29.その名はまだ、彼女しか知らない
それぞれの想いが交わりながら、生徒夜会当日を迎えた。
生徒夜会はサロンとは別の生徒組織が運営するため、サロンメンバーはゆっくりと夜会の準備をすることができた。
シャロもこの日のために、ダンスの技術や社交の話術などを磨き上げた。
自宅でアロイスが用意してくれたドレスを身に纏い、夜会会場へと足を運ぶ。
馬車が停車場へ到着し、シャロはゆっくりと馬車を降りた。
周囲には、パートナーと待ち合わせる生徒たちの姿。
生徒たちはシャロの姿に気づくと、シャロを見ながらなにやら言葉を交わしている。
(……え、私なにかおかしいかな……?)
周囲の反応はシャロを不安にさせる。
耳をすますと、彼らの会話をわずかに拾うことができた。
「ほらやっぱり……」
「あの噂は本当だったのね……」
その声はけして悪意を感じるものではなかった。
どちらかというと、なにかを楽しんでいるような声色だ。
シャロはそれを気にしながらも、会場の入り口へと向かう。
その途中で、ある姿を見つけた。
「ドミニク先輩!」
普段の制服姿とは異なる、騎士礼装を着用したドミニクがいた。
ドミニクの精悍な顔立ちと立派な体躯は、騎士礼装を見事に着こなしている。
「おう、シャロ」
「待ち合わせですか?」
「ああ、知己のご令嬢をエスコートすることになってる」
「そうなんですね。……礼装姿、とてもよくお似合いです」
「はは、ありがとう。お前も……」
ドミニクは言葉を止めると、シャロの頭から足元まで視線を巡らせた。
(やっぱり、なにかおかしい……?)
シャロの不安は更に増していく。
そうしているうちに、ドミニクの背後に人影が現れた。
その人影は、思い切りドミニクの後頭部を叩く。
「いってえ!」
「ご令嬢の姿をじろじろ見るものじゃない」
社交用の衣装に身を包んだアーネストだった。
現れたアーネストに、シャロはおそるおそる質問をする。
「アーネスト先輩、私……どこかおかしい格好をしているでしょうか?」
不安そうに顔を曇らせるシャロを見て、アーネストは数回瞬きをする。
それから素早く周囲を見渡した後、なにかを察したように息をついた。
「……君の格好におかしな点は見受けられない。夜会に相応しい装いをしている」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。……早くあの人に見せてあげるといい」
安堵した表情を浮かべるシャロ。
なぜシャロが注目を浴びているのか。その本当の理由をアーネストは言わなかった。
「おっ、噂をすれば影、だな」
ドミニクがそう言いながら、シャロの背後に視線をやる。
シャロが振り返ると。
「……シャロ」
瀟洒な装いのアロイスが、シャロを迎えに来ていた。
周囲の生徒たちは皆、アロイスに目を奪われている。
「アロイス先輩!」
「待たせたな。……ドレス、よく似合っている」
アロイスは満足そうに笑みを浮かべる。
それもそのはず。
シャロのドレスは、深い青の生地に、黒のレースやリボンで飾り付けられたものだった。
深い青と黒。
つまりはアロイスの瞳と髪の色である。
かねてより、シャロに寄り添うアロイスの姿が生徒たちに目撃されていた。
今回シャロがアロイスの色を身に纏うことによって、周囲の者たちは二人の仲を確信する。
シャロはそれに気づいていないようだが。
「シャロ、行こうか」
「はい!」
二人は互いに手を取ると、入口へと歩みを進めた。
*
二人が入場すると、既に会場内は多くの生徒が入場していた。
現れたシャロとアロイスの姿に、会場の生徒たちも視線を送る。
次々と生徒たちが入場する中、シャロが会場を見渡すと、壇上にはウィリアムがいた。
ウィリアムはシャロたちに気付くと、目を細めて笑いかける。
生徒たちが乾杯用のグラスを手に取ると、壇上のウィリアムを見上げる。
いよいよ、夜会が始まる。
「今宵が皆にとって、かけがえのない一夜になることを願う。乾杯!」
それを合図に、生徒たちは思い思いに動き始めた。
談笑するもの、ドリンクを味わうもの。
それぞれが和気あいあいとして過ごしている。
「賑やかですね、アロイス先輩」
「ああ」
シャロとアロイスに対しては話しかけにくいのか、周囲の者たちは近寄って来ない。
二人でひそやかに話をする。
「……シャロがいなければ、ここに来ることもなかった」
「そうなんですか?」
「そうさ。……シャロが隣にいなければ、どこにいても意味はない」
アロイスの言葉が、シャロの心の奥底に染み込んでいく。
(アロイス先輩……)
その言葉に浸っていると、人をかき分けて、ウィリアムが近づいてきた。
「すまない、シャロ。アロイスを借りてもいいかい?」
「急になんだ、ウィリアム」
「アロイス……君はこういう時くらい、社交の輪に加われ」
ウィリアムの呆れたような声に、シャロは思わず笑う。
アロイスのことだ、今までろくに社交の場には出てこなかったのだろう。
「私は構いませんよ。アロイス先輩、行ってきてください」
「シャロ……」
いかにも嫌そうな顔をするアロイス。
しかしシャロにそう言われては、アロイスも従うしかなかった。
渋々ウィリアムについていくアロイスの背を見送りながら、シャロは一息つく。
しかしのんびりしている間もなく、周囲にいた令嬢たちがシャロを取り囲んだ。
「シャロ様、少々よろしくて?」
急に周囲を囲まれたシャロは、思わず身構える。
何を言われるのか、シャロは内心冷や汗をかく。
(なんだろう……私がアロイス先輩のパートナーに相応しくない、とかかな……)
しかしシャロの身に振りかかった言葉は、予想しないものだった。
「シャロ様は、アロイス様とご婚約されているの!?」
「え?」
まったく予想しない方向から質問をされて、シャロは思わず気の抜けた声を出してしまった。
「ちょっと、いきなりそういうことを聞いてはシャロ様も困るでしょう。……それで、シャロ様はいつアロイス様の心を射止められたの?」
「シャロ様のお召しになってるドレス、アロイス様のお色味に寄せたものですよね? これはアロイス様から贈られたのですか?」
「えっ、わっ」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、たじたじになる。
それでもなんとか質問に答えようと、シャロは言葉を選びながら口を開く。
「ええと、まず私とアロイス先輩は婚約するような関係では……」
「まだ婚約はされてないのね……でもおそらくそう遠くないお話でしょう?」
「いえ、それはどうでしょう……? ドレスはアロイス先輩にいただきましたが……」
「やっぱり! よくお似合いですわ。アロイス様も、シャロ様のことを本当に愛していらっしゃるのね」
「愛して……いるんでしょうか……?」
その言葉に、シャロはふと引っかかりを覚える。
アロイスからは、間違いなく深く好意を向けられていると思う。
そこまで鈍くはない。
しかし……アロイスからは「好きだ」とも、「恋人になろう」とも言われたわけではない。
(普通の人の常識はアロイス先輩に通用しないけれど……)
今のアロイスとシャロの関係は、ただの先輩と後輩に過ぎない。
どれだけ周囲から恋人のように見えていたとしても、シャロにとっては違う。
(アロイス先輩は、どう思っているのかな……)
シャロの中に疑問が生まれた、その時。
「シャロ」
アロイスが、戻ってきた。
アロイスはシャロの肩を抱くと、無言で令嬢たちを見渡す。
「わ、私たちはこれで失礼いたしますわ! アロイス様、シャロ様、ごきげんよう!」
アロイスからの無言の圧に耐えかねたのか、令嬢たちは散り散りになっていく。
シャロは肩に触れるアロイスの手を感じながら、アロイスを見上げた。
アロイスは不思議そうに、シャロを見つめ返す。
会場の音楽が変わった。
それに気づいた生徒たちは、それぞれパートナーとダンスを踊りだす。
二人も思わず、そちらの方に目をやる。
「素敵……」
シャロが眩そうに、その光景を見る。
そんなシャロの表情を見ていたアロイスは、そっと手をシャロの前に差し出した。
「シャロ」
「はい?」
「おいで」
シャロが手を取ると、アロイスはそのまま、ダンスを踊る男女たちの中へと進む。
周囲にいた生徒たちが、二人のために場所を開ける。
アロイスはシャロの手をとり、背に手を回すと、ゆっくりとステップを刻み始めた。
「わあ……!」
シャロは思わず、感嘆の声をあげた。
色とりどりの衣装を着た生徒たちに囲まれ、辺りにはシャンデリアの光がきらめく。
そして目の前には、穏やかな微笑みを浮かべてシャロを見つめるアロイス。
まるで世界の主役が自分になったかのような、そんな錯覚すらする。
「アロイス先輩、ダンスお上手ですね」
「覚えた。シャロをリードできるように」
事も無げにアロイスは言う。
シャロは、アロイスの言葉のひとつひとつを噛みしめていた。
(アロイス先輩が私を見ていてくれるのは、嬉しい)
春に彼と出会ってから、色んな出来事があった。
その思い出は、シャロの中の特別な場所にしまわれている。
(アロイス先輩は、どこかズレていて、興味のないものには冷めていて……でも、ずっと私のことを見ていてくれた)
(きっかけは違うかもしれないけれど……『鍵』じゃなく、ただの『シャロ』を、想ってくれている)
『すべてが終わった世界で、二人で穏やかに生きよう』
その未来は来ないけれど、その言葉をずっと、シャロは覚えている。
(アロイス先輩のことを考えると、心が温かい)
胸の中に生まれる感情。
(アロイス先輩が近くにいないのは、寂しい)
最高学年であるアロイスは、春が来れば学院を卒業する。
学院を卒業してしまえば、『ただの先輩と後輩』という関係すら無くなってしまう。
(アロイス先輩、私……)
シャロはこの感情に、なんと名前をつければいいか知っている。
『君の隣に、他の誰かが立つのは許容できない』
(ええ、そうね、私も……)
貴方の隣は、私が良い。
シャロはその感情に、『恋』と名付けた。
次回は明日20時更新です。




