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29/44

29.その名はまだ、彼女しか知らない



 それぞれの想いが交わりながら、生徒夜会当日を迎えた。

 生徒夜会はサロンとは別の生徒組織が運営するため、サロンメンバーはゆっくりと夜会の準備をすることができた。


 シャロもこの日のために、ダンスの技術や社交の話術などを磨き上げた。

 自宅でアロイスが用意してくれたドレスを身に纏い、夜会会場へと足を運ぶ。


 馬車が停車場へ到着し、シャロはゆっくりと馬車を降りた。

 周囲には、パートナーと待ち合わせる生徒たちの姿。

 生徒たちはシャロの姿に気づくと、シャロを見ながらなにやら言葉を交わしている。


(……え、私なにかおかしいかな……?)


 周囲の反応はシャロを不安にさせる。

 耳をすますと、彼らの会話をわずかに拾うことができた。


「ほらやっぱり……」

「あの噂は本当だったのね……」


 その声はけして悪意を感じるものではなかった。

 どちらかというと、なにかを楽しんでいるような声色だ。


 シャロはそれを気にしながらも、会場の入り口へと向かう。

 その途中で、ある姿を見つけた。


「ドミニク先輩!」


 普段の制服姿とは異なる、騎士礼装を着用したドミニクがいた。

 ドミニクの精悍な顔立ちと立派な体躯は、騎士礼装を見事に着こなしている。


「おう、シャロ」

「待ち合わせですか?」

「ああ、知己のご令嬢をエスコートすることになってる」

「そうなんですね。……礼装姿、とてもよくお似合いです」

「はは、ありがとう。お前も……」


 ドミニクは言葉を止めると、シャロの頭から足元まで視線を巡らせた。


(やっぱり、なにかおかしい……?)


 シャロの不安は更に増していく。

 そうしているうちに、ドミニクの背後に人影が現れた。

 その人影は、思い切りドミニクの後頭部を叩く。


「いってえ!」

「ご令嬢の姿をじろじろ見るものじゃない」


 社交用の衣装に身を包んだアーネストだった。

 現れたアーネストに、シャロはおそるおそる質問をする。


「アーネスト先輩、私……どこかおかしい格好をしているでしょうか?」


 不安そうに顔を曇らせるシャロを見て、アーネストは数回瞬きをする。

 それから素早く周囲を見渡した後、なにかを察したように息をついた。


「……君の格好におかしな点は見受けられない。夜会に相応しい装いをしている」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。……早くあの人に見せてあげるといい」


 安堵した表情を浮かべるシャロ。

 なぜシャロが注目を浴びているのか。その本当の理由をアーネストは言わなかった。


「おっ、噂をすれば影、だな」


 ドミニクがそう言いながら、シャロの背後に視線をやる。

 シャロが振り返ると。


「……シャロ」


 瀟洒な装いのアロイスが、シャロを迎えに来ていた。

 周囲の生徒たちは皆、アロイスに目を奪われている。


「アロイス先輩!」

「待たせたな。……ドレス、よく似合っている」


 アロイスは満足そうに笑みを浮かべる。

 それもそのはず。

 シャロのドレスは、深い青の生地に、黒のレースやリボンで飾り付けられたものだった。


 深い青と黒。

 つまりはアロイスの瞳と髪の色である。


 かねてより、シャロに寄り添うアロイスの姿が生徒たちに目撃されていた。

 今回シャロがアロイスの色を身に纏うことによって、周囲の者たちは二人の仲を確信する。

 シャロはそれに気づいていないようだが。


「シャロ、行こうか」

「はい!」


 二人は互いに手を取ると、入口へと歩みを進めた。


 *


 二人が入場すると、既に会場内は多くの生徒が入場していた。

 現れたシャロとアロイスの姿に、会場の生徒たちも視線を送る。


 次々と生徒たちが入場する中、シャロが会場を見渡すと、壇上にはウィリアムがいた。

 ウィリアムはシャロたちに気付くと、目を細めて笑いかける。

 生徒たちが乾杯用のグラスを手に取ると、壇上のウィリアムを見上げる。

 いよいよ、夜会が始まる。


「今宵が皆にとって、かけがえのない一夜になることを願う。乾杯!」


 それを合図に、生徒たちは思い思いに動き始めた。

 談笑するもの、ドリンクを味わうもの。

 それぞれが和気あいあいとして過ごしている。


「賑やかですね、アロイス先輩」

「ああ」


 シャロとアロイスに対しては話しかけにくいのか、周囲の者たちは近寄って来ない。

 二人でひそやかに話をする。


「……シャロがいなければ、ここに来ることもなかった」

「そうなんですか?」

「そうさ。……シャロが隣にいなければ、どこにいても意味はない」


 アロイスの言葉が、シャロの心の奥底に染み込んでいく。


(アロイス先輩……)


 その言葉に浸っていると、人をかき分けて、ウィリアムが近づいてきた。


「すまない、シャロ。アロイスを借りてもいいかい?」

「急になんだ、ウィリアム」

「アロイス……君はこういう時くらい、社交の輪に加われ」


 ウィリアムの呆れたような声に、シャロは思わず笑う。

 アロイスのことだ、今までろくに社交の場には出てこなかったのだろう。


「私は構いませんよ。アロイス先輩、行ってきてください」

「シャロ……」


 いかにも嫌そうな顔をするアロイス。

 しかしシャロにそう言われては、アロイスも従うしかなかった。


 渋々ウィリアムについていくアロイスの背を見送りながら、シャロは一息つく。

 しかしのんびりしている間もなく、周囲にいた令嬢たちがシャロを取り囲んだ。


「シャロ様、少々よろしくて?」


 急に周囲を囲まれたシャロは、思わず身構える。

 何を言われるのか、シャロは内心冷や汗をかく。


(なんだろう……私がアロイス先輩のパートナーに相応しくない、とかかな……)


 しかしシャロの身に振りかかった言葉は、予想しないものだった。


「シャロ様は、アロイス様とご婚約されているの!?」

「え?」


 まったく予想しない方向から質問をされて、シャロは思わず気の抜けた声を出してしまった。


「ちょっと、いきなりそういうことを聞いてはシャロ様も困るでしょう。……それで、シャロ様はいつアロイス様の心を射止められたの?」

「シャロ様のお召しになってるドレス、アロイス様のお色味に寄せたものですよね? これはアロイス様から贈られたのですか?」

「えっ、わっ」


 矢継ぎ早に繰り出される質問に、たじたじになる。

 それでもなんとか質問に答えようと、シャロは言葉を選びながら口を開く。


「ええと、まず私とアロイス先輩は婚約するような関係では……」

「まだ婚約はされてないのね……でもおそらくそう遠くないお話でしょう?」

「いえ、それはどうでしょう……? ドレスはアロイス先輩にいただきましたが……」

「やっぱり! よくお似合いですわ。アロイス様も、シャロ様のことを本当に愛していらっしゃるのね」

「愛して……いるんでしょうか……?」


 その言葉に、シャロはふと引っかかりを覚える。

 アロイスからは、間違いなく深く好意を向けられていると思う。

 そこまで鈍くはない。

 しかし……アロイスからは「好きだ」とも、「恋人になろう」とも言われたわけではない。


(普通の人の常識はアロイス先輩に通用しないけれど……)


 今のアロイスとシャロの関係は、ただの先輩と後輩に過ぎない。

 どれだけ周囲から恋人のように見えていたとしても、シャロにとっては違う。


(アロイス先輩は、どう思っているのかな……)


 シャロの中に疑問が生まれた、その時。


「シャロ」


 アロイスが、戻ってきた。

 アロイスはシャロの肩を抱くと、無言で令嬢たちを見渡す。


「わ、私たちはこれで失礼いたしますわ! アロイス様、シャロ様、ごきげんよう!」


 アロイスからの無言の圧に耐えかねたのか、令嬢たちは散り散りになっていく。

 シャロは肩に触れるアロイスの手を感じながら、アロイスを見上げた。

 アロイスは不思議そうに、シャロを見つめ返す。


 会場の音楽が変わった。

 それに気づいた生徒たちは、それぞれパートナーとダンスを踊りだす。

 二人も思わず、そちらの方に目をやる。


「素敵……」


 シャロが眩そうに、その光景を見る。

 そんなシャロの表情を見ていたアロイスは、そっと手をシャロの前に差し出した。


「シャロ」

「はい?」

「おいで」


 シャロが手を取ると、アロイスはそのまま、ダンスを踊る男女たちの中へと進む。

 周囲にいた生徒たちが、二人のために場所を開ける。

 アロイスはシャロの手をとり、背に手を回すと、ゆっくりとステップを刻み始めた。


「わあ……!」


 シャロは思わず、感嘆の声をあげた。

 色とりどりの衣装を着た生徒たちに囲まれ、辺りにはシャンデリアの光がきらめく。

 そして目の前には、穏やかな微笑みを浮かべてシャロを見つめるアロイス。

 まるで世界の主役が自分になったかのような、そんな錯覚すらする。


「アロイス先輩、ダンスお上手ですね」

「覚えた。シャロをリードできるように」


 事も無げにアロイスは言う。

 シャロは、アロイスの言葉のひとつひとつを噛みしめていた。


(アロイス先輩が私を見ていてくれるのは、嬉しい)


 春に彼と出会ってから、色んな出来事があった。

 その思い出は、シャロの中の特別な場所にしまわれている。


(アロイス先輩は、どこかズレていて、興味のないものには冷めていて……でも、ずっと私のことを見ていてくれた)

(きっかけは違うかもしれないけれど……『鍵』じゃなく、ただの『シャロ』を、想ってくれている)


『すべてが終わった世界で、二人で穏やかに生きよう』


 その未来は来ないけれど、その言葉をずっと、シャロは覚えている。


(アロイス先輩のことを考えると、心が温かい)


 胸の中に生まれる感情。


(アロイス先輩が近くにいないのは、寂しい)


 最高学年であるアロイスは、春が来れば学院を卒業する。

 学院を卒業してしまえば、『ただの先輩と後輩』という関係すら無くなってしまう。


(アロイス先輩、私……)


 シャロはこの感情に、なんと名前をつければいいか知っている。


『君の隣に、他の誰かが立つのは許容できない』


(ええ、そうね、私も……)


 貴方の隣は、私が良い。

 シャロはその感情に、『恋』と名付けた。



次回は明日20時更新です。

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