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第十一話 「還る場所」

第十一話 「還る場所」


金色に輝く槍が、宙を舞う。


芽衣の身体を通して、天鈿女命(あめのうずめ)が軽やかに踊っていた。


『さあ、こちらを向いて。』


荒魂の視線が、揺らめく炎とともに芽衣へ向けられる。


『……何のつもりだ。』


『あなたの目には、これがただの遊びに見える?』


天鈿女命は楽しげに笑い、槍を大きく振るった。


金色の穂先から光の粒が舞い散り、荒魂の意識を完全に引きつけていた。



その隙に、旭は瑞稀のもとへ駆け寄った。


「立てるか。」


「……はい。」


瑞稀は旭の手を借り、ゆっくりと立ち上がる。


荒魂は、まだ芽衣の舞に気を取られていた。


「時間は、あまりない。」


旭は荒魂を見据えた。


その身体を覆う炎は、今も絶え間なく燃え続けている。


「……存在そのものが災害、か。」


旭は、自らの刀へ目を落とした。


刃の上を、青白い雷が走っている。


その時、不意に幼い頃の記憶が脳裏をよぎった。


父が、何気なく語っていた神話。


建御雷神(たけみかづち)は、火之迦具土(ひのかぐつち)の血から生まれた神だ。』


当時は、その意味を深く考えたことなどなかった。


けれど、今なら分かる。


「……そうか。」


その瞬間、旭の頭の奥で朗らかな声が弾けた。


『……ようやく気づいたか!』


「誰だ。」


『ははっ、そう警戒するな。』


聞いたことのない、どこか間の抜けた声だった。


けれど、その響きには確かな温かさがあった。


『すまんすまん。我はどうにも間が悪くてな。荒魂とのつながりが強すぎて、声を届けるのが遅くなった。』


『情けない話だが……まあ、それも我らしいわ。』


旭は思わず眉を寄せる。


「……何だ、それは。」


『詫びは、後でゆっくりしよう。』


声は、笑いを含んだまま続けた。


『それより――眷属よ、行け。』


『我が血は、お前の中にも確かに在る。』


一瞬だけ響いた声は、それきり静かに遠ざかっていった。


旭は僅かに目を細め、刀を握り直す。


「俺の力は、お前がいたから生まれたものだ。」


「お前の死から、俺の神は生まれた。」


荒魂が、初めて旭へ顔を向けた。


『……何を。』


「感謝はしない。」


旭は刀を構え直す。


「だが、無関係でもない。」


刃を覆う雷光が、これまでとは異なる輝きを帯びた。



旭が踏み込み、刀を振り抜いた。


青白い雷光が、荒魂の炎を一閃する。


今度は、斬り裂かれた炎が元へ戻らなかった。


『……馬鹿な。』


荒魂の身体に、初めて亀裂が走る。


「今だ、瑞稀!」


瑞稀は、強く頷いた。


天鈿女命の舞が荒魂の意識をつなぎ止め、旭の一撃が、その炎へ確かな隙を作っている。


あとは、自分の役目だった。


芽衣の身体を通して、天鈿女命が槍の穂先をひらりと返す。


『ちゃんとつないだからね。』


槍は金色の光を引きながら宙を舞い、瑞稀の手へ吸い込まれるように戻った。


瑞稀は槍を構え、静かに目を閉じる。


父から聞いた神話が、脳裏をよぎった。


母を死なせて生まれ、父の手によって討たれた神。


誰にも望まれず、ただ燃え続けることしかできなかった、その始まり。


瑞稀は、静かに口を開いた。



「あなたは、誰かを傷つけるために生まれたのではありません。」


荒魂の動きが止まる。


けれど、それはほんの一瞬だった。


『黙れ。』


炎が激しく噴き上がり、瑞稀の頬を熱風が掠める。


『我が生まれたことで、母は死んだ。』


『我が炎が、すべてを奪った。』


赤黒い瞳が、瑞稀を睨みつける。


『それでも、罪がないと言うのか。』


瑞稀は槍を握り締めたまま、目を逸らさなかった。


「はい。」


『何も知らぬくせに!』


荒魂が拳を振り上げる。


周囲の炎が巨大な渦となり、瑞稀へ襲いかかった。


けれど、瑞稀は退かなかった。


「あなたは、ただ生まれただけです。」


槍の穂先から金色の光が広がり、押し寄せる炎を静かに受け止める。


「生まれることを、ご自身で選んだわけではありません。」


荒魂の拳が、空中で止まった。


燃え盛る炎の向こうで、赤黒い瞳が激しく揺れる。


「その炎に、罪はありません。」


『……ならば。』


荒魂の声が、低く掠れた。


『この炎に焼かれた者たちは、どうなる。』


『我が触れたものは、すべて灰になる。』


炎を纏った両手が、強く握り締められる。


『止めようとしても、止まらぬ。』


『守ろうとしても、焼いてしまう。』


瑞稀は、荒魂をまっすぐに見つめた。


「それでも、あなたは独りではありません。」


『独りだ。』


間を置くことなく、荒魂が吐き捨てる。


『母もいない。父には討たれた。』


『我が還ることを望む者など、どこにもおらぬ。』


「少なくとも、今ここには、あなたの炎を拒まない方がいます。」


荒魂は、自らの燃え盛る両手を見つめた。


『……我は。』


その声が、初めて震える。


『母を、殺したくはなかった。』


炎が激しく揺らめく。


『ただ、生まれただけなのに。』


『目を開いた時には、母はもういなかった。』


赤黒い瞳から、火の粉のような雫が零れた。


『止めたかった。』


『けれど、止まれなかった。』


『気づけば、すべてが灰になっていた。』


荒魂は、瑞稀の向こうへ目を向けた。


旭の刀には、今も青白い雷と赤い炎が宿っている。


自らの炎を拒むことなく、受け止めている光だった。


『……そうか。』


炎に覆われていた表情が、僅かに緩む。


『あったのか。』


『我にも、還れる場所が。』


瑞稀は、静かに槍を掲げた。


その言葉を、確かに受け取るように。


槍の穂先へ、金色の光が集まっていく。


「――御霊よ。」


荒魂の炎が、大きく揺らいだ。


けれど、もう抵抗するような激しさはなかった。


「畏み、畏み申し上げる。」


「御神の御許へ還り給え。」


金色の光が、荒魂の身体を柔らかく包み込んだ。


黒く爛れていた肌が、炎とともに剥がれ落ちていく。


その下から現れたのは、穏やかな顔をした一人の青年だった。



空間そのものが、静かに裂けた。


裂け目から黄金の光が溢れ、澄み切った神楽鈴の音が響き渡る。


その向こうには緑豊かな社が建ち、実りに満ちた田畑がどこまでも広がっていた。


「……火之迦具土様。」


瑞稀が名を呼ぶと、青年は静かに頷いた。


『その名で呼ばれたのは……久しいな。』


青年は、自らの両手へ目を落とす。


先ほどまで燃え盛っていた炎は、今では穏やかな赤い光となって、指先の周囲を揺れていた。


『随分と、迷惑をかけた。』


「いいえ。」


『いや、かけたものはかけた。そこは誤魔化せぬ。』


青年は困ったように眉を下げた。


けれど次の瞬間、その表情を崩し、朗らかに笑う。


『ははっ。どうにも我は、昔から加減というものが苦手でな。』


瑞稀は、僅かに目を瞬かせた。


先ほどまで荒魂として燃え盛っていた神と、旭の内側へ届いた快活な声が、ようやく一つにつながった気がした。


青年は改めて瑞稀へ向き直る。


『それでも、お前は我を見捨てなかった。』


その眼差しが、柔らかく細められる。


『ありがとう、瑞稀。』


やがて青年は、瑞稀へ手を差し出した。


『礼代わりと言っては何だが、我が力を預けよう。』


掌の上に、小さな赤い炎が灯る。


『お前が望むなら、いつでも応えよう。』


『少々燃えすぎることもあるかもしれぬが、その時は遠慮なく止めてくれ。』


瑞稀は、僅かに迷ってから静かに頷き、槍を胸元へ抱いた。


「承知いたしました。」


『うむ。良い返事だ。』


青年は満足そうに笑い、続いて旭へ目を向ける。


『それから、お前。』


「何だ。」


『お前の刀、なかなか悪くなかったぞ。』


旭が、僅かに眉を上げる。


『雷は、我が血より生まれた神の力だ。』


その視線が、旭の刀へ向けられる。


『これからは、我が炎にも届くようになる。存分に使え。』


「……そうか。」


『何だ、礼くらい言ってもよいのだぞ。』


「礼はいいと言ったのは、お前だろ。」


青年は一瞬きょとんとしたあと、大きく笑った。


『はははっ!そうであったな!』


その笑い声に、先ほどまで戦場を覆っていた重苦しさが、僅かに薄れていく。


やがて青年は、旭の向こうにいる瑞稀へ目を向けた。


『まあ、それはともかく。』


その声が少しだけ穏やかになる。


『……あの子を、頼んだぞ。』


旭は一度だけ瑞稀を見てから、短く答えた。


「ああ。」


青年は満足そうに頷き、黄金の光へ向かって歩き出した。


『では、またな!』


振り返り、大きく手を振る。


『次に呼ぶ時は、もう少し穏やかな場で頼むぞ!』


青年が黄金の光へ足を踏み入れた瞬間、周囲を覆っていた炎が、一つ、また一つと、篝火が消えるように鎮まっていった。


やがて裂け目も静かに閉じ、炎に呑まれていた景色が、少しずつ本来の色を取り戻していく。


焼け焦げていた木々にも、元の緑が戻っていた。



気づけば、瑞稀の手から槍は消えていた。


純白の巫女装束が制服へ戻り、白銀の髪は黒へ、琥珀色の瞳も元の色へと変わっていく。


「……終わったのですね。」


「ああ。」


旭が刀を鞘へ納めると、少し離れた場所で芽衣がふらりと膝をついた。


「芽衣!」


瑞稀が慌てて駆け寄る。


「……あれ、私、何して……。」


芽衣の髪は、いつもの茶色へ戻っていた。


どこか呆けたような表情で、辺りを見回している。


「大丈夫か。」


旭が身体を支えると、芽衣はへにゃりと笑った。


「なんか……すごく楽しい夢を見てた気がする。」


「……ありがとうございます、芽衣。」


瑞稀が告げると、芽衣は首を傾げながらも、嬉しそうに笑った。


「……役に立てたなら、よかった。」



辺りは、いつの間にか元の鄙びた神社へ戻っていた。


夕暮れの柔らかな光が、静かな境内を照らしている。


三人はしばらく言葉を発することなく、その景色を見つめていた。


その日、三人の間に結ばれた縁は、やがて多くの神々を救う道へと、静かにつながっていく。

第十一話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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