19.台本通りに動かぬ駒
「アニエス先生!!」
シャロの叫び声が、周囲に響き渡る。
木々が風に揺れてざわめく。
「っ……ぐ、うっ……!」
アニエスの肩から胸の外側まで、深々と刃が刺さっていた。
傷口から溢れる血液が、アニエスの衣服を赤黒く染めていく。
「アニエス! なぜこんな真似を!」
よろめいたアニエスを、テオドールが抱きとめる。
抱きとめたテオドールの手が、血で汚れていく。
アニエスに庇われることを、テオドールは少しも予想していなかった。
(急所は外している……! しかし、このままでは失血死しかねない……!)
アニエスはかろうじて自力で治癒魔法を発動させている。
しかし負傷したからかその魔法は安定せず、傷の修復が追いついていない。
荒く呼吸をするアニエスを支えながら、テオドールは苦悩の表情を浮かべていた。
(なぜ彼女は私を庇った?)
その思考を埋め尽くすのは、彼女の動機。
そして、今までに浮かんでいた謎の数々。
(あの影は、『外付けの補助』が何かのために動いていると言った。それを破壊するとも)
(それで狙われたのが私ならば――『お前』が指す対象は、私ではない)
あの言葉は、アニエスに向けられたものだ。
そして彼女は私を庇った。
――あの刃が避けられないと、知っていたかのように。
(なぜ貴方はそれを知っていた?)
脳裏に浮かぶ疑問の声。
テオドールは応急処置を施しながらも、考え続ける。
(なぜ貴方はそれを話さなかった?)
思考は巡る。
何度も核心を明かさなかったアニエス。
ローレンス家の書庫での会話。
そこで得た情報。
『27、24、25……』
あの時のアニエスの言葉が聞こえる。
『観測者』たちの享年。避けられない刃。
悼むように、先祖のメッセージを撫でるアニエス。
(アニエス、貴方は――)
テオドールは奥歯を強く噛みしめる。
(――最初から、私を庇うつもりでいたのか?)
――豊穣祭で、テオドール・ローレンスは死ぬはずだった。
――アニエス・ダニエはそれを防ぐために、行動していた。
「……なぜ、貴方が身を差し出さねばならない……!」
たどり着いた仮説に――テオドールは悲痛の声を漏らした。
アニエスにその声が届いたかは、定かではない。
「壊れているとは分かっていたが、まさかここまで愚かだとは」
テオドールを庇ったアニエスに向かって、影はそう投げかけた。
影はまたゆらりと動いて、アニエスの方に近づく。
「なぜそこまでして『観測者』を守る? ……お前が正しく鍵の乙女の補助をしていれば、生き永らえさせ、認識疎外も解いてやったものを」
影は不遜な声色でそう語る。
聞きなれない言葉の中に、全員が聞き逃せない言葉があった。
「認識疎外……! やっぱりお前の仕業か!」
「アニエス先生に謝罪せねば。……今回はドミニクのように信じるべきだったな」
ドミニクが吠え立てて、アーネストもそれに同調する。
二人の怒りが満ちて、周囲の空気が魔力の色に染まる。
ウィリアムもニコラも、不愉快そうに顔を歪めていた。
「『なぜ』……です、って?」
意識が朦朧とし始めていたアニエスだったが、影の問いかけに辛うじて声を絞りだす。
テオドールの処置とアニエス自身の魔法で、出血量は幾らか抑えられている。
シャロは泣き出しそうな顔で、それを見ていた。
「『なぜ』、だなんて……ッ、それを聞く、のは……無粋では、なくて?」
アニエスはそう言葉を紡いで。
――わずかに、口角をあげた。
「っ……!」
その言葉に、テオドールの息が詰まる。
アニエスを支えるテオドールの手に、力が籠る。
「……理解した」
影は呆れたように、言葉を続ける。
影の上に、新たな刃が現れた。
全員が身構える。
「お前はもう、排除するほかない。『観測者』と共に死ぬがいい」
(……まずい、次はもう、守れない)
アニエスは朦朧としながら、振りかざされる刃をぼんやりと見上げた。
体が鉛のように重い。指一本動かすのも一苦労だ。
(だめ、かな……。できるだけ、頑張ってみたけど……)
徐々に薄らいでいく意識の中で、アニエスは半ば諦めかけていた。
観念したように、重いまぶたを閉じる。
――しかし。
「だめーーー!!!」
切り裂くようなシャロの叫び声。
それと同時に、一気に肌を撫でる悪寒のような空気――闇魔法の気配だ。
「な、なに……?」
ニコラが戸惑うように影を見る。
その影はというと。
「……どういうつもりだ、鍵の乙女」
地面から伸びた無数の黒い腕が、影と刃を拘束していた。
その拘束は強固なものらしく、先ほどまでゆらゆらと形を変えていた影は動けない様子だ。
そして刃の方も、今まさにアニエスたちを貫かんとしていたが、腕たちに絡めとられて少しも動かない。
「秩序を乱すものを排除するのは世の道理である。疾く術を収めよ」
「……さっきから一体なんなの!」
周りの空気を痺れさせるような声。
それはピリピリと、周囲の者たちにも伝わっていく。
「シャロちゃん……」
ニコラの呼びかけには答えず、シャロは影に投げかける。
「鍵とか秩序とか、そんなの知らない! でも……! 思い通りにならないからって、殺すなんて許せない!」
辺りの空気が一気に冷えていく。
祭壇の周りの花が枯れ、周囲の木々にいた鴉が騒ぐ。
日は大きく傾き、夜の気配が迫ってくる――。
「これ、は……まずいな……」
強くなるシャロの結界に、ウィリアムは眉根を寄せた。
「鍵よ、其方は我を映す鏡である。聞き分けよ」
「貴方なんて知らない、いらない――!」
明確なる拒絶の言葉。
拒絶の意志は、腕たちにも表れる。
「ガアッ!鍵よ、其方――!」
腕たちが更に影にしがみつき、その影は――。
千々に、千切れた。
「グアアアーーーッッ!!」
影の叫び声が轟く。
「なぜだ! 鍵が我に反するなど!」
影の叫び声を無視して、腕は何度も影を掴んではバラバラに散らしていく。
シャロはもう、何も聞こえないかのように涙をこぼしてそれを見ていた。
「いけない……! 彼女も暴走しかけている……!」
アーネストたちはシャロに近づこうとするが、溢れる闇魔法の波動がそれを許さない。
遠くから魔法で抑えようとしても、彼女には届かず。
唯一それを抑えられるであろうアニエスは、意識を失ったまま――。
「やだ、やだ、私――!」
シャロの影の色が濃くなる。
無数の腕はシャロの周囲にも表れ、彼女をそっと包んでいく。
腕が彼女の顔まで届き始めた、その時。
「――飲まれるな、シャロ」
結界の壁が、開く気配がした。
そしてその姿は、いつの間にかシャロの背後に現れ――。
「君は、その力を正しく使えるだろう?」
アロイスが、シャロの肩を抱き寄せた。




