9. 抜け出せないトンネル
ベネディクト・シベリウス公爵。白獅子騎士団の団長であり、フレドリカの兄でもある。そして何より、回帰前にリネアの政略結婚の成立に深く関わった要注意人物。
彼に対して複雑な感情はあるものの、今回の人生では同じ失敗を繰り返さないよう上手く立ち回らなければならない。
(ここで公爵に会えたのは好都合かもしれない)
リネアはなんとか表情を取り繕い、鋭い眼差しのベネディクトに微笑みかけた。
「ご無沙汰しております、公爵。先ほどの独り言は気にしないでください。ただ、綺麗に咲き誇る薔薇が羨ましいと思っただけなのです」
ひとまず適当に誤魔化してみたが、ベネディクトの表情は険しいままだ。せっかく彼と話せる機会だと思ったのに、返事を間違えてしまったのだろうか。
いや、よく考えたら先に話しかけてきたのは彼だ。しかも、随分と礼儀に欠けた口調で。まるで、何か文句を言いにでも来たような──。
「私の妹に構わないでいただけますか」
ベネディクトがリネアに冷たく言い放つ。
明らかに不満のこもったその声に、リネアはたじろいでしまった。
「え……あの……」
「フレドリカに構わないでほしいと言っているのです。最近、何度も王宮に呼び出しているようですが、あの子は身体が弱いことをご存知ないのですか?」
「いえ、もちろん知っていますが、その点はしっかり配慮して……」
「私はそうは思いません。そもそも、なぜ突然フレドリカに近づいたのですか?」
「それは……仲良くなりたいと思ったから……」
「なぜ急に? 今まで何の接点もなかったと思いますが」
「……」
ベネディクトの追及に答えることができない。
今は純粋にフレドリカとは気が合って、仲良くしたいから一緒にいるが、元々ベネディクトを味方につけるために近づいたのは確かだ。
ベネディクトがリネアの行動を怪しみ、身体の弱い妹を心配するのももっともで、こちらに負い目がある分、強く言い返すこともためらわれた。
「黙ったままということは、良くないことをされているという自覚はあるようですね」
「こ、公女の外出が頻繁になってしまったのは謝ります。ですが、私は本当にフレドリカとお友達になりたくて……!」
「では、たまに文通をする程度であれば構いません。ただし、節度は守っていただきたい」
「節度……?」
「王家とは良好な関係を保っていたいという意味です。妹に苦労をかけたくありませんから」
ベネディクトの言葉を聞いた瞬間、リネアは彼の本心が分かってしまった。
(この人は私を王家の一員とみなしていないんだわ……)
彼は誰よりも王家に近い立場であり、リネアが国王や王妃たちから疎まれていることを知っている。だから、ハズレ者であるリネアと親しくなることで王家の不興を買い、愛する妹に悪影響が及ぶのを嫌がっている。
もしかすると、回帰前にリネアの政略結婚を強く勧めたのも、そのせいだったのかもしれない。後継者問題で頭痛の種となりそうなリネアを他国に嫁がせて厄介払いしたかったのではないか。
だとしたら、リネアがリネアである限り、彼を味方にすることなんてできそうもない。
「第一王女殿下は聡明な方ですので、きっとご理解くださると信じています」
心にもないお世辞、いや、実際には脅しにも近い言葉を聞きながら、リネアは自分の指先が冷たくなっていくのを感じた。
「……少し考えてみたいと思います」
か細い声でそう答えると、ベネディクトは「よろしくお願いいたします」とだけ返事して、その場を去っていった。
「結局私は運命から抜け出せないのかしら……」
見上げた先に咲く薔薇の花は、手を伸ばすには遠すぎて、けれどどうしようもなく美しくて、リネアはそっと目を閉じた。
◇◇◇
翌日、リネアはフレドリカに手紙を送った。
少し体調を崩してしまったので、次の集会の予定を延期させてほしいと。
王女宮の庭に咲いていたピンクローズの花束とともに、フレドリカも最近は外出が多くて身体に負担がかかっていただろうからゆっくり静養するよう伝えた。
するとすぐにフレドリカから返事が届いて、リネアは驚いた。オレンジローズの花束に添えられた手紙には、リネアの健康を気遣う温かな言葉と一緒に、次に会えるのを心から楽しみにしていると書かれていた。そして、会えない間はこうして手紙のやり取りができたら嬉しいと。
「フレドリカ公女……」
たしかに、最初にフレドリカを読書会に招待したのは、彼女を利用するためだった。一年後の政略結婚を回避するために、フレドリカと仲良くなって、兄であるベネディクト・シベリウス公爵が政略結婚に賛成しないよう説得を頼みたかったから。
だが、公爵に牽制されてしまった時点で、この計画はもう使えなくなった。これからは別の計画を立てて実行しなければならない。期限まで一年弱しかないのだから。
そして、これ以上、公爵を刺激しないためにも、フレドリカとの接触は控えたほうがいいだろう。誰が考えたってそうすべきだ。それなのに。
「フレドリカと会えないなんて嫌だわ……」
リネアはもう、フレドリカと一緒に過ごす心地よさを味わってしまった。純粋な気持ちを向けてくれる人の尊さを知ってしまった。それを手放すなんて耐えられない。
それに、このままフレドリカと距離を置いてしまったら、彼女も傷つくのではないか。しかも、その原因が自分の兄であると知ったらなおさらだろう。
「どうすればいいのかしら……」
フレドリカの人柄が表れた丁寧な筆跡の手紙を見つめながら、リネアは物憂げにため息をついた。




