第31話 偽りの愛
朝の風は冷たく、肺に入ると意識がはっきりする。ラインブリースの外れ。静かな牧場地帯。緩やかな坂道。踏み締める足音と呼吸だけが規則的に続く。
ラットの身体能力は低い。だからこそ、訓練は怠らなかった。日課として、今日も、まだ誰もが寝静まる朝方、走っている。
視界の端に動きが入る。
ここは牧場だ。柵の中で家畜がゆっくり動いている。その間を、小さな影が忙しく動き回っていた。
ラットは足を緩める。
ポニが家畜たちの中心に立っていた。腕を軽く振ると、小鳥がその動きに合わせて群れを誘導する。チリリだ。家畜が自然とまとまり、餌の方へ流れていく。
ラットは近づく。
「おはようございます」
ビクッ__
ポニの身体が跳ねる。
(どうやら驚かせてしまったようだ)
ポニは振り返り、何事もなかったように笑顔で挨拶をした。
「ラットさん、おはようございます」
ピュイ__
チリリがポニの肩に止まる。
「犬ではなく、鳥なんですね」
牧羊犬、ではなく、牧羊鳥といったところか。
クスクス__
ポニが笑う。
「そうなんです」
チリリを指であやしながら話し出す。
ポニがいうには、
あるとき、ポニが家畜たちの世話をしようと納屋に行ったところに、
このチリリが寝ていたとのことだ。
そのときに一緒に遊んだことによってポニへと懐き、
それから居ついて、
いつの間にか動物の誘導もしてくれるようになっていたということだった。
チリリが軽く羽ばたく。
ポニが指先で示す。
「チリリ、ご挨拶」
羽を広げ、鳴いた。
「ぴぃー」
ついラットも小さく頭を下げる。
「おはようございます……」
少しの沈黙。風が通り抜けた。
「ラットさん、お早いんですね」
「僕は日課の走り込みです。皆さん、すごい方ばかりですから、町や村ではこうして感覚をなくさないようにしているんですよ」
「精が出ますね」
ポニは満面の笑みで労ってくれる。それだけで、疲れが吹き飛ぶような感覚さえ覚える。
「お食事はどうなさいますか?」
「もしかしたら今日は……いえ、時間が合えば、伺いますね」
そう。
これからどう転ぶのか、わからない。
ロック……
正直なところ、杞憂に終わる可能性は十分ある。
「それでは、行ってきます……」
ラットは真剣な表情でその場を後にした。
「いってらっしゃい……」
ラットの突然の表情の変化に何かを感じとったのか。ポニの挨拶も少しだけ歯切れが悪かった__。
*
ラットは再び走り出す。
通り抜ける風。
再び刻まれる足音と呼吸__。
ポニの姿はみるみる小さくなっていく。離れたところには、人気のない森。ポニとは逆で次第に大きくなっていく。
(そろそろ村外れか。やっぱり杞憂だったかな)
そう思ったのも束の間。
違和感__。
空気を裂く音。
風の流れが歪んだ。
ラットは地面を蹴り、横へ跳ぶ。
(来た!!)
直後、地面が抉れた。長く真っ直ぐに伸びた弾が通り過ぎ、地面に一直線に跡を残す。
着地し、転がるラット。立ち上がり、周囲を見る。
「やあ、ラット」
意外だった。次の攻撃を警戒し、鞄に手を入れていたのに。
来たのは攻撃ではなく、言葉__。
現れたロックは、さらに続けた。
「腕は鈍ってないみたいだね」
ラットは警戒を怠らない。無言のまま、ロックの次の行動に注意を払う。
「おいおい、つれないね。せっかく、話をしようとこうして近くに来たのにさ」
「話……?」
視線がまっすぐ向けられる。
「王城ではゆっくり話せなかったじゃないか。一度は道を同じくした仲間だ。殺す前に、話しておきたかったんだよ」
「僕と話したかったの?」
ロックが笑う。
「意外か?」
「正直、女性にしか興味がないと思ってた」
「ああ、好きさ。だけど、狙撃して終わりじゃ、俺としても寂しさがあったんだ」
少しの間。ロックはラットの表情を窺うように目を逸らさない。
「俺は影に潜んで遠距離から敵を撃ち抜く。お前は姿を眩ませ、陰ながら勝ちに導く」
視線が交差する。
「似てるのに違う……」
冷静な呟き。
「俺がスマートな戦い方なのに対して、お前のそれはとても泥臭い」
次第に熱が入る。
「パーティのために、泥にまみれ、ほこりにまみれ、ひたすらに影を演じ、自分のすべてを出し尽くす!!」
ロックは高らかに叫んだ。
「泥臭いのに、とても魅力的だ。男だとしても、一目置かずにはいられなかった」
熱さも束の間。
「パーティの中でも、俺は特に……」
次の瞬間には、冷静さを取り戻し、言葉を発する。
「ラット、お前を買っているんだ」
対等な相手へ向ける、眼差しで。
「……それで、わざわざ姿を見せたの?」
ロックが頷く。
「敬意だよ」
沈黙が流れても、ロックが襲いかかってくる様子はない。嘘ではない。本当に、ラットに対して、敬意を払っている。ラットと、話したがっている。
今ならば。
訊ける、かもしれない。
ラットは、口を開いた。
「聞かせてほしい……」
ロックは耳を傾けてくれる。……訊ける。
「どうして、ヒーロを裏切ったの?」
空気が、変わった。
「裏切った?」
ロックの笑みが、消える。
「どうして、俺が裏切ったと思うんだ?」
鋭い視線に気圧されず、ラットは切り込む。
「王と勇者。人々の敬意は、今、後者に集まっている。パーティの一員であるあなたが助言しなければ、王都側が発言したところで、勇者の国家転覆なんて誰も信じない」
「本当に転覆を狙っているかもしれないじゃないか」
「王都側が提示した理由……あれが間違いなのはロックも知ってるだろ!」
ヒーロが各地を飛び回ったり、情報収集をしたりしているのは、元の世界に帰るため。断じて、国家転覆を企んでいるためではない。あからさまな偽りを聞かされたところで、到底納得できる訳がない。
「ロックが裏切っていないと言うのなら、ヒーロの方が裏切ったということになる。本当にそうだと言うなら、納得できる根拠を提示してくれ」
言葉が荒れる。
ラット自身、ロックの裏切りは信じたくなかった。だからこそ、熱が籠った。
「……そうだな。俺はお前たちを裏切った」
聞きたくなかった言葉が、聞こえた。
「いいぜ、教えてやる」
しかし、とうとうはっきりする。
「俺は……」
ロックが裏切った理由、それは……
「愛に生きることにしたんだ」
ロックは、確かに、そう言った。
「…………は?」
意味が、わからなかった。
真意を理解するために、ラットは思考を巡らせる。
「ロックがパーティに入ったのは、世界中の女性を救うため、戦争の早期終結のためだよね」
ロックの目的は……
「戦争とは言え、魔族が人間族の女性を襲っていたのを憂いて、力を貸してくれた」
変わっていない。
「実際、魔王を倒すことで、戦争を早期に終結させた」
信じたかった。
「被害だって、僕たちは一般の魔族や逃走する魔族に手を出していない。最小限に留めたはずだ」
しかし、ロックは首を横に振った。
「戦争が終わってみて、俺は思ったんだ」
語られる。
「確かに戦争は終結した……。だが、それにより、火の国は他の三国から圧力をかけられ、気の休まらない日々……」
ロックの想い。
「どころか、手柄欲しさに軍を率いて侵攻し、小さな集落を滅ぼそうとする奴らまで現れた」
ロックの悲嘆。
「争いの噂を聞くたび、軍の侵攻の情報を聞くたび、駆けつけては鎮静化させた。けれど、火種はすぐ生まれる。何度も、何度も、何度も……」
ロックの絶望__。
「こんな状態が、俺が望んだことなのか?」
ラットは思う。
「そんなときに気づいたんだ。魔王が死んで、火の国にはもう大した力はない。次は風の国だと」
なぜ、そこまで追い詰められるまで……
「一方的に力があるから調子づく」
言ってくれなかったんだ。
「今度は他の国が同様に力を放棄する番だと」
ヒーロなら。
「そうすることによって、世界は均衡状態になる」
僕たち、勇者パーティなら。
「風の国にとっての力が、ヒーロだ」
力になったのに__。
「それならヒーロを裏切るのではなく、協力してもらうのではダメなの?」
「ダメだね。勇者という存在がダメだ。その存在が後ろにあるだけで、調子づく。いざとなれば被害者面して、泣きつけばいいと思ってる」
説得は……
「滅ぼすまで止まらない。人間族は迫害する」
無理なのか。
『自分たちと違う異端には、どこまでも残酷になれる醜い種族だ!!』
ロックの、血を吐くような叫び。それに、
(なんだ……? 今の言葉、どこかで……)
聞き覚えが、あった。
「ロック……」
……思い出した。
ミルから、聞いたのだ。
「背後にいるのは……」
彼女が仲間に誘われたときの……
「魔族だね」
〝トゥーロ・グリード〟の言葉だ__。
「言っていることがめちゃくちゃだよ、ロック」
途中までは、もしかしたら本心なのかもしれない。だが、行動に致命的な矛盾がある。
「ロックの主張はわかる。僕だって思うところはある。だったらなぜ、王都なのさ」
人間族が憎いなら、その統括である王都側に着くのは明らかにおかしい。元々、王都側の行動も強引だった。戦争の予兆。もしかしたら、王都側も既に魔族の手に落ちているのかもしれない。
「それに今の言葉。ロックにそれ吹き込んだのは、〝紫髪の少年〟じゃない?」
「少年? 確かに、そういう奴もいたかも……な。だが、そんな奴はどうだっていい。俺は……愛に生きる。彼女のために生きる。そう決めたんだ……」
(様子がおかしい)
「愛……彼女のため………愛……愛愛愛………」
ぶつぶつと壊れたように呟くロックは、どう見ても普通ではない。
(それに彼女? 女性が関わっているのか?)
女性の名前はわからないが、これだけは言える。
「ロック、その女性は敵だよ。このままだと、また戦争が起きるかもしれない。またたくさんの女性が巻き込まれるよ」
「いいや……、やはりヒーロが悪い……俺の愛を否定するな」
確信に迫っているのか?
魔族……と言うより、その女性を思い出そうとすると、明らかに様子がおかしくなる。
感じていた違和感。
時折見せる認識の混濁。
〝愛〟という言葉。
だが、これは__洗脳ではない。
これは……。
「ロック、〝魅了〟……にかかってるの?」
ロックの乱れていた呼吸が、一瞬止まった__。
洗脳、傀儡、魅了。
相手を操るのにも、いくつかの種類がある。
もっとも強力なのが、対象者の思考を停止させ、完全に思考を使い手の思い通りにする洗脳。
次に、決まった行動パターンを自動で行うようにさせる傀儡。
そして、もっとも効果が弱いのが魅了だ。この魅了は部分的に認識をずらしたり、行動のブレーキをなくしたり、効果がかなり限定される。
洗脳や傀儡と違い、行動の遂行度も対象者の性格に依存する。真面目な者を魅了すれば従順に動いてくれる。反対に、不真面目な者、ルールに縛られない者だと、だらけたり、従わずに想定外の行動をしたりする。良くも悪くも、対象者次第の能力だ。
この魅了の特徴として見られるのが、認識の混濁。魅了により認識をずらされたことで、矛盾が生じる。混乱する。
ロックに感じていた感覚に……当てはまる。
「ふざけるな。俺の愛は本物だ!」
誰かが誘導している。
裏切った自覚がなかったから、あのとき、理解が遅れたのだ。
「……ラット、なんで笑っているんだ?」
ラットは笑みを浮かべていた。
魅了されている。
加護に干渉できる力が関わっている。
王都が魔族の手に落ちているかもしれない。
悪いことは多い。
だけど、今は……。
裏切っていなかった。
それがどうしても頭をよぎる。
笑みが溢れてしまう。
「……もういい」
ロックが魔銃を構える。
「話は終わりだ」
ロックの身体が影に沈む。
次の瞬間。
一帯が光で包まれた______。
※このあとがきはキャラ同士の雑談コーナーです。本編には関係ありませんので、気軽に読み飛ばしていただいて大丈夫です。
ラットです。
リオンだ!
ロック、来たね。
そうだな。
正直、結構緊張してるけど……腹くくるしかない。
どう?
作戦通りいけそう?
それがなぁ……。
俺、我慢するの結構苦手なんだよ。
すぐつられちまうというか。
リオンは、そういう意味でもロックは天敵だよね。
あいつ、誘いとかうまかったからな……。
だけど、やっぱりリオンがいないと勝てないと思う。
……わかった。
任せてくれ!!
ラットの方こそ、よかったな。
ロックが裏切ってなかったんだろ?
それ、ラットにとってはかなり大きかったんじゃないか。
……うん。
それが何より安心したよ。
だけど……
ああ。
勇者パーティにも、抱えてるものはいろいろあったんだろうな。
俺たちって、どうしても〝勇者パーティ=完璧な英雄〟みたいに見てたからさ。
そういう見方も、変えていかないと。
リオン……
次回は、ロックと戦います。
よろしくな!




