40.彼が最後に 暴くもの
「――話は、これで終わりですか?」
いつもより少し低いテオドールの声が響く。
張り詰めた空気を感じる。
そっとテオドールの顔を見上げると。
(怒っているの……?)
彼は少しも笑っていなかった。
それどころか表情は抜け落ちていて、その瞳だけが静かに私を射抜いている。
その姿に思わず身震いするが、なんとか頷いて答えた。
「……良いでしょう。では、次はこちらからお話ししましょう」
彼の起伏のない声色に、身構える。
「貴方がこれで最後にするつもりなら、今ここで貴方のすべてを暴かせてもらいます――私たちはまだ何も、始まっていないのだから」
煽るような言葉に、私は何も返すことができなかった。
「はじめに。貴方は物語の中で一番好きだったのは私だと言いましたね」
急にその話を出されて肩が跳ね上がる。
テオドール本人の口から言われると、なんだかいたたまれない。
「え、ええ……」
「では、今目の前にいる私は?」
そう言われて一瞬、思考が止まった。
先ほどの「好きだった」という言葉は、あくまで過去の私から物語の登場人物であるテオドールに向けてのものだ。今現在の私がどうなのかは、ぼやかした表現になっている。
もちろん、今は間違いなく、目の前にいる現実の人間としてテオドールを愛している。
しかし、この期に及んで保険を掛けるような言い方をしている自分が情けない。
「それ、は……」
「ああ、今答えが欲しいわけではないです。……先に女性から言わせるほど、私も愚かではありません」
彼は私を見透かすように言った。
まるで、答えを知っているかのように。
「話題を変えましょう。そうですね……なぜアニエスは『私はただの人間だ』などと言ったのか、その理由を当てましょうか」
……痛いところを突かれた。
目を逸らしたくても、彼の眼差しから逃げられない。
「理由……」
「簡単な話です」
彼はわずかに、口角を上げて――。
「貴方は、隠していたことをすべて打ち明ければ、私が貴方への興味を失うと思っている」
――呼吸が、止まる。
瞬きもできない。
言葉を返そうにも、唇が震えて上手く動かない。
「……当たっていたようですね」
彼は自嘲するように、眉根を寄せて笑う。
「貴方がそう思うのも理解できます。そもそも、私と貴方は協力関係だった。私は世界の知識を得る代わりに、貴方のことを手助けするという取引でね」
夏のはじめに、テオドールの研究室で取引をしたこと。
昨日のことのように覚えている。
「けれど、アニエス」
一拍置いて、言葉を続ける。
「――貴方にそう思われていることくらい、予想しているに決まっているでしょう?」
「……あ」
テオドールはそう言って、己を蔑むように笑った。
その笑みが、目に焼き付く。
まるで、私にそう思わせてしまった自分自身を、愚かだと言うように。
――彼に、そんな表情をさせたいわけではなかった。
「予想していたからこそ、今まで行動はしても、言葉にはできなかった。貴方からの疑いを晴らさなければ……」
彼は一瞬だけ躊躇うように言葉を止めると、諦めたように笑った。
「――いくら貴方自身を愛していると伝えたって、信じてはもらえない」
胸が、締め付けられる。
信じたいという気持ちと、現実味が湧かない気持ちがないまぜになる。
「……実感が、湧かないわ」
やっと絞り出せた言葉は、私の率直な感情そのままだった。
テオドールはそれを聞くと、気が抜けたのか喉で笑う。
「なるほど。ではいくらでも事実を並べますから……身に染みて感じてもらいましょうか」
彼はうって変わって楽しそうに語りだす。
そうして語られる話に、私は「実感が湧かない」と言ったことを後悔した。
「私が惹かれたのは貴方が持つ知識ではなく、貴方自身の人柄です。初めは、生徒を導くために臆することなく動ける実直さに。次に、私に対して情報の取引を持ちかけるその気概に。そして……私を助けるために、命を懸けてしまうその危うさに」
「て、テオドール! ……いきなり、そんな」
堰を切ったようにあふれ出てくる言葉に溺れそうになる。
慌てて待ったをかけると、テオドールは不服そうな顔をしていた。
「おや、このくらい、まだ序の口ですよ? 夜通しでだって語っても良いのに」
「こんなにつらつらと聞かせられるなんて思わなかったんですよ……!」
こんなに具体的に話してもらえるなんて、思わなかった。
彼のあまりの勢いに、こちらも気が緩んで言葉があふれ出す。
「私も、テオドールのことをまったく信用してないわけではなかったけれど……! テオドールが行動で示してくれているのにも、気づいていたけれど……」
私を『暴く』と言ったこと。他の先生への牽制。初めてのデート。
そっと胸元に手を置く。
服の下には、役割を終えたネックレスが掛かっている。
……彼が私を守るために用意してくれた、大切なプレゼント。
「私はずっと、期待しすぎるのは良くないと自制していて」
期待して、それが外れた時に苦しむのは自分だから。
だから予防線を張っていた。
……彼に、溺れてしまいたくなかった。
彼は私の言葉を聞くと、柔らかい声色で話しかけてきた。
「……可愛らしいことを言ってくれますね、アニエス。……貴方は私の行動に、期待してくれていたと」
「え、あ!」
墓穴を掘ったことに気付いた。
顔から火が出そうだ。
……ああでも、蜜のように甘い視線が、私に突き刺さる。
彼の手がそっと私の手を取り、軽く腕を引かれる。
……拒もうとすれば拒めた。だから――。
彼の腕の中に納まったのは、私の意志だ。
「でも、私もそろそろ、万策尽きそうだ」
彼の低い声が、鼓膜をくすぐる。
その甘い音が、心臓を揺さぶる。
「アニエス、貴方を誰のものにもしたくない。……あとどれだけ言葉と証拠を並べたら、貴方は答えてくれる?」
彼の表情は見えない。
「私こそ、『観測者』でも『教師』でも……『物語の登場人物』でもない。貴方の前にいる私は、ただの男だ」
その言葉が、胸に突き刺さる。
――先ほどの私と、同じだ。
「一人の男として、貴方を愛している」
ゆっくりと体が離れて、テオドールの顔が見える。
……困ったような、泣き出しそうな、そんな顔で。
「どうか、アニエス」
彼は私の頬に触れて。
「答えて」
そう、願った。
視界が、滲む。もう、周囲の音は聞こえない。
胸につかえそうになる言葉を、必死で声に出す。
「わたし、も」
彼の言葉に、答えたい。
「テオドールを……目の前にいる貴方を、愛しているわ……」
――とんでもなく、長い道のりだった。
こうして、彼に自分の気持ちを伝えられるようになるだなんて。
夢じゃないかとすら、思う。
「ええ」
私の答えを聞いた彼は、安堵したように微笑む。
「――そうであってほしいと、ずっと願っていたよ」
そこからまた、私は彼の腕の中に引き込まれると――彼に強く、抱きしめられた。
喜びに、胸が震える。
やっと私たちは、お互いの想いを、知ることができたのだ。
しばらく彼の腕の中で喜びを噛みしめていたが、肌に触れる冷たい風で意識が現実に戻ってきた。
「……なんだか、不思議な気持ちね」
そっとテオドールから体を離しながら呟く。
彼も私の動きに合わせて、腕の力を緩めてくれた。
「テオドールと想いが通じ合うなんて、思っていなかったから」
「……それは貴方の予測が甘すぎる」
私の何気ない本音に、テオドールはおかしそうに笑う。
しかしすぐにその笑みは、少し意地の悪いものに変わった。
「……でも、これからは違う」
「え?」
この表情、嫌な予感がする。
「これからは貴方に疑う隙も与えないくらい、言葉でも行動でも、愛を示しましょう」
「て、テオドール?」
「私が心から貴方を愛していると知ってもらうには、多少大げさな方が良いようだから」
「テオドール!」
もはや悲鳴のような私の声に、テオドールは声をあげて笑った。
(……なんだか彼の隠されたスイッチを押してしまったみたいだわ)
楽しそうな彼に振り回されながら、軽く息をついた。
その拍子に、胸元でチェーンが音を立てた。
ネックレスの存在を思い出し、そっと首元からネックレスを引き出す。
「おや、つけてくれていたんですか?」
「ええ。貴方がくれたものだからつけてきたの。……今日が上手くいくように、願いを込めて」
もう効果が切れているネックレスを、二人で懐かしむように眺める。
「……次はもっと、特別なものを贈りましょう」
彼はそう言って、私の左手の薬指に触れてきた。
……その意味は、言われずとも分かる。
「貴方の傍には私がいると、皆が分かるように」
いずれ彼の同じ指にも、特別なものが嵌められるだろう。
そして、その日はきっと――遠くない未来の話だ。
【テオドール・ローレンス】計測不能 「アニエスを手放したくない」
【アニエス・ダニエ】解析終了 100/100% 「テオドールを愛している」
次回が本編最終回となります。
次回は明日20時更新です。
アニエスたちの物語を、ぜひ最後まで見届けてください!




