16.時計の針は彼女を待たない
夏季休暇も終盤に差し掛かる。
サロンの合宿から帰ってきて数週間が経った。
外の日差しは夏の盛りを過ぎて、秋の気配を感じられるものになっていた。
教師しかいない校舎の中を、テオドールは自身の所有する研究室へと足を運んでいた。
アニエスと取引をしてから、こうしてテオドールとアニエスは時々密会して『世界の鍵』に関する調査を進めていた。
研究室の扉を開けると、既に来ていたアニエスが顔をあげる。
「お疲れ様です、テオドール先生」
「お疲れ様です。アニエス先生、先にこちらを」
テオドールが差し出したのは豊穣祭の参加者名簿だ。
通常は各魔法属性の優秀な生徒が祭事に参加することになっている。
しかし今年は土と光属性に優秀な生徒がいないため、テオドールとアニエスが出席することになっていた。
「ありがとうございます。……ん?」
アニエスの視線が一点で止まる。
光属性の担当者欄。そこは綺麗に空白になっていた。
他の属性には、サロンメンバーやテオドールの名前が印字されている。
「どうかしましたか?」
「いえ……私の名前が載っていなくて」
「……見せてください」
テオドールも横から紙面を覗き込む。
アニエスは不思議そうに紙面を眺めている。
「印刷ミスでしょうか?」
「いえ……私がこの書類を受け取った時は、確かに印字されていたはずなんですが……」
テオドールは眉根を寄せた。
合宿で明らかになった、アニエスに対する認知の疎外。
そして今起こった、氏名の空白化。
(彼女の反応を見る限り、彼女自身はこれに関与していない……?)
目の前にいるアニエスは純粋に疑問を顔に浮かべている。
故意に自分の情報を操作しているようには見受けられなかった。
「……他に不備がなければ、アニエス先生の名前はあとで修正しておきます」
(なにかが、彼女を意図的に消し去ろうとしているのか……?)
頭に浮かんだ可能性を、テオドールは飲み込んだ。
*
(本来はシャロが光属性だから、その影響が出ているのかしら……?)
私の名前が表示されていない名簿。
テオドールは「確かに印字されていた」と言っていた。几帳面なテオドールが見落としているとは考えにくい。
ならば、考えられる可能性は『本来いるべき人間ではないから』だろうか。
(……でもこれだけでは、原因を考えようがないわね……)
アニエスは内心で追究することを諦めた。
シャロの名前は、闇属性の担当欄に記載されている。
「闇魔法の担当はシャロさんになったんですね」
「ええ。本来ならアロイス・レーンベルクが担当するべきでしたが……」
テオドールが言うには、アロイスから直々に断られたそうだ。
アロイス曰く。
『俺では少々都合が悪いかもしれない。ここはシャロが居るべきだ』
「……本当、アロイスくんには何が見えているのかしらね……」
「天才の思考は読めませんから……」
大の大人二人が、一人の生徒の言動に振り回されていた。
気を取り直して。
『世界の鍵』『観測者』について調べ始めて数カ月が経った。
テオドールとも協力して少しずつではあるが気になる情報が集まってきた。
特に、王宮書庫で『世界の鍵』に関する情報が得られたのは大きかった。
「さすが名門ダニエ家ですね。王宮書庫の資料も容易に手に入るとは」
「王家の資料と言っても高位貴族は閲覧可能ですから。大したことではないですよ」
私がこっそり持ち帰った資料をテオドールに『真贋判定』してもらう。
『正しい』と判別された情報は、3つほどあった。
「まずこの『鍵はこの世をあまねく照らす光である』という記述ですね」
最初に目についた情報を口に出す。『鍵』の存在についての記述だ。
「救世主といった意味合いかしら?」
「『光』が比喩ならば、あり得ますね。……あるいは『光魔法』を表している、とか」
テオドールの何気なく言った言葉に、胸が大きく鼓動する。
シャロの本来の属性は、光だ。テオドールの言う通りなら、シャロが鍵である裏付けになる。
「各記述を個別に精査するより、複合的に考えた方がいいでしょうね」
「そう……ですね。では他の2つを見てみましょうか」
テオドールに促されて、他の2つの情報を見た。
『鍵は、雲の上から地の底まで、どこへでも行ける存在である』
『王家は鍵を守り抜く』
「前者はともかくとして、後者は王家の関与が書かれていますね……」
王家の関与。
少なくともキーワル本編では、ウィリアムが『世界の鍵』について、何か知っている描写はなかった。
「王太子殿下に怪しい行動は見受けられませんけれど……」
「単に知らされていないだけか……王家以外には秘匿されている可能性もありますね」
『鍵』への対処が、王家のごく一部にしか共有されていない場合もある。
事実、シャロ周辺の不自然な動きとして、学院長指示の身体検査がある。
(学院長が王家と繋がっているなら、あり得る話だわ……)
点と点の間に、線が浮かんでくる。
自分の中で生まれる仮説に、鼓動が徐々に大きくなる。
「『雲の上から地の底まで』……これについてはどう思われますか? アニエス先生」
「これはまた比喩的な……」
この世界には天や地底に関する神話・伝説などはほとんどない。
また、おとぎ話のように空を飛ぶ魔法使いも存在しない。
(物理的に行ける場所、という訳ではなさそうなのよね……)
そこまで考えてふと、ある記憶が掘り起こされた。
『王太子様なんて、雲の上の人にお会いするなんて思ってなくて……』
最初にシャロにサロンメンバーの説明をした時。
“男爵令嬢”である彼女はそう言っていた――!
頭の中で、明確な線ができる。
思わず資料から顔を上げる。
テオドールと、視線が重なった。
「……アニエス先生。おそらく、同じ仮説にたどり着いたのではないでしょうか」
「いえ……もしかしたら貴方にとっては、結論ではなく事実の裏付け作業だったのかもしれませんね」
静かな室内に、テオドールの声だけが響く。
彼の声をかき消すように、鼓動が全身に響き渡る。
「シャロ・ノルンは『世界の鍵』ではないか?」
「これが、私が提示する仮説です」
息を、飲んだ。
何も話さない私を見つめながら、テオドールは続ける。
「あくまで出揃った情報による推測ですので、断定はできません。しかし、シャロさんが『鍵』の最有力候補であることには違いない」
テオドールの指が、資料に書かれた記述を示す。
「ひとつ目の光魔法、これはアニエス先生から共有された情報でも明らかです。ふたつ目の王家の関与。これもサロンへの招待や身体検査など疑わしいものがある。そして……」
「……過去にも、何度か下級貴族が高位魔法を使う事例があった」
そうだ。シャロが闇魔法を発動した時も、彼はそう言っていた。
「低位貴族であれば、王家から平民まで、あらゆる階級と接触する機会がある。……『どこへでも行ける』。」
「……過去の該当者がすべて『鍵』ならば、当代の『鍵』はシャロさんだと考えるのが、一番筋が通っています」
テオドールの言葉はそこで途切れた。
あとはもう、私の反応を待つばかりなのだろう。
彼の湖面のような瞳は、静かに私を待っている。
「……ええ。確信していたわけではありませんが……シャロさんが鍵であるという裏付けが、私は欲しかった」
私が話せるのはここまでだ。
『鍵』の意味を知っているわけでもない。
彼は取引の際に、『世界の鍵』を調べる動機は明かさなくて良いと言ったのだから。
「……そうですか。では、これが『世界の鍵』に関する最有力の仮説としましょう」
テオドールはそれきり、私を問いただすことはなかった。
『世界の鍵』については調査が進んだ。
一方、『観測者』の方はまだ有力な手掛かりがない状態だった。
「『観測者』の方はアニエス先生が調べていましたが、いかがですか?」
「いえ……あまり芳しくなく……」
(テオドールに「自分は『観測者』だ」と気づいてほしくなくて、あえてこちらの調査は頼まなかったけど……)
『観測者』の情報を探すために、テオドールの特徴から調べを進めていた。
学院教師。
土属性の貴族。
情報解析魔法の使い手。
どれも、これといった成果はなかった。
……ただ、まだひとつだけ、調べられていないものがある。
テオドールの家である、ローレンス家だ。
「『観測』に関連しそうな機関や人物を調べましたが、思わしくはないですね……」
俯いてそう零す。
……出来れば、ローレンス家を調べることは避けたかった。
「アニエス先生」
顔を上げる。
テオドールがまっすぐにこちらを見ていた。
いつもの仮面のような笑みでもなく、こちらを探るような好奇心の表情でもない。
ただ真剣に、私を見ていた。
「……我がローレンス家は、代々情報解析魔法を扱います」
「……もしかしたら、貴方の望む情報が出てくるかもしれない」
彼は追究しない。
きっと私が、ローレンス家の調査をわざと避けていたと気づくだろう。
「貴方に何か目的があるならば、調べられるものは調べるべきだ」
彼があえて、追究せずにいようとしてくれるなら――。
その厚意は、受け取りたい。
ただ……これ以上、真実に近づいてほしくはない。
しかし、もうここまで連れてきてしまっている。
仮にここで協力関係を解消したとしても――彼のことだ、自力で『観測者』のことを調べてしまうだろう。
(たとえ隠し通せなくても、もういい――)
中ボス戦まで、もうあまり時間がない。
――腹を括る時が、来たようだ。
「……協力してくださいますか?」
彼を守るためならば、なんだってすると決めたのだから。
次回は明日20時更新予定です。




