23.君のため、ただそれだけ
国王たちとの話し合いが終わり、皆で夕食をとったあと、シャロはゲストルームへと戻った。
日はすっかり暮れている。
シャロは明日までは王宮に滞在する予定となっており、今夜が王宮で過ごす最後の夜だった。
「緊張したぁ……」
シャロはソファに沈み込んで、気の抜けた声を出す。
ウィリアムやアーネストなど、王太子や高位貴族と交流することには慣れてきたが、まさか国王と話をする機会が訪れるとは思わなかった。
改めて、自分の身がとんでもないことに巻き込まれていると自覚したのだった。
ふと、窓辺の方からノック音が聞こえてくる。
ここは王宮の一階で、窓の外は庭園だ。
夜は人通りがあまりない場所である。
(もしかして――)
シャロの脳裏には、一人の人物が浮かんでいた。
跳ねるように立ち上がり、音の聞こえた方の窓辺に近づく。
柔らかいカーテンをめくると――。
「やあ、シャロ」
「アロイス先輩!」
アロイスが、そこにいた。
アロイスに誘い出され、二人で静かな庭園を歩く。
秋の夜の涼しい風が、二人の頬を撫でた。
「アロイス先輩、ここまで入ってくるのは大変じゃなかったですか?」
「俺は陛下に許しを得ているからな、この辺りならば問題ない」
周囲にはバラが咲き誇り、華やかな香りが漂っている。
シャロの数歩先を行くアロイスは、バラの花弁にそっと触れた。
「我が家のことは聞いただろう?」
唐突にレーンベルク家の話を投げかけられる。
シャロは答えられずにいたが、アロイスはそれを気にせず続けた。
「レーンベルク家に生まれた俺を憐れんでくださってな。……俺はウィリアムと同い年だし、王宮の庭くらいなら好きに出入りしていいと」
その言葉に、シャロは幼いころのアロイスの話を思い出した。
その強大すぎる力を持つがゆえに、周りから遠ざけられてきた少年。
その孤独を想う。
(陛下は懐の深いお方だった……分け隔てなく気を配ってくださるんだわ……)
シャロも先ほど国王と話をして、彼の懐深さが身に染みている。
その国王がアロイスを気にかけるのも当然と言える。
「具合の方はどうだ?」
「すっかり良くなりました!」
「そうか」
元気そうに答えるシャロに、アロイスは目を細める。
(……あの日のこと、お礼を言わなきゃ……!)
秩序の神と邂逅した、あの日。
肩を抱かれる感触。頭を撫でる優しい手つき。
あの日の記憶が、呼び起こされる。
「アロイス先輩! ……あの日、私を助けてくださって、ありがとうございました」
錯乱しかけたシャロを救ったのは、紛れもなく、アロイスだった。
あの日からずっと、シャロの脳内はアロイスのことを考えていた。
アロイスはその言葉を聞くと、「ああ」と別段特別なことではないかのように答えた。
「あの時、君の声を聞いた……悲痛な声を。俺の魔法は、君を守るために使いたかった」
それが当然のことであるかのように、アロイスは語る。
「ただそれだけのことだ」
シャロは、何も言葉を返せなかった。
言葉を返せないながらも、シャロの胸中はずっと渦巻いている。
(……アロイス先輩は、どうしてここまで私を気にかけてくれるんだろう)
(私が『鍵』だから? ……レーンベルク家の人は『鍵』を気にかけるようにできているの?)
一度湧きおこった疑問は、次から次へと新しい疑問を呼ぶ。
抑えようとしても、その勢いは収まらない。
(アロイス先輩はどうして……自分の存在が『異分子』だと分かっていても、動じずにいられるんだろう)
己が『鍵』であることへの戸惑い。いきなり課された役目の重さ。
今の自分は、それに足がすくみそうになるのに――生まれてからずっと、『異分子』だと言われ続けるのは、どういう人生なんだろう。
「アロイス先輩は」
あらゆる疑問が、シャロの口を動かす。
目の前を歩くアロイスが、振り返ってシャロを見る。
「どうして私を、そんなに気にかけてくれるんですか?」
放たれた言葉に――アロイスはひと際大きく目を見開くと、驚いたように、目を瞬かせた。
そのまま何度か首を傾げて、ようやく口を開く。
「シャロが、シャロだからだ」
「……えっ?」
今まで何度も、アロイスの要領を得ない言葉を聞いてきたが、今回は少しも分からない。
シャロが頭に疑問符を浮かべている様子を見て、アロイスは更に言葉を選ぶように考え込んだ。
「……君にとっての俺は、どういう人間だ?」
急に投げかけられる問いかけ。
しかし、シャロは素直にそれに答える。
「ええと、闇魔法の天才と呼ばれてる先輩で……人よりちょっと、行動が突拍子もないところがありますよね」
アロイスへの印象を、指折り数えながら挙げていく。
「先輩なりに周囲に気を遣っていて……でも気を遣った結果、人目につかない木の上に登っちゃうところもあって」
数える間にも、アロイスと過ごした日々が思い浮かんでくる。
「私に興味を持ってくれていて……そして、私に闇魔法を沢山教えてくれました」
その日々はシャロにとって、あたたかな日常の一頁であった。
アロイスと過ごす日々は、たしかに楽しい記憶だった。
強く風が吹き抜ける。周囲の庭木が揺れる。
シャロは思わず目をつむる。
風がやんだあと、そっと目を開くと――アロイスは、穏やかに微笑んでいた。
「君が俺に対してそう言えるのは、君が君だからだ」
アロイスは一歩シャロに近づく。
シャロがアロイスの顔を見上げると――アロイスは微笑み、その背後には星空が広がる。
「他の者は俺をそうは言わない。……そもそも、ここまで俺に近づく存在はいない」
「君だけが、俺に対してそう言ってくれる」
蕩けるような瞳で見つめてくるアロイスに、シャロの鼓動が高鳴る。
アロイスは何も魔法を発動させていないのに、その瞳から目を逸らせない。
目が、奪われる。
アロイスは、自分を見上げるシャロの頬にそっと手を寄せる。
アロイスの低めの体温が伝わってくる。
「それに……君に対しての感情を、『気にかける』程度の言葉で括られるのは少々困る」
何かが堰を切ったように、アロイスから言葉があふれ出してくる。
「シャロの傍にいると、世界に光が差したように見える。……君を知る日々は、本当に楽しいものだった」
「それと同時に知ってしまった。君がいない頃の俺の日々は、あんなに色のないものだったのかと」
壊れた蛇口のように、言葉が止まらない。
「シャロ。君が傍にいることが、俺にとっての幸福だ。君が笑っていることが、俺にとって絶対に正しいことだ。だから――」
ひやりと、周りの空気が冷たくなったような感覚がする。
シャロは思わず身震いをした。
「シャロの顔を曇らせるものを俺は許さない」
「世界がシャロの運命を甚振るならば――そんな世界は俺が滅ぼす。すべてが終わった世界で、二人で穏やかに生きよう」
アロイスはもう、笑っていなかった。
表情は氷のように冷たく――その言葉に、洒落も冗談も無かった。
周囲はバラに囲まれて、二人以外の人影はない。
ただ風が吹く音だけが聞こえて。
まるで――世界に二人だけになってしまったようだ。
シャロはアロイスから目を逸らさぬまま、頬に添えられた手に、自分の手を重ねる。
「……だめですよ、アロイス先輩」
静かに、しかしはっきりと紡がれる声。
「私はこの世界で、アロイス先輩と、みんなと一緒に笑いたい」
シャロは目を逸らさない。
それどころか、アロイスの手をぎゅっと握る。
触れたところからシャロの体温がアロイスの手に滲んでいく。
意志の強いシャロの瞳が、くっきりとアロイスを映している。
「……フ」
思わず、アロイスは笑みを零した。
そうだった。目の前の少女は、逃げないのだ。
どんなに恐るべき相手でも。
――だからこそ、彼女に心が奪われたのだ。
「……君が、そう望むなら」
張り詰めた糸が解けるように、周囲の空気があたたかいものに変わる。
バラの香りが二人を包む。
アロイスの手は優しくシャロの頬を撫でると、ゆっくりと離れていく。
「あ……」
頬に添えられていた感触が消えていく。
思わず、声が漏れる。
「……帰るとするか」
「……はい」
庭園を抜け、王宮へと戻っていく。
シャロの胸の中に、うまく言葉にできない感情があふれてくる。
(この人は本当に、“私”のことを好きでいてくれるんだな……)
シャロに注がれた、アロイスの言葉たち。
その言葉を思い返すたびに、体温があがるような感覚がする。
(アロイス先輩の言葉は、嬉しかった)
アロイスが今まで、どういう生き方をしてきたのかは詳しく知らない。
それでも。
(……一緒にいたいなぁ)
シャロの中に生まれたささやかな願い。
それはまだ、誰も知らない。
次回は明日20時更新です。




