第197話 強さを形に
落下するアルトヴェル。
その原因となったのは、翼に触れたアリエスだった。
足場のない空中。
本来なら、そこにいるはずのないアリエスが、アルトヴェルの翼に手を触れていた。
なぜ、彼女はそこにいたのか。
少し前。
アルフェンが、せり上がった岩の上に乗って煙幕を抜けたとき。
そこには、アルフェンだけではなく。
アリエスもいた。
その身を包むのは、カメレオンマント。
周囲の景色に溶け込み、姿を隠すための魔道具だ。
風になびくアルフェンの白衣。
その影に隠れるように、アリエスはじっと身を潜めていた。
景色に溶け込むだけではない。
影へ紛れることで、そこにいることを決して悟られないようにした。
アルフェンが岩から飛び出した後も、アリエスは動かなかった。
ただ、機会を待っていたのだ。
アルトヴェルに隙が生まれる、その瞬間を。
そして。
ラットとアルフェンが、同時に仕掛けた。
アルフェンは、魔力紐を伸ばした。
ナイフを操る魔力紐が空中を走り、アルトヴェルの逃げ道を塞ぐように迫っていく。
そして、ラットが取り出したのは、目回し玉。
空気銃によって放たれたそれが、アルトヴェルへと迫る。
ここで、目的を達せられるのが理想だった。
平衡感覚を失わせ、そのまま落下させることができれば、それでよかった。
しかし、ラットの予想通り、アルトヴェルは甘くはなかった。
アルトヴェルは迫り来る攻撃を見据え、翼を大きく広げた。
二人の攻撃を防ぎ、躱すために。
そして、ことごとく凌ぎきったのだ。
だが、その瞬間。
「今っ!」
潜んでいたアリエスの身体が、空中へと弾き出されていた。
アルフェンと同じように、リパルスを利用したのだ。
狙うのは、アルトヴェルが大きく広げた翼。
翼を広げたからこそ、その陰には死角が生まれていた。
空中を進んだアリエスは、その翼の一つへと手を伸ばす。
手のひらが翼に触れると同時に。
<均衡を崩せ__ディスバランシス>
魔法を付与した。
__ディスバランシス
対象の均衡を崩し、安定感を失わせる付与魔法。
一般的な魔法であるバランシスを元に造られた魔法である。
バランシスは、商人たちが荷台や積荷に付与し、
揺れや衝撃による荷崩れを防ぐために使う魔法だ。
その効果を逆転させたものが、ディスバランシスとなる。
それにより、アルトヴェルの身体から、均衡が崩れていく。
翼を動かし、なんとか姿勢を立て直そうとする。
しかし、それは叶わなかった。
ディスバランシスは、安定感を失わせる程度の魔法だ。
地面に立っているのであれば、多少の揺らぎが生じたところで、足を踏みしめればいい。
身体を支える大地がある限り、崩れた均衡を取り戻すことはできる。
だが、今は空中だ。
足場などない。
それでもアルトヴェルは、翼を動かして体勢を戻そうとした。
その動きが、かえって仇となる。
崩れた均衡を取り戻そうとするほど、身体の揺れは大きくなっていった。
「くっ……!」
アルトヴェルの身体が、さらに傾いた。
翼を広げても、立て直せない。
そのまま身体が回り、頭上だった地面が視界へと迫ってくる。
そして。
アルトヴェルの身体は、地面へと落下していった。
*
煙幕の中。
地面に身体を打ちつけながらも、すぐさま立ち上がる。
「何が起きた……?」
身体が思うように動かない。
足元がふらつく。
翼を広げようとしても、身体の軸が定まらない。
これでは飛べない。
それどころか。
アルトヴェルが足を踏み出した瞬間、砂地に足が沈んだ。
「まずいなっ……!」
砂が足を取る。
先ほどまであれほど自由に動けていた身体が、思うように動かせない。
煙幕の外。
霞む視界の向こうでは、今もなお、ストラトールが戦いを続けていた。
負けてはいない。
だが、空中での攻防においては、明らかに相手のほうが一枚上手だった。
ストラトールが翼を得たのは、神の力によるものだ。
それでも自由自在に飛べるようになったわけではない。
対して相手は、これまで幾度となく空中で戦ってきたのだろう。
空中での間合いも、身体の捌き方も違う。
急場で得た飛行能力だけで、そこまで渡り合えている。
そう考えれば、むしろよく戦えているほうだ。
そんなアルトヴェルの前に、一人の男が歩み寄ってくる。
「どうした、アルトヴェル」
戦況を見つめながら、王子であるルーファルが声をかけた。
「さっきまで優勢だったというのに、随分と苦戦しているじゃないか」
アルトヴェルは答えず、砂を踏みしめる。
王子は、その様子を見て口元をわずかに吊り上げた。
「加勢が必要なら、手を貸そうか?」
アルトヴェルは一度だけ王子へ視線を向けると、静かに首を横に振った。
「お気遣いありがとうございます。ですが、ここは私にお任せください」
そう告げると、王子を残し、アルトヴェルは再び前を向く。
その姿を横目に見ながら考えていた。
王子、そして国王は、見た目ほど強くはない。
あのいびつな姿。
自身が強いと考えるものを、ただ単に神の力によって形作っているだけだ。
見た目を真似たところで、その者の技術や能力まで手に入るわけではない。
それどころか、なぜ強いのか。
その理由すら理解してはいないだろう。
つまりは、姿だけを似せた張りぼてに過ぎない。
アルトヴェルから見て、シルロスは力を使いこなせていなかったわけではない。
慣れないながらも、自分の身体に合わせて使いこなしていた。
それでも、勝てなかった。
ならば。
見た目だけの国王や王子に、勝てる道理などない。
加勢されたところで、あの二人が戦力になるとは思えなかった。
「もし、それでも勝つ方法があるとすれば……」
アルトヴェルは、そこまで考えて口を閉ざした。
頭の中に浮かんだのは、勝つための一つの手段。
その方法なら、あるいは____。
アルトヴェルは、ゆっくりと首を横に振った。
「いや。それだけは、駄目だ」
たとえ勝つためであろうとも、その方法を騎士としてさせてはならない。
だが、今の張りぼてのような状態では到底太刀打ちはできない。
つまり、二人を戦わせるわけにはいかないのだ。
手助けどころか、二人を守ることに意識を割かれることになる。
そうなれば、こちらの動きまで制限されてしまう。
今は、加勢を受けるよりも自分一人で戦ったほうがいい。
アルトヴェルは、そう判断していた。
その一方で。
アルトヴェルは、自身に与えられた身体を変化させる力について、少しずつ理解し始めていた。
*
スクロールを使った直後。
最初こそ、手探りだった。
腕を変化させては元に戻し、再び形を変える。
この力を扱うのは、アルトヴェルにとっても初めてだったのだ。
指を増やしてみる。
腕そのものを大きくしてみる。
爪を伸ばし、筋肉の形を変える。
何度も自分の身体を変化させながら、アルトヴェルは少しずつ、その力の性質を掴んでいった。
「この力……」
そこで、アルトヴェルは気づいた。
これは、ただ願った姿へ変わるだけの力ではない。
必要なのは、変化した自分の身体を具体的に思い描くこと。
それは、クリエイトにも似ていた。
何かを生み出す魔法では、そのものの形を細部まで思い描く必要がある。
この力も同じだ。
どのような身体になるのか。
腕はどこから伸び、どれほどの大きさになるのか。
そして、どのように動くのか。
曖昧なイメージでは、思い通りの変化にはならない。
アルトヴェルは、天才と呼ばれるほどの魔法や魔力の才を持っている。
それでも、生産職の者たちのような知識や造形の感覚を持ち合わせているわけではない。
わずかでもイメージに綻びがあれば、それはそのまま肉体の変化に現れてしまう。
ならば、取るべき方法は限られる。
アルトヴェルは、二人の騎士へ視線を向けた。
「二人とも!」
声を受け、二人が振り返る。
「あまり、身体を大きく変えようとするなよ」
アルトヴェルは、ここまでに掴んだことを踏まえ、二人へと言葉を続けた。
獣人や魔族に近い姿へ変化させる程度なら問題ない。
仲間として、ともに戦った者や、敵として相対した者たち。
実際に目にし、戦った経験があるからこそ、具体的な姿を思い描くことができる。
だが、自分が思い描く最強の生物になろうとしてはいけない。
なんとなく強い。
なんとなく凄い。
そんな曖昧なイメージだけで形作ったものでは、現実との間に大きな乖離が生じる。
見た目は強そうでも、その身体でどう動き、どう戦うのか。
扱ったことのない身体を、突然思い通りに動かすことなど難しい。
それを具体的に想像できない以上、思うような力を発揮できるはずがない。
そう。
それは、よくわからない道具を、なんの説明もなく渡されたようなものだ。
それだけではない。
身体を大きく変えれば、その分だけ身体を扱う感覚も大きく変わる。
身体が大きくなれば、腕の長さも変わる。
歩幅も、重心も、剣を振る軌道も変わるのだ。
今まで身体に染みついていた感覚が、一つとして同じではなくなってしまう。
それをうまく補えればいい。
だが、もしできなければ。
これまで積み重ねてきた戦い方が通用しなくなり、かえって弱くなる可能性すらある。
だからこそ、二人には今の身体を大きく変えすぎず、自分たちの剣技を活かせる範囲で肉体を変化させるように促したのだった。
*
とはいえ。
優勢に運んでいたはずの空中戦でさえ、相手に対応されてしまった。
相手の戦い方は、あまりにも常識から外れていた。
何をしてくるのか、予測がつかない。
こちらが積み重ねてきた戦闘経験が通用しなかった。
次に何を仕掛けてくるのか。
考えている間にも、状況は次々と変化していく。
それでも。
アルトヴェルは、負けるわけにはいかなかった。
騎士としての使命感なのか。
それとも、これまで積み重ねてきた騎士としての誇りなのか。
理由が何であれ、ここで退くという選択肢はなかった。
ならば。
やれることは、一つ。
この状況を覆すには、やはりこの力を使いこなすしかない。
想像した姿へと、自らの身体を作り変える力。
これまでのように、翼を生やしたり、腕を変化させたりする程度ではない。
より強く、自分自身の肉体をこの状況に合わせて作り変える。
問題は、どこまで変えるかだ。
この力は、あまりにも強大で、危険だ。
アルトヴェル自身、ようやくその性質を理解し始めたばかりに過ぎない。
今のところは、翼を生やしたり、腕の形を変えたりする程度の変化だ。
これならば、自分の身体として認識し、どう動かすのかを十分に把握できていた。
だが、変化の規模を大きくすればするほど、それは難しくなる。
一歩間違えれば、暴走しかねない。
それでも、やるしかなかった。
アルトヴェルは、ゆっくりと息を吸った。
そして、意識を自らの身体へと集中させていく。
まずは、均衡。
ふらつく身体と、砂に足を取られる今の状態をどうにかする。
二本の足で立つことにこだわる必要はない。
四本の足で身体を支える。
頭の中に浮かんだのは、空想上の生き物であるケンタウロスのような姿だった。
人の上半身と、四足で地面を駆ける獣の下半身。
今のように身体がふらついている状態では、動いても効果的とはいえない。
つまり、移動する際に足を取られることは考えなくてもいいだろう。
四本の足で身体を支えることで、多少均衡を崩されたとしても姿勢を保てるようにする。
それに空想上とはいえ、下半身は実在の動物だ。
想像もしやすい。
次に、肉体。
足を止めて戦う以上、必要なのは攻撃を受けても怯まず、強い力を振るえるだけの頑強さだ。
思い浮かべたのは、オーガ族のような強靭な肉体だった。
前の戦争でも何度も戦った相手。
分厚い筋肉。
強固な骨格。
並の攻撃では簡単には揺るがない身体。
そして、腕。
相手は三人。
やはり手数が欲しい。
六本。
左右三本ずつの腕を持つ、多腕の身体。
これならば、複数の方向から攻撃を仕掛けられても対応できるはずだ。
そして、もう一つ。
聴覚と嗅覚も強化する。
視覚だけに頼るのは危険だ。
先ほどのように、煙幕や死角を利用されれば、相手の動きを捉えきれなくなる。
視界を奪われても、音で相手の位置を探る。
姿を隠されても、匂いからその存在を感じ取る。
自らの新たな身体を思い描いていく。
四本の足。
強靭な肉体。
六本の腕。
鋭敏な聴覚と嗅覚。
そして、頭の中で新たな肉体を完成させた。
次の瞬間。
アルトヴェルの身体を、膨大な魔力が包み込んだ。
骨格が変わる。
筋肉が膨れ上がる。
身体の形が、大きく変わっていく。
やがて、その肉体から武器や鎧までもが生み出される。
変化を終えたアルトヴェルは、四本の足で身体を支えながら、六本の腕を構えた。
自身のその姿を見据え、ゆっくりと敵へ視線を向ける。
これならば。
今度こそ、勝てる。
アルトヴェルは、戦闘態勢を整えた____。
※このあとがきはキャラ同士の雑談コーナーです。本編には関係ありませんので、気軽に読み飛ばしていただいて大丈夫です。




