31.どうしても、何よりも、譲れないもの
街の木々がすっかり葉を落とし、生徒が色とりどりのコートを羽織るようになったころ。
「シャロさん、先に教室移動しているわね」
「はい!」
シャロは今や立派なクラスの一員となっていた。
学院内は、目前に迫った天体観測会に向けて、空気が浮足立っている。
冬の初め、流星群が降る日に行われる天体観測会。
(この日の流星に恋のお願い事をすると叶うって噂があるんだっけ)
学院内が盛り上がる、その理由。
学院に集う若者たちは、ささやかな願いを胸に天体観測会に参加する。
周囲の生徒たちの話題は、流星に何を願うかで持ち切りだった。
(恋の、お願い事……)
『やっぱり、言葉にすることが一番じゃないかしら』
シャロの脳裏に、先日のアニエスの言葉が思い浮かぶ。
シャロは、自分の中に生まれたばかりの恋を思う。
(もし、私がお願い事をするとしたら……)
何を願うか。
シャロは廊下を歩きながら、考えを巡らせていた。
*
賑わいに溢れる教室とは対照的に、学院の端にある研究室は静かだった。
中にいるテオドールは、資料をめくりながら試験問題を作成している。
そうしているうちに、研究室内に冷たい空気が広がった。
窓は開けていない。空気に混じる、闇魔法の気配。
「……入室するときはノックをするものですよ、アロイスくん」
テオドールは振り返らずに声を掛ける。
その背後には、アロイスが音もなく現れていた。
「テオドール・ローレンス」
「……これでも一応教師という立場なんですが……まあいいでしょう」
テオドールはゆっくりと振り返ると、立ち上がりアロイスに対峙する。
アロイスはというと、徐々に研究室を結界で包んでいく。
二人は少しも相手から目を逸らさずにいた。
「シャロに影を操る魔法を教えたそうだな」
前振りもなく、アロイスが切り出した。
「ええ。彼女はそちらの方に適性がありましたから」
「シャロを解析したのか」
「それが私の仕事です」
淡々と交わされる言葉。
周囲の空気が更に冷え込む。
「シャロに闇魔法を教えるのは俺だ」
「そうですね。しかし私も教師だ。彼女の素質を生かす方法を教える役目がある」
アロイスの拳が固く握りしめられる。
テオドールはその様子を見逃さなかった。
「シャロはお前のことも見捨てない。だからこそお前の存在は許容する。しかし……」
アロイスは自分に言い聞かせるように話す。
「お前がシャロに深く関わろうとするなら、話は別だ」
締め付けるような、重い圧が滲む。
アロイスの言葉を真正面から浴びて、テオドールにも緊張が走る。
(さすがに、彼の圧は凄まじい……気を抜けば押し切られますね……)
テオドールの呼吸が浅くなる。
少しでも油断をすれば、この魔力に飲み込まれる。
いつでも魔法を発動できるよう、テオドールは指先に神経を集中させた。
しかし、彼の集中は、次の言葉で途切れることとなる。
「お前は、『観測者』になるつもりなのか?」
テオドールはその言葉に、目を見開いて。
それから、軽く目を伏せたあと――小さく、笑った。
「いいえ――私は、『観測者』にはなれない。貴方の懸念は、杞憂に終わりますよ」
それは何度も、テオドールが思い知らされた事実だった。
いくら世界に『観測者』だと定義されても、彼には従えない理由がある。
「……私には、観るべきものが、他にありますから」
テオドールは、アロイスから目を逸らさない。
見抜けるものなら見抜いてみろと言うように、テオドールは視線を動かさなかった。
「……ああ、なるほど」
沈黙がしばらく続いた後、アロイスはまたしても一人で何かを理解した。
テオドールの思惑通りに。
「そうか……シャロがお前たちを気にする素振りをしていたのは、そのためか」
周囲の張り詰めた空気が、和らいでいく。
部屋の中の冷たい空気が、緩やかに温まっていく。
研究室を包んでいた結界は綺麗に霧散していった。
「理解してもらえたようで何よりです。それに……シャロさんに闇魔法を教えたのは、貴方にこうして来てもらうためでしたから」
「なに?」
テオドールは椅子に腰を掛け、空いている椅子に座るようアロイスに促す。
アロイスは怪訝そうな顔をしながら、椅子に腰を落ち着かせた。
「どうしてもアロイスくんにお願いしたいことがあったんです」
「……俺はシャロ以外の願いを聞くつもりはないが」
テオドールはアロイスの返答を予想していたらしく、口元で笑ったまま表情を変えない。
「まあそう言わずに。これはそのシャロさんも関わる話ですから」
その言葉を耳にした途端、アロイスの顔つきが変わった。
背もたれに深く預けていた体が、一気に前のめりになる。
「アロイスくん。私たちはお互いに、どうしても譲れないものがある」
テオドールは盤面の駒を動かすように、情報と言葉を選んでいく。
「何よりも譲れないもの。それを貫き通すための交渉です……悪い話ではないでしょう?」
駒を動かし、手札を切る。
この場にいるのは、『観測者』でも『異分子』でもない。
「……話してみろ」
男二人が、己のために交渉の席につく。
話はつつがなく進み――。
「……良いだろう。その話に乗ってやる」
「感謝しますよ、アロイスくん」
かくして、取引は成立した。
次回は明日20時更新です。




