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第202話 苦難への決着

 膨れ上がる肉体。


 それはもはや、人の形を保っていなかった。


 膨張を続ける肉塊が床を覆い。

 壁へと広がっていく。


 やがて大聖堂の一端までもが、その異形に呑み込まれ始めた。


「父上っ!」


 異変に気づいた王子が、国王のもとへ駆けつけようとする。

 だが、その行く手を遮るように、膨れ上がった肉体から腕が伸びた。


「がはっ!」


 避ける間もなく腕に弾き飛ばされ、王子の身体が壁へと叩きつけられる。

 そのまま床に倒れ伏した。


 ラットたちと、国王を挟んだ反対側。

 壁際にいた大臣たちは、逃げ場を失っていた。


「我々を助けろっ!」


「陛下! お気を確かにっ!」


「いやだ。死にたくない! 誰かっ!」


 伸び広がる肉体が、壁際へと迫る。

 大臣たちは必死に身を寄せ合いながら逃れようとしていた。


「くっ……!」


 ラットたちも救出へ向かおうとした。

 だが、目の前で膨張を続ける国王の身体が、その道を塞いでいる。


 助けに行くことができない。

 そうしている間にも、大臣たちの姿は異形の肉体に呑み込まれていった。


 悲鳴が大聖堂に響き渡る。

 そして、その声すらも肉体の内側へと消えていった。


「いったん……距離をとりますよ!」


 ラットの声に、全員が動いた。

 これ以上ここに留まれば、自分たちまで巻き込まれかねない。


 ラットたちは大聖堂の中央付近まで後退していった。

 その途中、床に倒れていた王子を抱き起こし、意識を失ったその身体をアルフェンへと預けた。


 さらに、立っていることさえ困難なアルトヴェルに肩を貸し、その場から連れ出した。


 背後ではなお、異形と化した国王の身体が大聖堂を侵食し続けている。


 ラットは振り返り、その光景を見つめた。

 もはや、目の前にいるものを国王と呼んでいいのかさえ分からなかった。


*


 部屋の中心付近まで下がったところで、ラットは改めて国王を見つめた。

 そこにあったのは、戦うために作られた肉体ではない。


 国王が持っていた記憶をもとに、神の力が無理やり形を与えただけのもの。

 だからこそ、そこには意思が感じられなかった。


 ただ膨張し、蠢き、目に映るものを壊していく。


 ラットの肩を借りながら、アルトヴェルもその異形を見つめていた。


「陛下……。我々が不甲斐ないばかりに……」


 苦痛に顔を歪めながらも、視線だけは国王から離さなかった。


「父上……」


 王子の口から、かすかな声が漏れた。


 意識は戻っていない。

 それでも父を認識しているのか、その表情には苦しげなものが浮かんでいた。


「このままでは、……まずい」


 アルトヴェルが呟く。


「やはり、あなたもそう考えますか」


「ああ。あの魔具には、大量の魔力が蓄積されている」


 魔具そのものは、ただ膨大な魔力を蓄えているだけらしい。

 だが今、その魔力が神の力へと注ぎ込まれ、国王の記憶をもとに肉体を際限なく形作っているということだった。


「……お前も、何か分かるのか?」


 アルトヴェルが、ラットへと尋ねる。


「詳しいことまでは分かりません。ただ……似たようなことが、以前にもあったもので」


 ラットの脳裏に、ブルンネンで起きた出来事が蘇る。

 あのときも、魔力は制御を失い、異常なまでに膨れ上がっていた。


 だからこそ、今の光景にも覚えがあった。


 ただし、同じではない。

 あのときは、魔力そのものが膨れ上がっていた。


 行き場を失った魔力が周囲へ溢れ出し、そのまま爆発しかけていた。

 だが、今回は違う。


 魔力そのものが暴走しているのではない。

 蓄えられた魔力を糧にして、神の力がひたすらに行使され続けているような状態だ。


「……このまま魔力を使い果たして、力が収束してくれればいいんですが」


 魔力を使い果たせば、当然、それをもとにしている力も次第に落ち着いてくるはずだ。


 だが。


 問題は、魔力の底が見えないことだった。

 いつまでこの力が行使され続けるのか、その片鱗すらない。


 このまま止まらなければ、膨れ上がった肉体は大聖堂を突き破り、やがて城そのものを破壊することになる。


 そして、その先にあるのは〝街〟だ。


 ズルゥゥゥゥゥ________


 異形となった国王の身体が大きく蠢いた。

 何かを求めるように、巨大な腕が持ち上がる。


「……!」


 ラットたちが身構える。

 巨大な腕が振り下ろされ、大聖堂の壁が砕け散った。


 ドオォォォォン________


 轟音が響き、石材が床へと落ちていく。

 それでも異形は止まらない。


 別の腕が伸び、柱を薙ぎ倒す。

 床を覆う肉体がさらに広がり、周囲のものを押し潰していく。


 ただ、もがくように身体を動かし、無秩序に破壊を繰り返していた。


「このまま……もし、街へ向かうようなことになったら……」


 まだ夜は明けていない。

 街の人々は、ほとんどが眠りについている時間だ。


 もし、この異形が大聖堂を出て街へ向かったら。

 逃げる時間などない。


 巨大な身体が建物を壊し、人々を巻き込みながら進めば、それだけで甚大な被害が出る。


「騎士たちは……ここにいる方以外には?」


 ラットが尋ねると、騎士団長が苦しげに顔を上げた。


「……ここにいる者たちで、全員だ」


 つまり、街へ向かったとしても、住民を守るために動ける騎士はいないのだ。

 その光景が、頭の中に浮かんだ。


 そして、仮にこの異変が収束したとしても、問題は残る。


 王都が襲われている間、騎士団は動かなかった。

 そんな事実が人々の記憶に残れば、王家への怒りは避けられない。


 国民からの信頼を失えば、不満はやがて大きなうねりとなる。


 一度失った信頼を取り戻すのは、簡単なことではない。

 それが暴動へと発展すれば、王家が国を治めることすら難しくなるだろう。


 巨大な身体が蠢き、また一つ、大聖堂の壁を破壊する。

 轟音が響き渡るたび、王都の未来が少しずつ遠ざかっていくように感じた。


 もし、このまま止められなければ。


 この国は、終わるかもしれない。


「……頼む……。父上を……とめてくれないか…………」


 かすかな声が聞こえた。


 ラットが振り返る。

 先ほどまで意識を失っていた王子が、ゆっくりと目を開けていた。


「気がついていたのですか?」


「ああ……少し前にな」


 王子は苦しげに息を吐きながら、国王へと視線を向ける。

 その目に映っているのは、もはや父親と呼ぶことさえ躊躇うほどの異形だった。


 それでも、王子は目を逸らさなかった。


「都合のいい頼みだということは……分かっている」


 王子の声には、先ほどまでの王族としての威厳はなかった。

 ただ、必死に何かへ縋るような響きだけが残っている。


「俺たちに対して……、お前たちが思うところがあることは……分かった……」


 王子自身も理解したのだろう。


 大臣たちがアルフェンを苦しめ、利用しようとしていたことを。

 そして、それを止めることができなかった父のことを。


「それでも……頼む……。これからは……、必ず変えてみせるから……」


 それをなかったことにしようとしているわけではない。

 これから変えていこうとしているのだ。


「父上も……自分に王としての器がないことは分かっていた」


 その言葉には、父親を庇おうとする王子の苦悩が滲んでいた。


「それでも、あの人はあの人なりに、必死だったんだ」


 国王として足りないものがあることも。

 自分だけでは判断できないことも。


 だからこそ、大臣たちの意見に耳を傾け、国を動かしてきた。

 けれど、すべてを大臣たちに任せていたわけじゃない。


 大臣たちの言葉を聞きながらも、国王として譲れないところだけは守っていた。


「父上は……よく民のことを話してくれた」


 明らかに多くの民を苦しめるような悪政まで許していたわけではない。


 それは、この街を見れば分かるだろう。

 少なくとも、悪政に苦しめられているような人々には見えない。


「ちゃんと民のことを考えているんだ」


 国王は、誰からも尊敬されるような人物ではなかった。

 それでも、長年にわたって王位にあり続けている。


 それは、民に近い存在だったからかもしれない。


 国王はたびたび街へ足を運び、自ら民の暮らしを見て回っていた。

 王宮から国を眺めるのではなく、民と同じ場所に立とうとしていたのだ。


 だからこそ、騎士団長をはじめ、国王に忠誠を誓う者は少なからずいた。

 王子のいうことは正しい。


 決して、誰からも認められるような王ではない。

 それでも、王として何もしてこなかったわけではなかったのだ。


「……父上に責任があることは分かっている。許してくれとは言わない」


 王子の声がわずかに震える。


「……本当に、お前の件は大臣たちが画策したことなんだ」


 大臣たちが何を企んでいたのか。

 そのすべてを、王子が知っていたわけではないだろう。


 それでも、今ここで父を庇おうとしている。


「父上が……それを望むはずがない」


 王子は拳を握りしめた。


「だから……その父上に、これ以上誰かを殺させないでくれ」


 懇願だった。


 父を救いたい。

 けれど、自分たちには何もできない。


 だからこそ、今できることをラットたちに託すしかなかった。


 ラットは、何も答えなかった。

 それを許すのは、自分ではないと分かっていたからだ。


 巨大な肉体が大聖堂を埋め尽くしていく。

 壁が軋み、床が震える。


 確かなのは、このまま国王の暴走を放置することはできないということだった。

 どうにかして、止めなければならない。


 そう考えた、そのときだった。


「わたし……。いくよ……」


 その巨体を前に、ミルが一歩を踏み出した。


「ミルさん! それに、ラットくん」


 呼び止めたのはアルフェンだった。


 普段と変わらない、落ち着いた声。

 けれど、その瞳にはいつもとは違うものが宿っていた。


「ここは、私とアリエスに任せてくれませんか」


「二人で……ですか?」


「ええ」


 アルフェンが異形を見据える。


「私は、アプリアの代わりよ。もちろん、私自身も許せないけれどね」


 アルフェンたち兄妹は、長い間苦しめられてきた。


 幼い頃から二人と親しくしてきたアリエスにとって、二人はただの友人ではない。

 家族と呼んでもいいほど、大切な存在だった。


 だからこそ、二人を苦しめてきた者たちを許せないのだろう。

 アリエスは、ここにいないアプリアの代わりに、戦うつもりだった。


「ここで、すべて終わらせます!」


 普段は冷静な二人だが、今は明らかに怒りを露わにしていた。


 そして、決着をつけるべく、二人は前に出た。


「構いませんが……」


 ラットは異形を見上げる。

 その巨体は、今もなお膨張を続けていた。


「これは、おそらく特級魔法に匹敵するほどの力がなければ、止められませんよ」


 普通の魔法では届かない。

 それほどまでに、今の国王は巨大だった。


「大丈夫」


 アリエスは迷いなく答えた。


「こういう時のために、考えていたのよ」


「……考えていた?」


「ええ」


 アルフェンとアリエスは、大型の魔物を相手にするのが苦手だった。

 それにより冒険者だった頃、パーティで活動する者たちからは煙たがられていた。


「だから、いつか克服しなければならないと思っていたの」


 アリエスが笑みを浮かべる。


 その声には、決意があった。

 これは、自分たちの苦手とする相手を乗り越えるための戦いでもあった。


「分かりました」


「もし倒し切れなかったとしても、僕たちがいます」


「……ん」


「だから、安心して挑んでください」


 大聖堂を覆い尽くさんばかりに膨れ上がった肉体が蠢き、二人を呑み込もうと、ゆっくりと迫ってくる。


 その巨体を前にしても、怯む様子はない。


 アリエスが静かに魔力を込めはじめる。


 その隣では、アルフェンが手にしたナイフへ魔力を流し込んだ。

 すると、細く伸びた魔力が柄から連なり、ナイフを繋ぎ止めるように伸びていった。


 それを握ると、頭上で大きく振り回し始める。


 円を描くように、ナイフが宙を走った。


 伸びた魔力がしなり、その軌道に合わせてナイフが大きく弧を描いていく。


 唸るような音を響かせながら。


 空気を切り裂いていった______。


※このあとがきはキャラ同士の雑談コーナーです。本編には関係ありませんので、気軽に読み飛ばしていただいて大丈夫です。




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― 新着の感想 ―
読了しました!! 王子の想い……めちゃくちゃ熱い!! 敵だと認識してる相手にここまで頭を下げられるのは本当にかっこいい!見る目が変わりました!! そして街を守れるのか……アルフェンとアリエス!! …
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