第十一話 買うか、壊すか
広場の喧騒は変わらず続いていた。
檻の並ぶ裏市場では、値札と怒号と笑い声が絶えない。人が人を品定めし、金貨の枚数で尊厳の重さが決められていく。
その空気の中で、アルトたち三人の周囲だけが妙に静かだった。
商人はそれに気づかない。
いや、気づけない。
長く他人を踏みつけて生きてきた者には、自分の足元が崩れる音が聞こえないのだろう。
「お客さん、こいつぁ掘り出し物だ」
男は腹を揺らしながら檻を蹴った。
鉄格子が鳴る。
中の少女――ルナの肩がびくりと震える。
それでも彼女は声を出さなかった。
泣きもしない。
叫びもしない。
ただ、冷えた瞳で世界を見ていた。
「見りゃ分かるだろ、その髪色。帝国系の上流に多い銀混じりだ。顔立ちも整ってる。育てりゃ値が跳ねる」
ルナの顎を棒で持ち上げようとする。
その棒が途中で止まった。
ヴァルクが握っていた。
木の棒がきしむ。
商人の顔色が変わる。
「な、なんだ兄ちゃん」
「汚い手だ」
低い声だった。
棒が粉々に砕ける。
周囲の客たちがざわめき、一歩距離を取った。
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セラフィスが穏やかな笑みのまま問う。
「主様。合法的に買いますか。違法に壊しますか」
言葉だけ聞けば冗談のようだった。
だがその瞳は笑っていない。
アルトは檻の中の少女を見つめたまま答える。
「両方で」
商人が眉をひそめる。
「……は?」
アルトはようやく男へ視線を向けた。
「あなたから彼女を買います」
一拍置く。
「そのうえで、あなた方を壊します」
丁寧な口調だった。
だからこそ、商人の背筋に冷たいものが走った。
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「な、何言ってやがる!」
男は虚勢を張るように声を荒げる。
「ここは正式な市場だ! 許可証もある! ギルドも衛兵も黙認してんだよ!」
「そうでしょうね」
アルトは淡々と頷いた。
「表向きは合法なのでしょう」
「だったら――」
「表向きは」
その一言で、男の喉が詰まる。
セラフィスが周囲を見渡しながら告げた。
「北側倉庫に無登録の子供が七名。地下檻に三名。裏路地奥の馬車に拘束済みが二名。加えて偽造契約書、帝国経由の密輸帳簿、買収記録が二冊」
商人の顔から血の気が引いた。
「な、なんで……」
「歩きながら見ておりました」
「見ただけで分かるか!」
「普通は無理でしょう」
セラフィスは微笑む。
「私は執事ですので」
意味不明だった。
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アルトはルナへ近づいた。
少女は身を縮めるでもなく、ただ警戒だけを深めている。
「名前は分かりますか」
返答はない。
唇が乾いて割れている。
声を出す力すら残っていないのだろう。
「では、後で聞きます」
アルトは檻の錠前へ手を伸ばした。
商人が慌てて叫ぶ。
「待て! 金が先だ!」
「そうでした」
アルトは懐から金貨袋を取り出し、男へ投げた。
ずしりと重い音が鳴る。
商人が反射的に受け取る。
中を見た瞬間、目の色が変わった。
「……こ、こんなに」
「足りますか」
「たり……いや、十分だ!」
「では所有権は移転しましたね」
「そ、そうだ!」
男は金貨から目を離せない。
その瞬間、アルトの指先が錠前へ触れた。
音もなく、鉄がほどけるように開く。
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檻の扉が開いた。
ルナは動かない。
逃げていいと言われても、体が方法を忘れているようだった。
アルトは膝をつき、目線を合わせる。
「出られますか」
少女はしばらく彼を見た。
殴られるかもしれない。
別の檻へ移されるだけかもしれない。
その疑いが瞳の奥で渦巻いている。
やがて、かすかに首が動いた。
立ち上がろうとして、膝が折れる。
その体をアルトが受け止めた。
ルナの肩が強張る。
「安心してください」
静かな声だった。
「少なくとも、あなたを商品として扱う者はここにはいません」
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その言葉と同時に、ヴァルクが動いた。
商人の背後へいた用心棒二人の懐へ一歩で入り、柄で鳩尾を打つ。
呼吸が潰れ、男たちは声も出せず崩れた。
さらに振り返りざま、別方向から刃物を抜こうとした三人の手首を打ち落とす。
骨は折れていない。
だが武器は持てない。
「五人」
ヴァルクが短く言う。
「まだいる」
路地裏、屋根上、倉庫陰。
潜んでいた者たちが一斉に飛び出す。
十人近い。
この市場を守る裏組織の人員だろう。
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セラフィスがため息をつく。
「主様、少々散らかします」
「任せます」
次の瞬間、地面に淡い魔法陣が浮かんだ。
円ではない。
幾何学的な線が複雑に重なり、空間そのものへ楔を打つような構造。
「拘束」
短い詠唱と共に、周囲の空気が重く沈む。
襲いかかった男たちの身体が一斉に地面へ叩きつけられた。
「ぐっ!?」
「う、動け……!」
重力魔法だった。
腕も脚も持ち上がらない。顔だけが必死に上がる。
セラフィスはその間を歩く。
「暴力はいけません。服が汚れます」
倒れた男の頭を軽く踏み、気絶させた。
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市場全体が混乱に包まれる。
「何だ!?」
「衛兵呼べ!」
「逃げろ!」
客たちは散り、商人たちは帳簿を抱えて走り出す。
だがアルトは視線だけでそれを追った。
「セラフィス」
「はい」
「証拠は」
「既に確保済みです」
いつの間にか、彼の手には数冊の帳簿と契約書束があった。
「抜かりないですね」
「執事ですので」
今日二度目だった。
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商人は尻餅をついたまま後退る。
「ま、待て……! 話せば分かる!」
「そうでしょうか」
アルトはルナを片腕で支えながら近づく。
「あなたは、話して分かる相手に見えませんでしたが」
「金なら返す! 倍でも三倍でも――」
「必要ありません」
アルトの声は穏やかだった。
「あなたが持つものの中で価値があるのは、帳簿だけです」
商人が叫び、懐から短剣を抜く。
恐怖に追い詰められた者の反射だった。
その刃が振り上がる前に、ヴァルクの手刀が首筋へ落ちる。
男は白目を剥いて倒れた。
「遅い」
それだけだった。
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ほどなくして衛兵が駆けつける。
先頭には辺境伯直属の警備隊長と、息を切らしたギルド職員。
さらにその後ろから、見覚えのある赤髪が飛び込んできた。
「アルトさん!?」
リミアだった。
休日の私服姿のまま、慌てて来たらしい。
広場の惨状を見て固まる。
倒れた用心棒たち。
拘束された商人たち。
開いた檻。
帳簿を抱えるセラフィス。
無表情で立つヴァルク。
そして、痩せた少女を支えるアルト。
「……またですか」
第一声がそれだった。
アルトは少し困ったように笑う。
「今回は比較的穏便です」
「どこがですか!」
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警備隊長は帳簿を確認し、顔色を変えた。
「これは……辺境伯家の印章偽造、帝国商会との裏取引、誘拐名簿まで……」
シルヴェスターも遅れて現れ、書類を覗き込んで唸る。
「大物だな。街の膿が詰まってやがる」
アルトを見る。
「お前さん、採集依頼よりこっちの方が得意なんじゃねぇか」
「偶然です」
「その偶然で毎回街が揺れるなら困る」
だが口元は笑っていた。
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衛兵たちが商人を連行し、檻の人々を解放していく。
泣き崩れる者。
信じられず呆然とする者。
逃げるように去る者。
ルナだけはアルトの袖を微かに掴んでいた。
離れればまた戻されると、本能が告げているのだろう。
アルトはそっと言う。
「もう大丈夫です」
少女は答えない。
だがその手は離れなかった。
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リミアがしゃがみ込み、ルナと目線を合わせる。
「こんにちは。怖かったね」
ルナはびくりとしたが、女性の柔らかな声に少しだけ緊張を緩める。
「この人たち、変ですけど悪い人じゃないから」
「フォローになっていませんよ」
アルトが言う。
「事実です」
リミアは即答した。
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夕方、広場から人が消えた後。
アルトたちは宿へ戻る道を歩いていた。
ルナはセラフィスの外套に包まれ、ヴァルクの背に乗っている。軽すぎて、彼は何も言わない。
「主様」
セラフィスが静かに問う。
「拾われますか」
「人聞きが悪いですね」
「育てられますか、という意味です」
アルトは少し空を見た。
人と関わる価値はあるのか。
その答えを探して旅へ出た。
ならば、目の前のこの小さな命を見過ごして何を知るというのか。
「ええ」
彼は答える。
「この子と、生きてみましょう」
ルナは背中の上で、微かに目を開いた。
その瞳の火は、まだ消えていなかった




