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35.さようなら、秩序の神



「何?」


 挑発的なテオドールの言葉に、秩序の神は訝しげな反応を示した。

 しかし、その反応は次の瞬間に一変する。


「……動かない、だと!?」


 周囲に浮かんだ矢は微動だにしない。

 それを見てテオドールは口角を釣り上げていたが……その姿は満身創痍だった。

 体には無数の傷を受け、辛うじて立っている、といった印象だ。

 テオドールを回復させようと杖を構えたが、それに気づいたテオドールに無言で制された。


「貴様、何をした!?」

「簡単なことですよ」


 怒りに満ちた声が轟く。

 テオドールはそれを聞いても一切表情を崩さなかった。


「貴方を解析させていただきました」


 その、言葉に。

 聞いていた全員が驚愕の眼差しを向ける。


 神を、解析する。

 恐れを知らないその行為に、皆が言葉を失う。


「良い情報が得られましたよ。……貴方の構造を解析し、魔力を発動させる根源を突き止めました」

「『観測者』風情が、ふざけた真似を……!」


 その言葉に息を飲む。

 ……私が何度も、聞いた言葉だ。


「そこまで解析できれば、あとは簡単です」


 テオドールの視線が、ある一人の方へ向く。


「彼がそこを、抑えればいい」


 全員の視線が、テオドールと同じ方へ向く。

 そこでは――眉間に皺を寄せながら、アロイスが魔法を行使していた。


「貴様の根源周辺の時間を停止させた。ここが動かなければ、貴様は魔法を行使することは出来まい」

「……おのれ……! 『異分子』ごときが……!」


 神を相手に高難易度の魔法を行使するのは、さすがのアロイスでも骨が折れるらしく、額に汗が滲んでいる。

 秩序の神はそれに抗おうと藻掻いているようだったが、思うようにいかないようだった。

 周囲に展開されていた矢は、徐々に消失してきている。


 アロイスは荒く息をしながら、シャロの方に視線を向けた。


「今だ、シャロ」


 その眼差しは、見守るように優しい。


「君の手で、その意志を示せ」


 その、背中を押す言葉に。

 シャロは深く頷いた。


(これがきっと、最後になるわ……)


 私はありったけの魔力を振り絞って、シャロの魔法のために光源の明るさを強めた。

 影がくっきりと、濃く現れる。


 ウィリアムたちもこれが最後になると察したのか、シャロの周囲に集まってくる。


「シャロ。……私たちの力を預けよう」


 それぞれがシャロの肩に手を置き、魔力をシャロへと送る。


「やってやれ、シャロ!」

「ボクたちも一緒にいるからね!」

「ここが大一番だ。……君の思う通りにやればいい」


 皆の声に背中を押されて、シャロは大きく深呼吸をすると――そのまま秩序の神を見据えて、静かに語り掛けた。


「……私の魔法は、神様が与えてくださった宝物です」


 秩序の神はそれを聞いているのか、ただ黙っている。


「私は今まで、大きな危険に遭遇せずに生きてこられました。……それはきっと、神様が定めた秩序の世界のおかげだと思います」


 シャロはひとつひとつ、言葉に想いを乗せて神へと届けている。


「……私は、貴方の期待する『鍵』ではなかったかもしれない。貴方の期待通りになれなかったことは……ごめんなさい」


 全員が、シャロのことを見守っている。

 『鍵』として、秩序の神に抗うことを決めたのはシャロだ。

 しかし……この場にいる者はすべて、その決断の重みを背負うと決めている。


 シャロは秩序の神を見上げたまま、目を逸らさない。


「でも私は! 『鍵』である前に、一人の『シャロ・ノルン』です!」


 はっきりと告げられた、意志。

 それを聞いていたかは定かではないが、秩序の神の姿がゆらりと揺れた。


「私はこの世界が好きで、私の周りの人たちのことが大好きなんです。だから、私はそれをひとつも、失いたくない」

「……入学してからずっと私に寄り添ってくれたのは、『異界の魂』ではなくて『アニエス先生』です」


 その言葉に、胸が締め付けられる。

 私を、『アニエス』として頼ってくれた。


「学院で見守ってくれていたのは、『観測者』ではなく『テオドール先生』です。サロンの皆も、ただそこにある役割の人ではなく……お一人お一人が、私にとって欠かせない人たちなんです!」


 シャロの健気な声に、ニコラは涙を浮かべ、ウィリアムは目を細める。


「そして……貴方が『異分子』と呼ぶ人、『アロイス先輩』も……私にとっては何物にも代えられない、大切な人なんです……!」


 もはや叫ぶかのようなシャロの声。

 しかし……秩序の神は、何も答えない。


 シャロは苦しげに歯を食いしばりながら、地面に広がる影から無数の鎖を出現させた。

 その鎖は秩序の神に巻き付いて拘束する。


 シャロは優しい子だ。本当なら、荒事などしたくはないだろう。

 それでも、世界の行く末のために、神を倒す覚悟がある。

 ――シャロ・ノルンは、神と戦う覚悟のある少女だった。


(――ええ、よく知っているわ)


 眩しいほどの彼女の姿は、記憶に残っているものと少しも変わりない。


「きっと私たちは、貴方にとって良くない子供たちだったかもしれない」

「……それでも私たちは、みんなで生きて、笑っていたいです!」


 それが、シャロの――私たちの、結論だ。


 秩序の神はそれを最後まで聞き届けたのか、鎖の中で少し揺らめいて――シャロに、言葉を返した。


「――それが、其方の答えか。『シャロ』よ」

「っ……、はい!」


 初めて、秩序の神が名前を呼んだ。

 シャロはそれに怯むことなく、頷く。


「……其方は初めから我の期待通りだった試しはない」


 秩序の神が静かに紡ぐ言葉に、誰もが聞き入っていた。


「其方は初めから、世界の帳尻合わせのための異常を伴っていた……我がそれにどれだけ苦慮したことか」

「其方が『鍵』として歩むようにあらゆる策を講じたが、徒労に終わったな」


 その声からはもう、怒りの気配は感じられない。

 ただ目の前にいるシャロを見て、淡々と語っている。


「……宝物、か。その闇の力は我が与えたものではないが……其方がそう信じて、『人々が笑い合う』ために魔法を使うのであれば、あるいは新しい秩序が生まれるやもしれん」


 まるで、諦めたような。それでいて、慈しむような。

 そんな、声色だ。


「『シャロ』よ。……人間たちよ。其方らはもう、どこへなりとも行くが良い」


 それは明確な、離別の言葉だった。


「我を拒んでまで望んだ世界を、彼方から見届けてやろう」


 秩序の神はそうして、その黒い影の姿を白い光の粒へと変えて――。


 冬至の夜空へと、消えていった。



次回は明日20時に更新いたします。

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