表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界最強の引きこもりは、人と生きる意味を知る  作者: わまたよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/30

第二話 学びの道、風の中で

 旅は、歩くだけのものではない。


 地図の上では一本の線に過ぎぬ街道も、実際に進めば幾つもの表情を持っている。朝露に濡れた草原、昼の陽に白く乾いた石畳、夕暮れに影を伸ばす林道、夜の帳に沈む野営地。


 そして、そのすべてが時間だった。


 時間とは、ただ過ぎるものではない。


 使うものだ。


 少なくとも、セラフィスにとっては。



「主様。ルナ様。起床のお時間です」


 夜明け前の宿屋で、静かな声が響いた。


 窓の外はまだ薄青く、鳥の声すら目覚めきっていない。


 だがセラフィスは既に整った執事服を纏い、紅茶の香りを連れて立っている。


「早くありませんか」


 寝台の上でアルトが目を細める。


「遅いくらいです」


「旅人の朝とは思えませんね」


「学徒の朝です」


 有無を言わせぬ返答だった。



 ルナは毛布の中でもぞもぞと丸くなっていた。


「……あとちょっと」


「その“あとちょっと”が人を堕落させます」


「だらくってなんですか」


「今の状態です」


 ルナはしばらく考え、それから渋々起き上がった。


 寝癖のついた髪のまま欠伸をする姿は、まだ年相応の少女だった。



 朝食前の一時間は、読み書きの時間となった。


 宿の食堂の片隅。まだ客も少ない静かな卓上に、板と紙束が広げられる。


「本日は地理名詞です。王都周辺の都市名を十個」


「じゅ、十個……」


「旅の最中だからこそ実践的です」


 セラフィスは容赦がない。



 ルナは舌先を少し出しながら、慎重に文字を書く。


 王都ソルレイア。


 東方港湾都市ミレナス。


 学術都市レクシオン。


 農業都市ファルネ……


 拙さは残る。だが線は迷わず、文字の形も既に整い始めていた。


 数か月前、名前すら書けなかった少女とは思えぬ速度だった。



「早いですね」


 アルトが感心したように言う。


「記憶定着率が高すぎます」


 セラフィスは紙面を見つめたまま答えた。


「通常、昨日教えたものは三割ほど抜けます。ルナ様は一割も抜けていない」


「褒めていますか」


「事実を述べています」


 ルナは少しだけ胸を張った。



 朝食後、一行は再び街道へ出た。


 春の陽はやわらかく、空は高い。旅人たちの列が前後に続き、馬車の車輪が乾いた音を立てる。


 ルナは歩きながら、昨夜覚えた都市名をぶつぶつ復唱していた。


「努力家でもありますね」


 アルトが言う。


「才能ある者が努力するのは反則です」


 セラフィスの言葉に、ヴァルクが珍しく短く笑った気がした。



 午前中は礼儀作法の時間となった。


「王都学院には貴族子女も多く在籍します」


 セラフィスが歩きながら説明する。


「ゆえに最低限の礼節は必要です。まず、歩き方」


「歩き方?」


「はい。背筋。視線。足運び」


 ルナは言われた通り姿勢を正す。


 すると不思議なことに、少しだけ自分が違う人間になった気がした。



「次に挨拶」


 セラフィスは優雅に一礼する。


 風に揺れる銀髪さえ計算されているようだった。


「お初にお目にかかります。ルナ・アル――」


 彼は一瞬止まり、にこやかに言い直した。


「ルナ様、どうぞ」


 ルナは首を傾げる。


「なんで止まったんですか」


「お気になさらず」


 アルトは咳払いをして空を見た。



 ルナは見よう見まねで礼をする。


 浅い。


 頭だけ下がっている。


「腰からです」


「こう?」


「そうです。視線は落としすぎず」


「むずかしい……」


「貴族は姿勢で半分判断します」


「やだなぁ」


 率直な感想だった。



 昼前、小川のほとりで休憩となる。


 ヴァルクが水を汲み、アルトが食料を分け、セラフィスは紙束を広げた。


「休憩では?」


「魔法理論の休憩です」


「意味がわかりません」


 アルトが真顔で言った。



「魔法とは何か」


 セラフィスは小石を一つ摘み上げる。


「イメージ、魔力、構造理解。この三つで成り立ちます」


 小石がふわりと浮く。


 次いで、水面へ静かに落ちる。


「浮かせたいと願うだけでは足りない。どう浮かせるか理解し、必要量を流し、形を保つ」


 ルナは真剣な目で見ていた。



「では、火球を出すには?」


「火を……作る?」


「半分正解です。熱、燃焼、形状、飛翔。そこまで意識できれば上達が早い」


「そんなに考えるんだ……」


「考えず撃てる者は天才です」


 そこでセラフィスはルナを見た。


「……まあ、世の中にはいますが」


 アルトは聞こえないふりをした。



 ルナは掌を前へ出す。


 小さく息を吸う。


 熱。


 灯り。


 丸い形。


 ぱち、と火花が散った。


 次の瞬間、豆粒ほどの火が生まれて消えた。


「出た!」


 ルナが跳ねる。


 アルトも拍手した。


「素晴らしい」


「早すぎません?」


 セラフィスが真顔になった。


「初歩魔法の感覚習得に通常数日、早くて半日です」


「今、十分ほどでしたね」


「……少々腹立たしいですね」


「褒めていますか」


「半分ほど」



 午後は武術基礎。


 街道脇の草地で、ヴァルクが木剣を構える。


「足」


 それだけ言う。


 ルナは構える。


「違う」


「えぇ……」


「腰」


「えぇ……」


「肩」


「いっぱいある!」


 珍しくヴァルクの口数が多い。


 それだけ真剣なのだろう。



 彼の指導は簡潔だった。


 だが的確だった。


 一つ直されるたび、木剣は振りやすくなる。足は安定し、視界が広がる。


 身体というものは、正しく使えばこんなにも軽いのかとルナは驚いた。



「打て」


 ルナが振る。


 木剣同士がぶつかる。


 衝撃で手が痺れる。


 だが以前のように落とさない。


「もう一回」


 振る。


「もう一回」


 振る。


「もう一回」


「鬼……」


 アルトが遠くで茶を飲みながら言った。


「良い教育です」


「他人事ですね」



 夕刻、街道の先に王都方面から来た豪奢な馬車列が見えた。


 紋章付きの車体。護衛騎士。磨かれた鎧。


 道を譲るため、一行は端へ寄る。


 馬車の窓が少し開き、中から同年代らしき少女が外を覗いた。


 白い肌。整った衣服。高貴な育ちが一目で知れる。


 彼女はルナと目が合うと、不思議そうに瞬いた。


 そして小さく手を振った。


 ルナは慌てて振り返した。


 馬車はそのまま去っていく。


「誰だったんでしょう」


「貴族関係でしょうね」


 セラフィスが淡々と答える。


「王都では珍しくありません」


 ルナは去る馬車をしばらく見ていた。


 同じくらいの年頃に見えた。


 けれど世界が違うようにも思えた。



 その夜、宿へ着く頃にはルナの足取りは重くなっていた。


 学び、歩き、戦い、考える。


 一日は長い。


 食堂で椅子へ座るなり、彼女は卓へ突っ伏した。


「つかれた……」


「よく頑張りました」


 アルトが頭を撫でようとして、途中で止める。


 まだ完全に慣れていないことを思い出したのだろう。


 だがルナは自分から少しだけ頭を寄せた。


 ほんの一瞬。


 それだけで十分だった。



 食後、セラフィスは今日の記録を紙へまとめていた。


「どうでした」


 アルトが問う。


「想定以上です」


 珍しく即答だった。


「文字習得速度、魔法感覚、身体操作。いずれも高水準」


「学院でも通じますか」


「ええ」


 セラフィスは静かに頷く。


「むしろ、上位層でしょう」



 ルナは窓辺で星を見ていた。


 遠い王都の空も、きっと同じ星が浮かんでいる。


 そこへ行く。


 学ぶ。


 知らない人々に会う。


 少し怖い。


 けれど以前の恐怖とは違った。


 これは、扉の前に立つ怖さだった。



「眠る前に一つ」


 セラフィスが声をかける。


「王都学院で最も大切なことを教えましょう」


「なに?」


「周囲に流されないことです」


「なんで?」


「天才も凡才も、貴族も平民も、皆が自分を大きく見せたがる場所です」


 彼は微笑んだ。


「ルナ様は、ルナ様のままでよろしい」



 ルナは少し考え、それから頷いた。


「……うん」


 その返事は小さかったが、確かな芯があった。


 旅の道はまだ続く。


 だが少女の中では、もう新しい世界への歩みが始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ