3/4
*
そうだなぁ、という彼女の小さな呟きは、「そういうことじゃない」と繰り返す代わりに出てきたもののようだった。
「うん、怒っているね。怒っているから、私が大学へ進学し、先生になるまでにした血の滲む努力を、ちょっとだけ見せてあげようかな」
そう言ってごそごそとポーチの中を探る。どこか嬉々とした様子が感じられるのを見るに、最初から、この話題になることを期待していたようでもある。
自分から話したいと思えるだけ、彼女にとってそれが取るに足らない話題になっているならよいことだが、俺にとってはまだまだ仕返しのひとつと感じられてしまう。俺の感じ方に気づかない彼女ではない。
「これを持ち歩くようにしているの」
差し出してきたのは、細長いしおりのような形のボール紙。一見すればただのしおりなのだが、そうではなく、工夫がなされている。
紙の中央が細長く切り抜かれているのだ。白い紙面の向こう側、テーブルの茶色が覗いている。
「これを使えば、読みたい一行を集中して読むことができるの。ぱっと見たときの情報量が多すぎるから文章がダメだったみたいで、分析するみたいに少しずつ見ていけば意味も理解できたんだ。それでも、一般的な人に比べれば読むのは遅いし、読解力もイマイチなんだけどね」
彼女は大学を卒業したばかりだから、卒業論文を書いていた時期にこの自作の道具を幾度となく使用していたと思われる。でも、目の前にあるそれに汚れや傷、折れた跡などはあまり見られない。新しく作ったばかりなのだろう。
つまり、これをボロボロになるまで使っては作りなおすことまで、彼女の日常の一部であるということだ。
「大学入試でも使っていたのか?」
「うん、私の場合は診断書があったから、配慮を願い出ればそれなりに応じてくれる大学はあったよ。ダメって言われたら、その時点で願書を取り下げてやったけど」
「……強いんだな」
つい口を突いて出たその一言を、赤松は聞き逃さなかった。
「ひとりでそうなれるわけではないよ」
これもまた、「そういうことじゃない」と俺を責める言葉なのだろう。
*
中学二年の修了式の日だった。
学年末までの課題を提出しなかったものだから、漆原にこっぴどく叱られ、放課後に居残ってマンツーマン指導を受けてそれを提出した。二時間も絞られた。それでも解けたのはたった数問で、あとは答えを写すことを許された。
去年の担任は、時間がないからそれで仕方がないと言った。今年の担任だったら、何と言っただろうか。わずか数問を解いただけで、よくできたと言ってくるのだろうか。
楠本のことを思い出したら、少しだけイラっとした。
彼は俺がふざけたり屁理屈を言ったりしたら叱責してきたが、一桁の答案を受け取ったとしてもむしろ「よくやっている」と言うばかりだった。へらへら、なよなよした感じは、一年間過ごしていてもずっと変わらなかった。
気に入らない。
くたびれていたので早足に通学路を歩いていると、赤松が交差点で立ち止まって、信号が青色に変るのを待っていた。背中を見るだけでも、その視線が桜の木が作る影に向かっていることがわかった。
赤松は、中学三年への進級を東京で迎えることが決まっていた。父の転勤の都合なのだそうだ。転校するとなると手続きやら何やらが色々と忙しいようで、彼女が職員室に呼ばれる回数は増えていた。きょうも長々と居残っていたらしい。
もともとよく呼び出されていたのだ、頭が悪いと学校を変えるのも大変なのだろう。だって、どの学校でも厄介者扱いされて当然なのだから。
「おい、赤松」
隣に並んで声をかけた。気がついた彼女は、不意を突かれたのか、びくりと肩を揺らして一歩身を引いた。
二年間さんざんからかってきたのだから、俺を見てそのようなリアクションをするのは自然なことだ。むしろ、転校が決まったあとのお別れのあいさつでも、間抜けな顔で気持ちのこもらない言葉を並べた彼女が、俺に対してだけははっきりと反応を示すようになっていたのが面白く感じられていた。
「最後の日まで大変だな。次の学校でも勉強頑張れよ、日本語読めるように俺も応援してやるよ」
すると彼女はまた、困り顔で笑みを浮かべる。
いつものことだ。
最後の日でも、いつも通りだ。
漆原に絞られたこともあって、イライラがつん、と頭のてっぺんをつついた。
「何それ、ラブレターでももらったのか?」
俺はふと目に付いた、赤松のポケットから覗くものを抜きとった。「あっ」と声を漏らしても遅い、次の瞬間俺は右手を高く上げて、背の低いのろまに取り返されることのないようにした。
「待って、返して」
「封筒? ああ、楠本が書いたのか。読んでやるよ、お前には読めないだろ?」
封はされていなかったから、中に入っている便箋を抜きとるのは簡単だった。後ろ歩きで赤松から距離を取って、ぱっとそれを開く。
「ダメ、見ないで! お願いだから!」
赤松の叫ぶ声に自分の口角が上がっていくのを感じた。怒ればいいのに、どうしてそうしないのやら。
楠本の字は丁寧で読みやすい。それが国語の教師らしさを感じさせる唯一のポイントだ。手紙は「前略」で始まっていて、その先に何が書いてあるかといえば――
赤松ではないが、俺は手紙を読むことができなくなっていた。
とんでもないものを読んでいるような気分になっていたから。
これが漆原の言っていた秘密。
目に留まった「障害」の二文字が俺の奥深くに焼き付けられた。
*
「楠本先生のおかげもあって、私は大学生になれた。これは間違いない。
あの日栃尾が勝手に読んだ手紙は、先生が東京の学校の先生に向けて書いたものだったの。封筒の宛名、見ていなかったでしょ? あれはね、私が文字を読めないことについて必要な工夫やいままでやってきたことを知らせるためのもので、『親御さんと中身を確認して、必要だと思ったら次の学校の先生に見せるといい』って渡してくれたんだ。手紙のおかげで次の中学校では丁寧に対応してもらえて、高校受験やその後の高校生活でも、困ることはあってもかなり楽に過ごさせてもらったよ。大学に進学できるなんて、夢にも思わなかったのに。
東京に行くまで、学習障害のことは先生方にだけ伝えて、あとはなるべく秘密にしてもらうことにしていたの。診断は東京に行く前から受けていたんだよ。でも、ほら、ここは田舎だから。『赤松さんちの子はね』って噂になるのが嫌だったんだ、私も、親も。だから、できるだけ同じ教室で授業を受けた。先生たちはもっと方法があるとは言っていたけれど、ちょっと怖くてね。過敏だったのかもしれないけれど。
あ、でも、定期試験だけは将来に関わることだから、別室で集中して解いていたよ。本当は、先生に読み上げてほしかったな。ひとりで解いても、読めないものは読めないし、文字を思い浮かべて書く手も覚束ないから、ひどい点数ばかり取って。まあ、先生方も試験中は忙しいから、無理は言えなかったんだけど。
いま、栃尾は私に怒っているか訊いたよね。もちろん、怒っていたよ。というか、悔しかったかな? 私は、ほかの子たちと比べて文字が読めなくて書けないだけで、理解力は変わらなかったから。それなのに、診断を受けるまでは、親も先生も、同級生も、私のことを散々頭の悪い子扱いしたよ。まあ、怪我の功名とでもいうのか、言われるのには慣れていたから、黙って悔しがっていればそれで平気だった。栃尾やほかの同級生に、学習障害がバレるほうが何倍も嫌だったし。
だから、いまの私があるのは楠本先生のおかげ――正確に言えば、手紙を書いてくれた楠本先生が筆頭っていうだけで、どの先生にも感謝しているんだけれどね。もちろん、漆原先生にも。
あえて筆頭にするだけ、楠本先生はすごく素敵な先生だったんだよ。栃尾はあまり好きじゃなかったみたいだから、どこが良いのかわからないのかもしれないけれど。まあ、いまなら少しくらい、わかるようになったんじゃないかな。
だって、栃尾も似たような経験、たくさんしたんじゃないの?」




