表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/45

第二十一話 「欠けた勾玉」

第二十一話 「欠けた勾玉」


その週、町では小さな異変が続いていた。


商店街の花屋では、切ったばかりの花が、一晩ですべて萎れた。


小学校の花壇では、綺麗に並んでいた朝顔が、根元から黒く腐り落ちた。


近所の老人は、理由もなく急に衰弱し、一晩で別人のようにやつれて寝込んだ。


一つ一つは、ただの不運に見える。


けれど、異変を耳にするたび、瑞稀の胸には冷たいものが静かに差し込んだ。


荒魂を前にした時のような、鋭い気配ではない。


もっと弱く、薄い。


何かが助けを求める力さえ失い、静かに消えかけているような感覚だった。


「……また、ですか。」


放課後、瑞稀がそう漏らすと、旭も静かに頷いた。


「派手な気配じゃない。」


商店街の先へ目を向け、僅かに眉を寄せる。


「だが、確かに何かが薄く広がっている。」


「荒魂なのでしょうか。」


「分からん。」


旭は、周囲へ鋭く視線を巡らせた。


「だが、放っておけば、町全体へ染み込んでいく気がする。」



手がかりを求めて町を歩くうち、瑞稀はふと、小さな光を見つけた。


側溝の隅。


誰にも気づかれないような場所に、濁った石の欠片が落ちている。


瑞稀は屈み込み、それを拾い上げた。


欠片は緩やかに湾曲し、淡い青緑色をしていた。


けれど表面は灰色に曇り、内側には黒い筋が走っている。


「……何かの、欠片。」


指先へ、ひやりとした冷たさが伝わった。


同時に、遠くで誰かが激しく咳き込む声がする。


瑞稀の手の中で、欠片が僅かに震えた。


「……今のは。」


旭が、周囲を見回す。


「これ一つじゃ、なさそうだな。」


その日から、二人は町の中へ散らばった欠片を探して歩いた。


公園の砂場。


神社の裏手の茂み。


用水路の傍。


枯れた街路樹の根元。


欠片が見つかる場所では、決まって草木が萎れ、人や動物が弱っていた。


まるで砕けた欠片が、消えまいとして、周囲の命へ無意識に縋りついているようだった。


一つ見つけるたび、瑞稀は両手でそっと包み込む。


槍はない。


神へ続く道も、今は閉ざされている。


それでも、拾い集めることならできる。


消えかけたものを、見つけることなら。


今の瑞稀にも、できた。



ある晩。


境内の一角で、瑞稀は集めた欠片を白い布の上へ並べていた。


七つ。


どれも淡い青緑色をしているが、灰色に濁り、冷たい気配を纏っている。


隣では、旭が黙って様子を見守っていた。


瑞稀は欠片の前へ正座し、静かに問いかける。


「……あなたは、どなたですか。」


答えは返らない。


けれど、これまでに出会った荒魂とは、明らかに気配が違っていた。


怒りでもない。


哀しみでもない。


ただ形を失い、自分が何者であったかさえ忘れながら、静かに壊れていくような気配。


このままでは、やがて声さえ届かなくなる。


瑞稀は、静かに目を閉じた。


槍がなくても、できることが一つだけある。


幼い頃から、父に幾度となく教え込まれてきた禊の作法。


姿勢を正し、呼吸を整える。


そして、欠片の上へ両手をかざした。


「祓い給え。」


「清め給え。」


静かに唱える。


けれど、何も起こらない。


欠片は濁ったまま、冷たい沈黙を返すだけだった。


瑞稀の指先が、僅かに震える。


――槍があれば。


胸の奥へ浮かんだ言葉に、息を止めた。


槍がなければ、神を救えない。


神の力がなければ、自分には何もできない。


そう思いかけて、瑞稀は静かに手を握る。


塩土の老爺(しおつちのじい)の声が、胸の奥へ蘇った。


『全部を救おうとせんでもええ。』


『目の前にある一つを、拾って、結ぶ。』


今は、潮が引いているだけ。


それならば、今の自分に残っているものを使えばいい。


この祝詞は、神から与えられたものではない。


父から教わり、何度も繰り返し、自分自身の身体へ刻み込んできたものだった。


瑞稀は、もう一度目を閉じる。


「祓い給え。」


先ほどよりも、ゆっくりと。


「清め給え。」


神を従わせるためではない。


ただ、失われかけたものが、自らの形を思い出せるように。


「どうか、本来の御姿を。」


指先から、透明な気配が静かに流れ出した。


温かな光ではない。


眩しくもない。


朝露のように澄んだ、淡い光だった。


一つ。


また一つ。


濁っていた欠片から、黒い筋が薄れていく。


やがて七つすべてが、本来の青緑色の輝きを取り戻した。


最後の欠片が光を放った瞬間、七つの光がふわりと宙へ浮かび上がる。


ゆっくりと寄り集まり、一つの勾玉の形を結んでいく。


けれど、完全ではなかった。


先端の一部だけが、どうしても埋まらない。


一か所が欠けた、不完全な勾玉。


その姿のまま、淡い光を放っていた。


『……ありがとう。』


掠れた声が、夜風のように耳を撫でる。


瑞稀は、顔を上げた。


『長らく、ばらばらのままだった。』


「……あなたは。」


光の中へ、ぼんやりと人影が浮かび上がる。


細い指。


長い時をかけ、玉を磨き続けてきた者の静かな眼差し。


瑞稀は、その姿を見つめた。


玉祖(たまのおや)様、でしょうか。」


『そうだ。』


その声は、欠片同士が触れ合うように、微かに震えていた。


『我が御魂は砕かれ、長く現世を彷徨っていた。』


『戦うことも。』


『還ることさえも、できなかった。』


光の人影が、苦しげに目を伏せる。


『花も、人も、傷つけるつもりはなかった。』


「分かっています。」


瑞稀は、迷わず答えた。


「あなたが望んだことではありません。」


『だが、失わせたものは戻らぬ。』


「それでも。」


瑞稀は、不完全な勾玉を見つめる。


「これ以上、失われるものを増やさずに済みました。」


「そして、あなたも、もう独りで砕けたままではありません。」


玉祖命は、しばらく何も言わなかった。


やがて、ほんの僅かに笑う。


『……優しいことを言う。』


淡い人影が、欠けた勾玉へ視線を落とす。


『我は、もう本来の姿には戻れぬ。』


『失われた欠片とともに、力も、還るための道も失ってしまった。』


瑞稀は、静かに首を横へ振った。


「戻れなくても。」


「あなたが今、ここにいらっしゃることには、意味があると思います。」


淡い光が、静かに揺れる。


『ならば、これを受け取れ。』


「……よろしいのですか。」


『我が身の残り。』


『お前が拾い、結び直したものだ。』


『今度は、我がお前を守ろう。』


欠けた勾玉が、すうっと瑞稀の手のひらへ降りてくる。


温かくはない。


けれど、確かな重みがあった。


それでも、その輝きは澄んでいる。


『持っておれ。』


『それだけで、十分だ。』


玉祖命の声が、次第に遠ざかっていく。


「玉祖様。」


瑞稀が呼びかけると、最後にごく小さな声が返った。


『形は、欠けても。』


『結ばれた縁までは、失われぬ。』


その言葉を最後に、玉祖命の気配は、静かに勾玉の中へ溶けていった。



翌朝。


花屋の店先には、新しく仕入れられた花が並んでいた。


小学校の花壇では、黒くなった土の間から、小さな芽が一つ顔を出している。


寝込んでいた近所の老人も、朝には粥を口にできるまで回復したという。


失われたものが、すべて元へ戻ったわけではない。


それでも、止まりかけていた命は、再び動き始めていた。


瑞稀は、誰もいない朝の境内で、そっと自分の右手を見つめる。


槍は、まだ戻らない。


神へ続く道も、閉ざされたまま。


それでも、この手で砕けた御霊を拾い集めた。


この手で、一柱の神を救うことができた。


懐へ忍ばせた、小さな青緑色の勾玉にそっと触れる。


ひんやりとした表面の奥で、何かが微かに脈打った。


借り受けた力ではない。


槍に導かれたのでもない。


自分がこれまで重ねてきたものが、初めて誰かへ届いた。


その事実が、瑞稀の胸の奥へ、小さな灯火となって残っていた。

第二十一話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ