22.『其れは鍵なるワルキューレ』
影との戦いから数日。
シャロは王宮のゲストルームで、一人ため息をついていた。
アニエスが意識を回復したとの知らせが届き、シャロも王宮での検査が終わって一段落ついたところだった。
シャロはあの時のことを思い返す。
『――飲まれるな、シャロ』
ぐしゃぐしゃに心をかき乱され、わけもわからないまま魔法を発動させていたシャロに聞こえてきた声。
『シャロの痛みは、俺の痛みだ』
『案ずるな、君はもう、なにも失わない』
優しく頭を撫でる手。シャロにだけかけられた、眠りの魔法。
「アロイス先輩……」
今はここにいないアロイスのことが、シャロの胸の中にずっと残っていた。
「シャロ、失礼するよ」
慌ててシャロが扉を開けて出迎えると、ウィリアムが来ていた。
ウィリアムの深刻そうな表情に、シャロは思わず身構える。
「殿下、いかがなさいましたか?」
「シャロ。……君に説明しなければならないことがある。おいで」
『説明しなければならないこと』。
影との戦いの途中、シャロには分からない言葉がいくつも飛び交っていた。
シャロは息を飲み、頷いた。
*
ウィリアムに案内されたのは、王宮のとある一室だった。
小さな会議場のようなその部屋には、既にニコラ、アーネスト、ドミニクが来ていた。
ウィリアムたちが到着すると、それぞれ着席する。
「皆、急に集まってもらってすまない」
全員の顔を見渡して、ウィリアムは話し始める。
「今日集まってもらったのは、この方から説明があるからだ」
ウィリアムは立ち上がると、もう一か所の扉に手を掛け――ある人物を、招き入れた。
会議室に入ってくる、その昂然たる姿。
「っ……!」
その姿を見たアーネストは真っ先に立ち上がり、首を垂れる。
ニコラたちも続いて慌ただしく立ち上がる。
「良い。これは非公式な場ゆえ、そう畏まるな」
この国でもっとも高貴なる存在。
ウィリアムの父にして、国家の最高権力者。
ロベルト・ノーザンフィリア。
ノーザンフィリア王国の国王が、現れた。
ロベルトはアーネストたちを見渡して目を細めると、着席するように促した。
緊張の中、席につく。
「今日こうして、未来を担う若人たちに集まってもらったのは他でもない」
ロベルトの低い声が、会議室に響く。
「『世界の鍵』について、汝らに説明するためだ」
「――!」
その場にいる若人たちの瞳が、大きく見開かれる。
その中でニコラがおそるおそる、発言の許可を得る。
「ノルン男爵令嬢は当事者ですが、ボクたちも同席してよろしいのですか?」
「ああ。汝らは先日現れた影と接触しているからな。しかし、この場で聞いたことは口外禁止とする」
「承知いたしました」
ロベルトはゆっくりと、一人一人の表情を見る。
「汝らにも疑問はあるだろうが、まずは話を聞いてほしい。先日の仔細は王太子から聞いている」
「これは余を含めて、一部の王族と王宮神官のみが知ること。王太子にはまだ明かしていなかったことだ」
ロベルトが語る前置きに、全員が固唾を呑んで耳を傾ける。
「汝らが接触したという影――あれは、秩序の神の分身と考えられる」
――その、突拍子もない言葉に。
全員が驚きのまま、硬直してしまった。
「……父上、その訳は一体……」
「順を追って話そう。そうだな……アーネスト」
アーネストは強張った表情で顔を上げる。
「この国の創世神話を、簡単に説明してみよ」
「……承知いたしました。では、恐れながら……」
促されたアーネストは、静かに神話を語りだした。
――かつて、秩序の神と混沌の神が存在し、どちらが主導で世界を作るか争っていた。
争いは秩序の神が勝ち、混沌の神は排除されることとなった。
秩序の神は世界を発展させるため、民に魔法を与えた。
しかしそれを良く思わなかった混沌の神は、排除される直前に異分子を世界に残した――。
「……以上がこの世界の創世神話です」
「ご苦労。……よく学んでいるな、頼もしいことだ」
アーネストの説明に、ロベルトは満足げに頷く。
しかしすぐにロベルトは表情を戻す。
「これは民に広めるために一部が省略されたもの。王家に伝わるものはこうだ」
ロベルトは先ほどの神話に、一部を付け加えるように語り始めた。
おおまかな流れは変わらない。
しかし――。
「秩序の神は、魔法が正しく使われるか監視するための機構を設けた。それが――『世界の鍵』と呼ばれる存在だ」
「――!」
シャロは、思わず飛び出そうになった声を押し殺す。
「そしてその『鍵』を守る存在が我々王族……そういうことですか? 父上」
「その通りだ」
ロベルトは肯定すると、話を続ける。
「『鍵』は、国が危機に直面し選択を迫られた際、世界の行く末を決定する存在とされている。しかし、魔法が自由に使われることを混沌の神は望み、その結果異分子が生み出された」
「秩序の神にとっては予期せぬ事態であったのだろう。異分子によって『鍵』が変質することを恐れ――『鍵』を管理する『観測者』を用意した」
「『観測者』……あの影が言っていたものだ……」
ニコラがそうぽつりと呟く。
ウィリアムは傍らから一冊の分厚い手帳を取り出した。
「『観測者』については、王家にもほとんど記録が残っていなかったのだけれどね……テオドール先生とアニエス先生が、そちらの方を調べていたみたいだ」
「アニエス先生たちが……?」
シャロの声に、ウィリアムはそっと首肯する。
「豊穣祭のあとにテオドール先生からこの手帳を託されてね。中には『観測者』についての調査結果がまとめてある。ローレンス子爵家が『観測者』の家系であること――当代の『観測者』はテオドール先生だということ」
「……なんだか話のスケールが大きくなってきたな……」
次々に明らかになる情報に、ドミニクが眉をひそめて嘆息する。
ニコラもシャロも、情報の渦に目を回していた。
「秩序の神は、アニエス先生とアロイス先輩のことも敵視していましたが、それは何か理由があるのでしょうか?」
「うむ、そのことだがな」
アーネストの問いに、ロベルトは深く頷く。
「アロイスについては簡単だ。レーンベルク家こそ、混沌の神が生み出した異分子の家系だからだ」
ロベルトの言葉に、水を打ったように場が静まりかえった。
あの規格外の存在には――理由が存在した。
困惑の色を浮かべるアーネストたちを見ながら、ウィリアムが口を開く。
「これだけは私も知らされていたんだ。レーンベルク家は世に混乱を招く種になりうるが――それは神に定められた宿命で、レーンベルク家の人々に罪はないと」
「そうだ。王家はこれまで、『鍵』を守ると同時にレーンベルク家を監視してきた」
二人の説明に、一同が頷く。
「なるほど。だからこそ、アロイス先輩が問題を起こしても、殿下と対立はしなかったのですね……」
「ああ。今まで話せなかったものだから……すまない」
ウィリアムとアーネストのやり取りに、シャロは「そういうことか」と一人納得していた。
学院の生徒たちは皆、アロイスを恐れるが――恐れていても、排斥しようとはしていなかった。
ウィリアムがアロイスを受け入れる姿勢でいたからこそ、周囲の生徒たちもそれに倣っていたのだろう。
「ただ説明できないのは――アニエス嬢の方だ」
ロベルトが更に言葉を続ける。
「ウィリアムから聞いているが……影は『異界の魂』と、彼女を呼んだそうだな。しかしそのような存在は王家の記録にも存在しない」
――記録にない存在。
その響きに、全員が口を閉ざす。
「認識疎外のこともある。……アニエス嬢自身が、何か知っているかもしれんがな……」
ロベルトは手詰まりというように、頭を軽く掻いた。
そしてしばらくの沈黙のあと――意を決したように、シャロを見据える。
「そして――シャロ嬢」
「今まで学院を介して、シャロ嬢のことを調べさせてもらっていた。結果――シャロ嬢が当代の『鍵』であることが判明している」
改めて、国王の口から明言される。
その言葉は――シャロの心の奥深くに、ずしりと響き渡った。
「アロイスをはじめその3人をこの場に呼ばなかったのは、彼らが秩序の神に敵視されているからだ」
「余は『鍵』の守り人として――シャロ嬢、汝に問わねばならん」
ロベルトの厳しい眼差しが、シャロを捉える。
シャロはまるで生きた心地がしなくて――体が震えないように、膝の上で固く拳を握りしめた。
「秩序の神は必ずやまた現れるだろう。己の役目を果たさず、世界の意に沿わない3人を排除するために」
『いずれ必ずお前たちを打ち砕き、正常なる世に戻す』
シャロが眠りについている間、秩序の神はそう言い残したと聞かされていた。
……次はアロイスのことも、見逃してはくれないだろう。
「世界の行く末は『鍵』のみが変えられる。だからこそ――我々は汝に委ねなければならん」
「秩序ある世界で、世界の安寧のために制限されながら魔法を使うか――混沌を生むかもしれない世界で、人々が自由に魔法を使うか」
シャロの前に、ふたつの選択肢が突きつけられる。
世界の分岐が、シャロの手に委ねられる。
「余は守り人として、汝の選択のすべてを守ろう」
シャロは深く、思考の海に沈んでいく。
(世界がどうなるかなんて、いきなり言われても分からないよ……)
数日前まで、シャロは平凡な男爵令嬢だった。
ほんの少し、闇魔法を行使できるだけ。
急に世界の表舞台に引っ張り上げられても、どう振舞えばいいかなんて分からない。
「シャロちゃん……」
ニコラの痛ましげな声が聞こえる。
ドミニクは歯がゆそうに、唇を引き結んでいる。
(……こんな選択を、僕たちは彼女に背負わせなければならないのか?)
アーネストは表情を変えないが、その心はシャロの理不尽な運命に憤っていた。
「……シャロ。君一人が戦わなくていい。……私も、その選択を共に背負おう」
ウィリアムの言葉が、そっとシャロに寄り添う。
シャロは目を閉じて、入学してからの日々を思い返す。
(入学してから大変なこともあったけれど……でも、楽しいこともあった)
『シャロちゃん』
『シャロさん』
魔法適性測定のあとから、ずっと傍に寄り添ってくれていたアニエス。
いつも穏やかに笑って、見守ってくれていたテオドール。
そして。
『シャロ』
『君はもう、なにも失わない』
壊れそうなほどの悲しみの中で、彼は優しい声でそう言った。
シャロの闇魔法を、すべて吸収して。
『……君の力は、俺が引き受けよう』
(……ああ、選ぶことは、怖いことだけれど……)
シャロはゆっくりと目を開ける。
(3人を失うことの方が、もっと怖い――!)
「……いきなり『鍵』だなんて言われても、まだ実感が湧いているわけではありません」
シャロの言葉を、ロベルトは黙って聞いている。
ウィリアムたちは息を飲んで、見守る。
「でも、3人は少なくとも……世界を混乱させるような人じゃない」
「世界のために、3人が排除されるなんて……私には、耐えられない」
シャロは必死に言葉を選んで紡いでいく。
「私の闇魔法は、神様が私に授けてくれた宝物です。だけど……私はこの魔法で――皆を、守りたい……!」
シャロの目は、ロベルトの目を見つめ返していた。
その目には緊張や恐れの色が浮かんでいる。しかし――逃げ出そうとは、していなかった。
ロベルトはしばしの間、シャロのことを見つめて――その口角を上げた。
「汝の願い、しかと聞いた」
ウィリアムたちの視線がロベルトに集まる。
「父上、それはつまり……」
ロベルトは軽く頷くと、シャロに答えた。
「余は『鍵』の守り人である。しかしまた……このノーザンフィリア王国の王でもある」
「……罪なき民を守るのも、我がつとめなれば」
「あくまで王族は『守り人』だ。『鍵』が選んだ道であれば、共に戦うまでよ」
その、力強い言葉に。
シャロは、全身から力が抜け落ちた。
「……ああ。先ほども言ったけれど、私たちも共に行こう」
「シャロ、心配するな。少なくとも俺たちは全員、お前と一緒に戦うよ」
「いらないって言われてもついて行っちゃうからね!」
「……同じサロンに集った同士だ。君一人を支えることくらい、訳ないさ」
サロンメンバーが口々にシャロに言葉を投げかける。
シャロはそれを聞いて、すべての緊張が解けたように笑った。
次週より、それぞれの想いが動き始めます!
次回は来週、7/6(月)20時更新予定です。




