表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/40

第五話 「日々の欠片」

第五話 「日々の欠片」


朝、瑞稀はいつもと同じ時刻に目を覚ました。


昨夜見た夢の断片が、まだ胸の奥に残っている。


夜空に走った亀裂。


軋み始めた封印。


そこから漏れ出す黒い霧。


そして――失う、という言葉。


それだけが、やけに鮮明だった。


瑞稀は布団を畳み、身支度を整える。


いつもと変わらない朝のはずなのに、目に映るものが、どこか昨日までとは違って見えた。



拝殿で祝詞を終えると、父はいつものように背後に立っていた。


「帰り道に気を付けて、真っ直ぐ帰ってきなさい。」


「……はい。」


答えながら、瑞稀はふと思う。


真っ直ぐではない道を、自分はまだ知らない。



神社を出ると、石段の下では旭が待っていた。


「おはようございます。」


「はよ。」


いつもと同じやり取り。


けれど今日は、ほんの少しだけ間が空いたように感じた。


旭は何も言わず、瑞稀の歩幅に合わせて歩き出す。



昼休みになると、弾むような足音とともに、一人の少女がやってきた。


「瑞稀ー!お昼、一緒に食べよ!」


茶色いくせ毛を揺らしながら、瑞稀の机へ頬杖をつく。


彼女の名は、芽衣(めい)


「……ええ。」


短い返事だけでも、芽衣は満足そうに笑った。


瑞稀の慣れない相槌にも、気にした様子はない。


「あ、たこさんウィンナーだ。このミートボールと交換しよ!」


「好きなだけどうぞ。」


「えー! じゃあ、全部――」


「食い意地を張るな。」


旭が、芽衣の頭を軽く小突いた。


「いたっ!叩くことないじゃん!もう!」


芽衣は頭をさすりながら、交換した、たこさんウィンナーを頬張る。


「あ、そうだ。ねぇねぇ、来週、隣町でお祭りあるじゃん!」


声を弾ませた芽衣が、二人の顔を交互に見る。


「行かない? 屋台もあるし、花火も上がるんだって!」


瑞稀は、箸を止めた。


祭り。


これまで、一度も行ったことがない。


「……祭りに行く、とは。」


「え、一緒に歩くだけだよ。浴衣を着てさ!」


瑞稀は、少し考える。


「私には、何かすることがあるのでしょうか。」


「何かって?」


「祭りでの、役目です。」


芽衣は一瞬きょとんとして、それから笑った。


「そんなのないよ。」


「屋台見て、花火見て、一緒に歩くだけ。」


「私が、瑞稀と一緒に行きたいの。」


芽衣は、当然のことのように言う。


祭りに誘われるのは、初めてではなかった。


けれど、これまでは父に尋ねるまでもなく、行けないものだと思っていた。


父の言葉が、脳裏をよぎる。


――真っ直ぐ帰ってきなさい。


それが、これまでの日常だった。


「……父に、聞いてみないと分かりません。」


芽衣が、驚いたように目を瞬かせた。


「え。今回は聞いてくれるの?」


「……はい。」


「やった! じゃあ、ちゃんと聞いてみてよ!」


芽衣は、屈託なく笑った。


その笑顔を見つめながら、瑞稀は胸の内に小さな違和感を覚える。


断る理由なら、いくらでもある。


それなのに、断りたくないと思っている自分がいた。


「旭君も来るよね?」


「瑞稀が行くならな。」


迷う様子もなく答えた旭に、芽衣が呆れたように肩をすくめる。


「また過保護!」


旭は、眉一つ動かさなかった。


瑞稀は、そんな二人を静かに見比べた。


「……。」


「どうした。」


旭に尋ねられ、瑞稀は少しだけ考える。


「少しだけ、面白いと思いました。」


旭は一瞬だけ目を瞬かせ、その口元を、ごく僅かに緩めた。


「……そうか。」



放課後、旭と並んで帰る道で、瑞稀は珍しく自分から口を開いた。


「旭。」


「何だ。」


「祭りへ誘われました。」


旭は、僅かに目を細める。


「行きたいのか?」


そう尋ねられ、瑞稀は言葉に詰まった。


自分の中にある感情へ、当てはまる答えが見つからない。


「……分かりません。」


少しだけ俯いてから、続ける。


「ですが、断りたくありません。」


それは、今の瑞稀に言える、精一杯の正直な言葉だった。


旭はしばらく黙っていたが、やがて短く答える。


「なら、行けばいい。」


「宮司様には、俺からも話す。」


瑞稀は、僅かに目を見開いた。


「……いいのですか。」


「お前が、初めて自分で選ぼうとしたことだろ。」


旭はそれだけ言うと、再び前を向いて歩き出す。


その横顔は、いつもより少しだけ柔らかく見えた。


瑞稀の胸の奥にも、これまで知らなかった温もりが、ほんの僅かに広がっていた。



住宅街を抜け、神社の鳥居が見えてきた頃だった。


ふいに、風が止んだ。


――チリン。


どこからか、また鈴の音が聞こえる。


瑞稀は足を止め、空を見上げた。


目に見える異変は、何もない。


それでも、胸の奥が僅かに冷えるような感覚があった。


「……瑞稀?」


旭が振り返る。


「……いえ、何でもありません。」


そう答えたものの、瑞稀は空を見上げたまま、しばらく動くことができなかった。


夢で見た亀裂が、脳裏をよぎる。


あれを、ただの夢だと割り切ることはできない。


胸の奥に生まれたざわめきだけが、いつまでも消えずに残っていた。

第五話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ