。




