第五話 王都の剣と、一通の手紙
王都の朝は、昨日よりも早く動いているように見えた。
銀翼亭の窓から見下ろせば、まだ陽が高くなる前だというのに、大通りには既に人の流れができている。商人たちは荷を運び、学生たちは本を抱え、兵士たちは交代の列を整え、貴族の馬車は磨かれた車輪で石畳を滑っていく。
この都市では、誰もが何かへ向かっている。
立ち止まることの方が、かえって目立つのかもしれない。
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「本日は王都冒険者ギルドですね」
朝食の席で、アルトが言った。
「ええ」
セラフィスは既に手帳を開いている。
「学院試験まで残り六日。資金面、情報収集、実戦訓練、そして街近郊の事情把握。ギルド訪問は合理的です」
「最後の言い方だけ少し冷たいですね」
「ギルドは感情で動く場所ではありませんので」
「偏見がございます」
「経験則です」
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ルナはパンを口にしながら小首を傾げた。
「王都のギルドって、ルゼルスと違うの?」
「かなり違います」
セラフィスが即答する。
「辺境は生存のための実力主義。王都は制度化された組織主義。規模も利権も情報量も段違いです」
「難しい」
「つまり面倒です」
「その説明の方が分かりやすい」
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ヴァルクは黙って食事を終えると立ち上がった。
出発の合図だった。
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王都冒険者ギルド本部は、中央区と商業区の境目に建っていた。
王都の建物らしく大きい。だが華美ではなく、堅牢さを前面に出した石造建築である。厚い壁、広い玄関、訓練用の裏庭らしき敷地。入口には剣と盾を象った紋章。
力を売る者たちの家に、余計な装飾はいらないのだろう。
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中へ入ると、空気が変わった。
酒と革と鉄の匂い。
笑い声、怒鳴り声、依頼説明の声、椅子を引く音。
辺境ギルドと似ているようで、しかし決定的に違うのは人の密度だった。
広いホールに、百を超える冒険者がいる。
しかも装備の質が高い。
王都所属の実力者たちだ。
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「……こわい」
ルナが小声で呟く。
「大丈夫です」
アルトが穏やかに言う。
「噛みつくのは一部です」
「一部いるんだ……」
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受付へ向かうと、若い職員が丁寧に頭を下げた。
「ご用件をお伺いします」
「ルゼルス辺境都市ギルド長、シルヴェスター殿から紹介状を預かっております。王都ギルド長へお渡しいただけますか」
アルトが封書を差し出す。
職員の顔色が少し変わった。
辺境の元S級ギルド長シルヴェスター。その名は王都でも知られているらしい。
「少々お待ちください」
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待つ間、周囲の視線が集まり始める。
黒髪の穏やかな青年。
異様に整った執事。
無言の剣士。
可憐な少女。
どう見ても普通の冒険者パーティではない。
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「おい、あれ貴族の道楽か?」
「いや、護衛付き家庭教師だろ」
「執事だけで強そうなのが腹立つな」
「女の子かわいい」
「最後の発言だけ純度が高いですね」
セラフィスが呟いた。
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やがて奥から一人の男が現れた。
五十代半ばほど。筋骨隆々。灰髪を後ろへ撫でつけ、鋭い眼光を持つ。片頬に古傷。重厚な外套を肩へ掛けている。
歩くだけで周囲が少し静かになる。
この場の中心に立つ者の気配だった。
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「ギルド長のガレス様です」
職員が小声で告げる。
男――ガレスは一行の前で立ち止まり、封書をひったくるように受け取った。
「ルゼルスの酔いどれからだと?」
「失礼ながら、その認識は概ね正しいかと」
アルトが答える。
ガレスは鼻を鳴らし、封を切った。
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数秒、目を走らせる。
眉が動いた。
「……ほう」
さらに読む。
「……ほう?」
最後まで読み終え、封書を畳む。
「ふざけているのか、あの男は」
「内容次第ですね」
「“見た目に騙されるな。三人とも面倒なくらい強い。できれば刺激するな”」
ホール内がざわついた。
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「さらに、“黒髪の男は笑ってる時ほど何考えてるか分からん。銀髪は礼儀正しい顔で毒を吐く。無口の剣士が一番話が早い”……」
ガレスは封書を閉じた。
「随分楽しそうに書いてあるな」
「友情表現でしょう」
「違う気がするがな」
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ガレスは改めてアルトを見る。
頭から足先まで観察するような視線。
「お前が黒髪か」
「おそらく」
「ふざけた返答だ」
「よく言われます」
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「正直に言う」
ガレスは腕を組んだ。
「半信半疑だ。シルヴェスターの目は確かだが、酒も確かに入っている」
「妥当な評価です」
「気に入った。否定しない奴は嫌いじゃない」
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彼は少し考え、それから受付奥へ顎をしゃくった。
「来い。立ち話では済まん」
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通された部屋は応接室兼会議室らしかった。
地図、依頼書、魔物分布図、王都近郊の地形模型。
王都ギルドがただの斡旋所ではなく、治安維持の一角を担っていることがよく分かる。
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ガレスは椅子へ座り、一枚の地図を机へ広げた。
「試したい」
「私たちを、ですか」
「そうだ」
「でしょうね」
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地図には王都北西部の山地が描かれていた。
「最近、この一帯で異常が起きている」
赤印が三つ。
「採集隊が戻らん。巡回兵が負傷。中位魔物が群れを捨てて逃げている」
「上位種の移動兆候ですね」
セラフィスが即答した。
ガレスの片眉が上がる。
「話が早いな」
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「原因は未確定だが、山頂付近に強力な個体が住み着いた可能性が高い」
「龍ですか」
アルトが自然に問う。
ガレスは目を細めた。
「可能性はある。少なくとも、そこまで行かずとも何かいる」
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ルナはごくりと唾を飲んだ。
龍。
絵本の中の存在だと思っていた。
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「通常なら調査隊を編成する。だが今は学院試験時期で街の警備を減らせん。貴族行事も重なって兵も割けない」
ガレスは机を指で叩く。
「そこで特別依頼だ」
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「内容は二つ」
指を一本立てる。
「王都北西山地の異常調査」
もう一本立てる。
「必要であれば討伐」
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「報酬は高額。身分保証もつける。失敗しても責任は問わん」
ガレスはアルトを見据えた。
「受けるか」
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部屋が静かになる。
外の喧騒が遠い。
アルトは少しだけ考えるように視線を落とし、それからルナを見る。
「どう思いますか」
「え、私?」
「ええ」
「わ、わからない……けど」
ルナは小さく拳を握った。
「勉強だけじゃなくて、ちゃんと強くなりたい」
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アルトは微笑んだ。
「十分です」
そしてガレスへ向き直る。
「お受けしましょう」
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ガレスは鼻で笑った。
「即決か」
「悩む理由が少ないもので」
「死地かもしれんぞ」
「その場合、現地で再評価します」
「肝が据わってるのか、ずれてるのか分からんな」
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ヴァルクが静かに一礼する。
セラフィスは既に必要物資を脳内で計算している顔だった。
ルナは緊張しながらも、どこか目を輝かせていた。
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ガレスは紹介状を机へ置く。
「シルヴェスターめ……また面白いものを寄越しやがって」
その声音には、疑いと同じくらいの期待が混じっていた。
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王都へ来て初めての依頼。
それは歓迎の花束ではなく、山に潜む災いだった。
だが、彼らにとってはその方が自然だった。




