6.アロイス・レーンベルク
『アロイスには、気を付けて』
シャロは立ち尽くしたまま、アニエスの言葉を思い出していた。
教師すら警戒する闇魔法使い。肌に触れる空気に、闇魔法の気配を感じる。
緊張は、する。でも――。
恐ろしさは、感じない。
同じ属性だからか――彼の纏う雰囲気に、どこか親しみを覚える。
シャロが考えを巡らせている間に、アロイスはふと何かに気づいたような表情を見せた。
「ん……ああ、しばらく人と話していないから、忘れていた。こういう時は挨拶からだったな。」
どこかズレたようなことを言いながら、アロイスはすっと手を差し出してきた。
「――初めまして。シャロ・ノルン」
お手本のような挨拶。差し出された手。
シャロはその手をまじまじと見た。
サロンの面々は、アロイスについて言葉を濁していた。
本当なら、関わらない方が良いはずだ。
だけど。
『同じ闇魔法使いとして、アロイス先輩とも上手くやれるよう頑張ります!』
――そうだ。
シャロは顔を上げる。
あの時の言葉は、私の決意だ。
目の前の彼は少なくとも――私に敵意があるわけじゃない。
「――はじめまして、アロイス先輩。これからよろしくお願いします!」
シャロはその手を握った。
ひんやりとした皮膚に触れる。シャロよりずっと体温が低い。
手を握り返されたアロイスは、何度か瞬きをすると、目をすっと細めた。
「君は臆さないな、シャロ。――ああ、君の魔力も、心地良い」
アロイスは静かな声でそう語る。
その表情はほんの少し、和らいでいた。まるで寒空の下、たき火にあたっているように。
シャロはその表情を見ながら不思議に思う。
(あまり皆さんが言うほどの怖さは感じないなぁ)
確かに言いようのない緊張感はある。
でも、シャロにとってはそれだけだ。
ああでも、なんだか、足元が涼しいような。
周囲の影が、濃くなっていく――。
「シャロ。――俺に君の瞳を、見せてくれ」
アロイスは少し屈んで、シャロの瞳を覗き込む。
アロイスの青い瞳に、まるで意識まで吸い込まれそうになって――。
「校内での闇魔法の行使は校則違反よ、アロイスくん」
闇を切り裂くように、一筋の明瞭な声が響いた。
*
間に合った。
目の前にはアロイスとシャロ。
シャロは少し意識が飲まれそうになっていた。
「ッ、アニエス先生!」
シャロの顔がぱっと変わる。明確に安心した表情。
対するアロイスはというと、こちらを見て首を傾げている。
それもそうだろう。きっとアロイスは、この場には誰も踏み込めないと思っていた。
シナリオ通りなら、そのはずだった。
「アニエス……、“アニエス”……」
アロイスはなにか探るように、静かに繰り返している。
その姿に、内心冷や汗をかく。
これがアロイスルートだとして、まだ序盤だ。私が介入しても、すぐに最悪の結果にはならないはず。
自分の行動で、ハッピーエンドから遠ざかるわけにはいかない。
「どこかで聞いたな……光魔法……」
私の頭からつま先まで、舐めるように見られる。
「……ああ、そういえば居たな。……光魔法の医師。貴方か」
アロイスの記憶に、欠片でも自分が残っていたことは意外だった。
「……覚えていてくれてありがとう、アロイスくん。それよりも、その子の手を放してくれるかしら?」
アロイスは驚いたように、手元を見る。
まるで、今初めてシャロの手を握っていると気づいたかのように。
「彼女はまだ入学したばかりよ。……固有結界に引き入れるのには、早すぎるわ」
「“先輩として”、後輩のレベルに合わせて、接しなさい」
声が震えないように、腹に力を入れて声をかける。
怖くないと言えば嘘になる。
……でも、私が何周『キーワル』をプレイしたと思っているの?
アロイスの行動理念も――よく知っている。
ゆっくりと、アロイスはシャロの手を放した。
「……すまない、シャロ。君を害したいわけではないんだ」
「い、いえ……」
「今日はここまでにしよう。……また会いに来るよ、シャロ」
静謐な空間に、遠くから人の声が聞こえるようになる。
――固有結界が、解かれていく。
ひとまずこの場は乗り切ったようだ。
内心安堵の息をつく私に、アロイスは意識を向けた。
「ああそれと……アニエス、だったか」
その青い目が私を映す。
「――俺は、貴方を“覚えた”」
その言葉を残して、気づくとアロイスは霧のように姿を隠した。
「アニエス先生!」
シャロが駆け寄ってくる。見たところ異常はなさそうだ。
「大丈夫だった?シャロちゃん」
「はい! 大丈夫なんですけど……もしかして、私ちょっと危なかったですか?」
「えーと……まあ、半分正解……?」
奥歯に物が挟まったような言い方になってしまった。
実際危ないところだったのは事実だけれど、このぐらいなら、まだ手の打ちようがある。
「彼はね、強大な魔法を扱うけど――悪意があるわけではないの」
そう、アロイスが厄介なのはそこだ。
アロイスは徹底的に自分以外に興味がなく、利己的だ。
言い換えると――他者に対してプラスの関心がなければ、マイナスの関心もない。
(さっきもただシャロのことが知りたくて無意識に魔法を発動しかけてたんでしょうけど……)
それでメリバエンドにされては困る。
彼が正しくシャロに接することができるようになれば、大団円に――テオドールが死なないエンドに、近づくことができる。
「玄関まで送るわ、シャロちゃん」
誰か一人でも欠けるなんて御免だ。
とりあえず、ハッピーエンドへの駒を進められたということで、この場は良しとしよう。
シャロを玄関まで見送りに行ったあと、その場で大きく伸びをする。
今日の山場をなんとか乗り越えた! あとはもう、帰るだけ……。
「お疲れ様です、アニエス先生」
「ひゃあ!?」
おおよそ淑女らしからぬ声をあげてしまった。
……不意打ちの推しは心臓に悪い。
振り返るとそこにテオドールがいた。
「……すみません。いきなり」
「い、いえ……テオドール先生も残ってらしたんですね……」
さすがに私に大声を出させたことは悪いと思ったらしく、テオドールも珍しく言葉を詰まらせていた。
近いうちにテオドールが私に接触することは予想していたけれど、こんなに早いとは思わなかった。
『……あなたには何手先まで、見えているんです?』
……テオドールが私を怪しんでいるのは、分かっていた。
おそらく私のことを探っているだろうとも。
あの時は咄嗟にごまかしたけれど、これ以上ごまかし続けるのは難しい。
「……アロイス・レーンベルクに接触したのですか?」
やっぱり。
彼は私がアロイスに接触すると分かっていた。
……最悪、私自身がテオドールに怪しまれるのは、割り切れる。
私の行動に支障がなければそれでいい。
問題なのは――私が“なんのために”動いているのかを、知られることだ。
「ええ。アロイスくんがシャロさんに目を付けたと教えてくださったでしょう? 彼がシャロさんに接触するのは目に見えていましたから……念のため注意を払っていただけです」
「……彼がシャロさんに接触すると、なにか不都合でも?」
……ん?
その言葉に引っかかりを覚える。
しかしすぐに合点がいった。
もしかしたら私の行動は、暗躍する悪役に見えるのかもしれない。
「いいえ。そうではありません」
でもそれだけは、胸を張って否定できる。
「二人が普通に交流できるなら、私もわざわざ首を突っ込むことはしません。……でも、アロイスくんはそうじゃない」
これがウィリアムや二コラルートなら、私も介入しなかった。
「彼がせっかく誰かに興味を持てたなら――それが悲劇を生まないように導くのが、教師の役割ではないでしょうか」
「指導すべき時は指導して、守るべき時は守らねば。――例え“異端児”であっても」
私はテオドールを生かすために動いている。
でも他のみんなも――アロイスにも、幸せになってほしい。
例え『キーワル』のシナリオを、捻じ曲げることになっても。
テオドールは、目を大きく見開く。
そしてそのまま、いつもとは違う――柔らかな笑みを、浮かべた。
「なるほど……。アニエス先生、あなたは……誰かのために、動く人なのですね……」
理由は言えないけれど、これだけは信じてほしい。
私は、貴方の敵じゃない。
「もし疑わしいなら、嘘かどうか声を解析していただいても構いませんよ?」
「……やめておきます。結果が明らかならば、必要ないでしょう」
なんだか今までの緊張感が嘘のように、ほのぼのとしている。
ああそういえば。
ひとつ気になることを思い出した。
「そういえば、アロイスくんが珍しいことを言いまして」
「なんです?」
「私のことを、『覚えた』と」
「……はい?」
ほのぼのとした空気が、一瞬でまた緊張感のあるものに変わる。
「アロイスが貴方を、『覚えた』のですか?」
テオドールの顔からは、笑みが消えていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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次回は明日20時更新予定です。




