第201話 その道の果て
エアリスは、砂の上に倒れ伏していた。
あれほど巨大だった身体は、もはや動かない。
反撃を試みても、男の攻撃に阻まれ続けた。
ただ一方的に、打ち倒された。
倒れ伏したその姿を、男は静かに見下ろしていた。
「……私は怒っているんですよ」
男は、大臣たちへと視線を向けた。
「病気の妹を人質に取り、罪を犯してもいない勇者を襲わせる。そこまでして、自分たちの都合を押し通そうとした」
男の声は、静かだった。
「人の弱みに付け込み、選択肢すら与えず、命令に従わせる」
だが、その声音には、抑え込んでいる怒りが滲んでいる。
「そんなやり方を、私は許さない」
大臣たちが、わずかに身じろぎする。
男は、その反応を冷たく見つめていた。
「このような手段を考えたのは、あなた方ですよね?」
大臣たちは何も答えなかった。
これ以上、男を逆撫でしようものなら、その刃の矛先が自分たちへと向けられるかもしれない。
そう考えると、否定の言葉を口にすることができなかったのだ。
この男の言う通りだった。
大臣たちは、勇者を捕らえるために、使える戦力は少しでも多いほうがいいと考えた。
そこで目をつけたのが、暗殺者たちだった。
正面から勇者と相対するのであれば、騎士団以上の戦力はない。
だが、姿を隠して近づき、不意を突いて襲うのであれば、話は別だ。
そうした戦い方に長けている者こそ、暗殺者たちだった。
勇者は強いと聞く。
捕らえるためには、そのような力も必要となるかもしれない。
大臣たちは、そう判断したのだ。
そして、貴族たちの間で流れていた噂を手がかりに、大臣たちは暗殺者を次々と招集していった。
大半の者は、報酬に応じて集まった。
だが、中にはそれを拒む者もいた。
その者たちに対しては、脅しをかけ、無理やり従わせた。
そうして大臣たちは、必要な戦力を集めていった。
その中の一人が、目の前に立っているアルフェンだった。
病気の妹を抱えるのに目をつけ、人質に取ることで、従わせたのだ。
すべては、魔王軍が世界を統一した後のことを見据えてのことだった。
少しでも有利な立場を得るために、大臣たちは魔王軍への貢献を示そうと、さまざまな策を巡らせていた。
そのためなら、罪のない者を利用することさえ厭わなかった。
だからこそ。
悪いのは、大臣たちなのだ。
エアリスは、そう考えていた。
「ですが……」
男は、一度だけ息を吐いた。
その視線が、大臣たちからエアリスへと戻る。
「あなたも同じですよ」
エアリスの表情が強張った。
「大臣たちが何を言ったとしても、あなたには止めることができたはずです」
大臣たちの命令を退けることも。
妹を人質に取るようなやり方を止めることも。
「あなたは、この国の王でしょう」
国王の立場にいるからこそ、できることだ。
「それなのに、あなたは止めなかった」
大臣たちがどれだけ無理を通そうとしても。
「大臣たちの言葉を受け入れ、私たちを駒として利用した」
最後にそれを許すかどうかを決めるのは、国王自身だ。
「決めたのは、他でもないあなた自身です」
男の表情からさらに温度が消えていく。
「大臣たちに従ったから仕方がなかった。そんな言い訳は通用しません」
男は、まっすぐにエアリスを見据えた。
「あなたが国王として、その決断を下した。紛れもなく、あなた自身の行いですよ」
静かな言葉だった。
だからこそ、その一言は重かった。
「……私は…………」
国王や大臣たちを含め、この国の行く末を決める立場にある者たちは皆、魔族たちに魅了されている。
だが、魅了によって変えられたのは、あくまで認識の一部に過ぎなかった。
魔族に協力すること。
魔王のもとに世界を統一すること。
それらを、疑うことなく受け入れるようになっただけだ。
すべてを奪われたわけではない。
だからこそ。
大臣たちが、勇者を捕らえるために選んだ手段も。
エアリスが、それを受け入れ実行することを決めたのも。
紛れもなく、エアリスら自身の意思によるものだった。
「……ただ……」
それは、同じように魅了されていた勇者パーティの一人であるロックの行動を見ても明らかだ。
ロックもまた、国王たちと同じように魔族に魅了されていた。
勇者を捕らえるように意識を弄られていたことも、変わらない。
そのロックは、人質を取ることをよしとはしなかった。
何を犠牲にしてでも目的を果たそうとはしなかったのだ。
むしろ、妹を人質に取られ、勇者たちを襲うよう迫られていたアルフェンを気にかけていた。
そして、妹を救うために協力していた。
ロックは、何度もエアリスへ進言していた。
人質を取るようなやり方をやめることを。
だが、エアリスはその言葉を聞き入れなかった。
ロックがどれだけ訴えようとも、大臣たちの言葉に従い、その進言を退けた。
ロックの行動は、魅了によってすべての判断を奪われていたわけではないという証でもあった。
だからこそ。
大臣たちが選んだ手段も。
それを受け入れたエアリスの判断も。
紛れもなく自らのものといえるのだ。
「いや……。確かに……そうかもしれないな」
エアリスは、静かに目を伏せた。
これまでの行いを否定することはできなかった。
大臣たちの言葉を受け入れ、ロックの進言を退け、勇者たちを捕らえるために手段を選ばなかった。
それが、自分自身の選択だったことも理解した。
「……だが」
エアリスは、崩れ落ちた身体をゆっくりと起こした。
「私は、一国の王だ」
エアリスの中にある何かが、このまま終わることを許さなかった。
それは、自分がここで降伏を認めれば、この国が敗れたことを認めることになる。
その事実を刻みつけることへの、エアリスなりの反発だったのかもしれない。
「王が、このまま敗れてなるものか」
その言葉とともに、エアリスは懐へと手を入れる。
そして、一つの魔具を取り出した。
「陛下、それはなりません!」
そのとき、意識を取り戻したのか。
アルトヴェルの声が響いた。
だが、エアリスは止まらなかった。
アルトヴェルの制止を振り切るように、エアリスは手にした魔具を強く握りしめた。
「……この力が……あれば…………」
次の瞬間。
魔具から、膨大な魔力が流れ込んだ。
あまりにも強大な魔力に、エアリスの身体が大きく震えた。
「ぐ……っ」
それでも、エアリスは魔具を手放さない。
流れ込む魔力は、制御しきれないほどに膨れ上がっていく。
「……私が……私……が……」
視界が揺れる。
思考がまとまらない。
何を生み出そうとしているのか。
どんな肉体を作ろうとしているのか。
次第に曖昧になっていく。
「あ……あぁ……」
エアリスの瞳から、理性の光が薄れていった。
意識そのものが押し流されていったのだ。
それでも、最初のうちはまだ、戦うための肉体を思い描いていた。
巨大な腕。
鋭い爪。
翼。
強靭な脚。
敵を打ち倒すために必要な力を、必死に思い浮かべていた。
だが__。
今では、それすらもできなくなっていた。
意識が朦朧とし、思考がまとまらない。
浮かんでは消える、断片的なイメージ。
さまざまな人の顔。
さまざまな動物の姿。
これまで目にしてきたものが、脈絡もなく次々と浮かび上がってくる。
それは、もはや戦うための肉体を形作るためのものではなかった。
国王の記憶に残る、さまざまな姿。
神の力は、それをもとに肉体を変化させていった。
たとえ何を作ろうとしているのかさえ、分からなくなっていたとしても。
止まらない。
浮かび上がる無数のイメージを、次々と肉体へ反映させていく。
国王の身体が、大きく膨れ上がっていった。
腕が異常なまでに太く伸び、肩が不自然な形へと広がっていく。
身体のあちこちから、別の生物を思わせる特徴が次々と現れていく。
それらは互いに噛み合うこともなく、ただ無秩序に組み合わされていった。
さらに、手が、足が、翼が、尻尾が、そして顔が……。
無数の異形が、身体の至るところから次々と生え始めた。
その姿は、もはや人とも獣とも呼べなかった。
エアリスは、巨大な肉の塊へと変わり果てていった。
*
ラットは言葉を失ったまま、その姿を見つめていた。
「……これは」
声が、わずかに震える。
これまで見てきた、身体を変化させる力とは明らかに違っていた。
イオーネのように、戦うための力を得るため、身体を巨大化させているわけではない。
そこには、明確な意思も目的も感じられなかった。
ただ、制御を失ったまま。
闇雲に変化を繰り返しているようにしか見えなかった。
「まさか……」
ラットが息を呑む。
そして、その言葉が口から漏れた。
「力の……暴走…………」
その瞬間。
国王の身体が、さらに大きく歪んだ____。
※このあとがきはキャラ同士の雑談コーナーです。本編には関係ありませんので、気軽に読み飛ばしていただいて大丈夫です。




