20.書き換わる悲劇、残された謎
「アロイス、せんぱい、」
錯乱する中、背後を見上げるシャロ。
その瞳はかろうじてアロイスの姿を捉えられている。
「アロイス!? いつの間に」
「アロイス先輩!?」
唐突な登場に、ウィリアムたちにも衝撃が走る。
それほどまでに、アロイスは音もなく現れた。
「――異分子風情がッ、なにをしに現れた……!」
苦しげに影は吐き捨てる。
アロイスは、それに答える義理はないとでも言うように、その問いかけを無視した。
アロイスはシャロを腕に抱きとめたまま、周囲をぐるりと見渡す。
千々に分かれた影。それと一戦交えたであろうサロンメンバーたち。そして。
「……ああ、これは良くない」
テオドールの腕の中で意識を失っている、負傷したアニエス。
テオドールが応急処置魔法を施しているが、出血は続いている。
アロイスは少しばかり、顔をしかめた。
「シャロの痛みは、俺の痛みだ。……貴方が死ねば、シャロは悲しむ」
アロイスは手をアニエスの方にかざす。
「――『停止』。」
アロイスの唇がそう動くと――。
アニエスの傷口に、薄暗い小さな結界が張られた。
その瞬間、続いていた出血がぴたりと止まる。
「――時間停止魔法、ですか」
テオドールは瞬時にその魔法を解析する。
時間操作魔法は闇魔法の中でも高難易度だ。それを彼は難なくやってのける。
アロイスは頷くと、更に言葉を続けた。
「傷口周辺の時間を止めた。俺は直接の治療はできないが……これ以上血を失うことはないだろう」
アロイスの言葉に、全員がわずかに安堵の息をもらした。
シャロがか細く、「アニエス先生」と口にする。
その目は泣きはらしたからか、赤く充血していた。
「……苦しかっただろう、シャロ。案ずるな、君はもう、なにも失わない」
アロイスの手が優しくシャロの頭を撫でる。
その手はそのまま、シャロの目を隠した。
シャロから放たれていた闇魔法の波動が、すべてアロイスに吸収されていく。
「少し眠ると良い。……君の力は、俺が引き受けよう」
この場に似つかわしくない、アロイスの優しい声色。
次の瞬間、シャロの体から力が抜けた。
「……っと」
腕の中で崩れ落ちたシャロを、アロイスはそのまま抱きかかえる。
シャロの意識が落ちたからか、辺りを覆っていた固有結界が解かれ、星空が垣間見える。
そして、影に絡みついていた腕たちも静かに消滅していった。
影は腕に千切られた結果、攻撃を続行することは不可能なようだった。
「……聞きたいことがある」
頼りなく浮かんでいる影を見て、ウィリアムは重い口を開く。
「貴方は祭壇より現れた。つまり……神聖なる存在だと拝察する」
影はウィリアムの言葉を聞いているかのように、ゆらゆらと漂っている。
「……貴方はなぜ、私たちを襲った? なにをもって『秩序が乱れている』と言った?」
王太子としての責務が、ウィリアムを動かす。
ウィリアムの眼差しは、まっすぐに影を見据えている。
影はそれを知ってか知らずか、ひとつ間を置いたあと、答えた。
「……それも知らされておらぬか、若き王族よ」
「……まあ良い。其方の聡明さに免じて答えてやろう。……単純なことだ」
落胆したような声色。
しかしそれは些末なことであるかのように、声は続ける。
「すべては世界と『鍵』のためにある」
「『観測者』は役目を果たさなかった。……補助として招いた異界の魂も同様だ。挙句の果てに、異分子は鍵を我が物にせんとする始末。……嘆かわしいことだ」
「……さっきからその、『観測者』とか『補助』とか、なんなの……?」
ニコラが訝しげに首を傾げる。
「自ら探さぬものに答えてやる道理はない」
「……今日はもう、お前たちを除くことは叶わない。しかし、いずれ必ずお前たちを打ち砕き、正常なる世に戻す」
「無駄なことであるが……お前たちが正しく生きることを期待する」
影は一方的に話し切ると、そのまま霧散して消えていった。
そこにはもう、あの異様な気配は残っていない。
「ニコラくん! 急いで医療班を呼んできてください!」
全員が安堵の息をついたのも束の間、テオドールの声に、また場に緊張の糸が張り詰める。
男性陣は擦過傷や打撲程度で済んでいるが、女性二人は違う。
慌てて駆け出すニコラ。アーネストとドミニクは、それぞれシャロとアニエスの元へ駆け寄る。
「シャロは俺が運ぼう。……ウィリアム」
アロイスの声に、ウィリアムは顔を上げた。
「こうなってはもはや、王家も学院も静観してはいられないだろう」
すべて知っているかのようなアロイスの言葉。
『それも知らされておらぬか』と落胆する、影の声。
ウィリアムの中の疑念が、膨れ上がる。
「……分かっている。王宮の医務官を手配する。アーネスト、手伝ってくれ」
「承知しました」
ウィリアムとアーネストがその場を離れていく。
入れ替わるように、医療班を連れたニコラが戻ってきた。
テオドールは一度アニエスの体をドミニクに預けると、医療班に引継ぎを行う。
そのさなかにも、テオドールの脳内では新たな疑問が渦巻いていた。
(あの影は『補助として招いた異界の魂』と言っていた……彼女は、この世界の存在とは異なるのか?)
アニエスの顔を見る。
青白い、血の気のない肌。わずかに聞こえる、浅い呼吸の音。
『それを聞く、のは……無粋では、なくて?』
意識を失う前。
彼女はそう言って、かすかに笑っていた。
あの言葉の意味も、あの場でなお笑える背景も、テオドールには分からない。
――分からないのだ。
「――アニエス、聞きたいことが山のようにあるんです」
運ばれていくアニエスを見て、そうぽつりと零す。
「……今度こそ、私にはなにも、隠さないでほしい」
テオドールの言葉を、星空だけが聞いていた。
【テオドール・ローレンス】計測不能 「アニエスを――――」




