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第十二話 「遠い縁」

第十二話 「遠い縁」


三人で並んで帰る道は、いつもより静かだった。


しばらくして、芽衣がぽつりと口を開く。


「……ねえ。」


「さっきのこと、聞いてもいい?」


瑞稀は足を止め、芽衣へ振り返った。


「……ええ。」


「私、どうなってたの?」


芽衣は、戸惑うように自分の胸元へ手を添える。


「頭の中に誰かがいて、気づいたら勝手に喋ってて……。」


旭が、瑞稀の代わりに答えた。


「神が、一時だけお前の身体に宿った。」


芽衣は目を丸くする。


「……神様? 私に?」


信じられないというように、自分の両手を見つめた。


「どうして、私なんかに。」


瑞稀は、静かに言葉を続ける。


「芽衣の家――双葉(ふたば)家は、花里(はなさと)家の遠縁にあたります。」


「推測ですが、その血の縁と神具が重なったことで、神の力を受け入れられたのかもしれません。」


芽衣は、しばらく黙っていた。


「……遠縁って、初耳なんだけど。」


それから、旭へ顔を向ける。


「旭君は、知ってた?」


旭は、僅かに眉を寄せた。


「詳しくは知らない。ただ、双葉家には花里家と秋葉(あきば)家、両方の血が流れているとは聞いている。」


「両方?」


「ああ。昔、花里家の人間と秋葉家の人間が結ばれ、そこから双葉家が始まったらしい。」


芽衣は、自分の名字を確かめるように呟いた。


「双葉……。」


そして、思い至ったように顔を上げる。


「じゃあ、瑞稀だけじゃなくて、旭君とも遠い親戚ってこと!?」


「血筋を辿れば、そうなる。」


「そう、なんだ……。」


芽衣はまだ腑に落ちない様子で、自分の手を見つめていた。


「でも私、神社のことなんて何も知らないよ。」


瑞稀は首を横に振る。


「双葉家は、神事から離れて長いのでしょう。」


「けれど、花里家と秋葉家から受け継いだ縁は、完全には失われていなかった。」


瑞稀は、先ほど芽衣へ渡った槍の光を思い返す。


「その縁が、あの時、神へ続く道をつないだのかもしれません。」


芽衣は、しばらく黙ったまま歩いていた。


「……ふうん。」


やがて、どこか落ち着かないように呟く。


「なんか、変な感じ。」


「私、ずっと普通だと思ってたのに。」


その声からは、いつもの明るさが少しだけ薄れていた。


小さい頃から、ずっと三人一緒だった。


瑞稀と旭はいつも隣り合って歩き、芽衣はその少し後ろか、二人の横に並ぶことが多かった。


二人の間にだけ流れる、静かな空気。


言葉を交わさなくても、互いの考えていることが分かっているような距離。


同じ時間を過ごしてきたはずなのに、どうしても、そこへは入れない。


そんなふうに感じたことが、何度もあった。


寂しいと思うことさえ贅沢な気がして、芽衣はその思いを、ずっと胸の奥へしまっていた。


けれど――


「……でも。」


芽衣は、小さく続ける。


「ちょっとだけ、嬉しいかも。」


瑞稀と旭が、芽衣へ目を向けた。


「小さい頃から、二人だけが特別なんだって思ってた。」


「でも私も、ほんの少しだけ、二人とつながってたんだね。」


旭が、ちらりと横目で芽衣を見る。


「気にすることじゃない。」


「お前は、お前のままでいい。」


芽衣は一瞬だけ驚いた顔をし、それから吹き出すように笑った。


「……旭君にしては、優しいこと言うじゃん。」


「うるさい。」


いつもの調子へ戻ったやり取りに、瑞稀の口元も僅かに緩んだ。



その夜、芽衣は夕餉の席で、思い切って話を切り出した。


「ねえ、お父さん。」


「双葉家って、昔、花里神社と関係があったの?」


先に箸を止めたのは、母の方だった。


「急に、どうしたの?」


「今日、瑞稀と旭君から聞いたの。」


芽衣は、少し言葉を選びながら続ける。


「双葉家には、花里家と秋葉家、両方の血が流れてるって。」


自分の身体に神が宿ったことまでは、まだうまく説明できる気がしなかった。


父は湯呑みを置き、少し考えてから口を開いた。


「そうか。」


「古い話だ。」


「双葉の血は、元を辿れば花里家と秋葉家、その両方へ行き着く。」


芽衣は静かに頷く。


「やっぱり、本当なんだ。」


父は、遠い昔を思い出すように目を細めた。


「その昔、花里家の女と秋葉家の男が結ばれてな。」


「二人がそれぞれの家を出て、新しく構えた家が、双葉家の始まりだ。」


「今ではもう、随分と遠い縁だがな。」


父は、小さく笑った。


「双葉という名字も、新しい家が芽吹くようにと付けられたらしい。」


母も、静かに続ける。


「当時の花里家には、今よりも多くの人がいて、それぞれが神事を支えていたそうよ。」


「けれど、双葉家は代を重ねるうちに神社から離れていったの。」


「今では、昔どんな役目を担っていたのかも、ほとんど伝わっていないわ。」


芽衣は、じっと二人の話を聞いていた。


「……じゃあ、私にも、ほんの少しだけ。」


自分の胸へ手を添える。


「神様とつながるものが、残ってるってこと?」


父と母は、顔を見合わせた。


やがて父が、ゆっくりと首を横へ振る。


「そこまでは分からん。」


「血がつながっているからといって、昔の力や役目まで残るとは限らない。」


母も、少し困ったように笑う。


「私たちも、詳しいことは知らないのよ。」


芽衣は「そっか」と小さく答えた。


けれど、胸の奥には、昼間の出来事が残っている。


槍へ触れた時に広がった温もり。


自分の内側へ響いた、あの軽やかな声。


両親には分からなくても。


自分の中には、確かに何かが残っている。


そんな気がしていた。


「お前が生まれた時、俺の母さんが言っていた。」


「双葉から、また新しい芽が出たような名前だとな。」


芽衣は、その言葉を静かに噛み締めた。


自分の名字と名前を、そんなふうに考えたことはなかった。


双葉から芽吹いた、芽衣。


ただの偶然なのか。


それとも、ずっと昔から続いていた縁なのか。


今の芽衣には、まだ分からなかった。


「……ふうん。」


小さく呟き、それ以上は尋ねなかった。



その夜、芽衣は布団へ潜り込み、暗い天井を見つめていた。


普通。


自分は、ずっとそうなのだと思って生きてきた。


けれど今日、その当たり前が少しだけ変わった。


もし、自分にも神とつながる縁があるのなら。


いつか、二人の役に立てる日が来るのだろうか。


そんなことを考えているうちに、夜は静かに更けていった。



数日後、芽衣が教室で声を弾ませた。


「そうだ!お祭り、明日だよ!」


瑞稀の机へ身を乗り出す。


「瑞稀、浴衣は決めた?」


瑞稀は少し考えてから、首を横へ振った。


「いえ……持っていません。」


芽衣の目が輝く。


「じゃあ、うちのを貸してあげる!」


「ちょうど去年、新しく買ったんだよね!」


「……よろしいのですか。」


「もちろん! じゃあ、お祭りの日は私の家に集合ね!」


芽衣は、満足そうに笑った。


けれど瑞稀には、何となく分かった。


数日前に知った自分の家のことを、芽衣はまだ心のどこかに抱えている。


それでも、こうしていつも通りに笑っている。


その強さを、瑞稀は少しだけ羨ましいと思った。


「旭君は、浴衣を着る?」


芽衣が、旭へ顔を向ける。


旭は、一瞬だけ間を置いた。


「……別に、俺はいい。」


「えー、つまんないなぁ。」


芽衣はすぐさま瑞稀へ向き直る。


「瑞稀も、旭君の浴衣姿、見たいよね?」


瑞稀は、少しだけ考えた。


「……はい。見てみたいです。」


旭が、僅かに言葉に詰まる。


「……。」


芽衣が、期待するように見つめている。


旭は諦めたように息を吐いた。


「……分かった。」


短い返事だったが、断ることはなかった。


芽衣が、にやりと笑う。


「ほら、やっぱり。」


三人のやり取りを見つめながら、瑞稀は胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じていた。



祭りの夜。


待ち合わせ場所へ現れた旭を見て、芽衣は思わず吹き出した。


「旭君、似合うじゃん!」


「うるさい。」


瑞稀も、紺色の浴衣を纏った旭の姿を静かに見つめた。


「……とても、よく似合っています。」


旭は、僅かに目を逸らす。


「……そうか。」


その耳だけが、少し赤くなっていた。


芽衣は、それを見て楽しそうに笑っている。


隣町の通りには赤い提灯が連なり、屋台から漂う香りと太鼓の音、人々の笑い声が、夜の町を満たしていた。


瑞稀にとっては、そのすべてが初めてだった。


「瑞稀、こっちこっち!」


芽衣に手を引かれ、屋台の間を歩いていく。


旭は少し後ろから、周囲を見渡しながら二人についてきていた。


いつもの癖は抜けていない。


けれど、その横顔は普段よりも、どこか穏やかに見えた。


「見て見て、りんご飴!」


「……甘そうですね。」


芽衣が目を見開く。


「食べたことないの!?」


「はい。」


「じゃあ、絶対に食べよう!」


芽衣から差し出された一本を、瑞稀はおずおずと受け取った。


赤い飴の表面へ、そっと歯を立てる。


ぱりりと薄い飴が割れ、その奥から甘酸っぱい果汁が広がった。


「……おいしいです。」


思わず漏れた言葉に、芽衣が嬉しそうに笑う。


「でしょ!」


その笑顔を見ながら、瑞稀はふと思った。


こんなふうに何かをおいしいと感じ、それを誰かへ伝えたのは、いつ以来だろう。


「あ、射的あるじゃん!やろう、やろう!」


射的屋を見つけた芽衣が声を上げ、瑞稀の手を引いていく。


「瑞稀も、やってみよう!」


芽衣から銃を渡され、瑞稀は店主の説明を真剣な表情で聞いた。


「説明は以上! さあ、狙ってごらん!」


瑞稀は銃を構え、景品へ狙いを定める。


一発。


弾は景品を外れ、その奥にある棚の支柱へぶつかった。


――ガタン。


棚が大きく揺れ、並んでいた景品が次々と倒れていく。


店主は、銃を構えたままの瑞稀と、崩れた景品を交互に見た。


「あ、あんた、本当に初めてか?」


「はい。」


瑞稀が真顔で答えると、芽衣は腹を抱えて笑い出した。


旭は片手で顔を覆い、深く息を吐く。



夜も更け、花火が上がり始めた頃。


三人は、川沿いの土手へ並んで腰を下ろしていた。


大輪の花火が、夜空いっぱいに広がる。


赤や青の光が、瑞稀の瞳へ鮮やかに映り込んだ。


瑞稀は、言葉もなく空を見上げていた。


やがて、胸の内から零れるように呟く。


「……綺麗です。」


その一言だけで、十分だった。


旭も静かに空を見上げ、芽衣はそんな二人を見て微笑んだ。


「来年も、また三人で来ようね。」


瑞稀は、ゆっくりと頷く。


「……はい。」


旭も、小さく頷いた。


「ああ。」


芽衣は、嬉しそうに笑った。


その時だった。


すぐ近くで、屋台の店主が声を上げる。


「何だ、こりゃ。」


土手沿いに並んだ植え込みが、いつの間にか茶色く枯れていた。


昼間は青々としていたはずの葉が萎れ、力なく垂れ下がっている。


その枯れた葉の上へ、一枚の桜の花びらが舞い落ちた。


季節外れの花びらだった。


芽衣も気づき、眉をひそめる。


「……変だね。」


「今日、すごく暑かったから?」


けれど瑞稀は、そうではないと感じていた。


枯れ方が、あまりにも早すぎる。


まるで根元から、何かに生気を吸い取られたようだった。


遠くで、誰かが咳き込む。


近くのベンチでは、一人の女性が青白い顔でうずくまっていた。


「大丈夫ですか。」


周囲にいた誰かが声をかける。


「……何だか、急に寒気がして。」


浴衣姿の女性が、震える声で答えた。


その周囲にも、同じように顔色を悪くしている人が何人か見える。


旭が僅かに眉を寄せ、辺りを見渡した。


「……瑞稀。」


低い声に、瑞稀も頷く。


胸の奥が僅かに冷える、あの感覚。


甘く、けれどどこかよそよそしい香りが、微かに漂っている。


花火の音にかき消されそうな、小さな異変。


けれど、それは確かに、そこにあった。


旭が静かに立ち上がる。


「……祭りの夜は、神々の力が満ちる。」


父の言葉を思い返しながら、瑞稀も枯れた葉を手に立ち上がった。


「父様の言葉通りですね。」


夜空に咲く花火の下で、また一つ、何かが動き始めようとしていた。

第十二話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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