38. ベネディクトの想い
「やめろ! 何をしている!?」
イデオンが舌打ちをして声の主を睨む。
「貴様はよほど俺の邪魔をするのが好きらしいな、公爵」
イデオンを止めてくれたのはベネディクトだった。
もう部屋で休んでいると思ったのに、なぜここにいるのだろうか。
険しい顔をしたベネディクトをリネアがぼうっと眺めていると、彼がつかつかと近づいてきた。
「王女殿下から離れていただきたい」
「部外者が出しゃばるな。これは俺とリネアの問題だ」
「部外者? 私もあなたと同じ求婚者の立場として、口出しする権利はあるはずだと思いますが」
お互いに一歩も譲らず、一触即発の気配が漂う。
刺々しい空気の中、何かあってはまずいと思ったリネアが止めに入った。
「公爵、私は大丈夫ですから」
小さく首を振り、懸命に目で訴えると、ベネディクトは不満げながらも矛を収めることにしてくれたらしい。イデオンから目を逸らし、リネアに手を差し伸べた。
「王女殿下、お部屋に戻りましょう。私がお送りいたします」
「待て、逃げるつもりか」
「逃げる? その必要がどこにあるのでしょう。力比べで私に勝てるとお思いですか?」
「こ、公爵……!」
再びイデオンを挑発するような言葉を返すベネディクトに、リネアが慌てて話しかける。
「私はもう休みたいです。部屋まで送っていただけますか」
「……かしこまりました」
ベネディクトがリネアの手を引き、イデオンのそばから引き離す。リネアが自らベネディクトの横に立つと、イデオンは燃えたぎるような目を二人に向けた。
「……また後で話そう、リネア」
イデオンはそう一言だけ言い捨てたあと、くるりと背を向けて去っていった。
◇◇◇
「大丈夫でしたか?」
ベネディクトがリネアの顔を覗きこむ。
先ほどの険しい顔はどこにいったのかと思うほど気遣わしげな眼差しを向けられ、リネアは思わず口もとを緩めた。
「大丈夫です。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「迷惑だなんて思っていません。当然のことをしたまでです。……それにしても、エングダールの王太子はなぜあそこまであなたに執着するのでしょう。お二人が会うのは今回が初めてのようなものですよね」
本当は回帰前に夫婦だったとは言えない。
頭がおかしいと思われるかもしれないし、そうではないとしても、ベネディクトにイデオンとの過去の関係を知られるのは嫌な気持ちがした。
「さあ……そういうご気性なのでしょう」
実際、回帰前に彼から聞いた話では、公務でリンクヴィストに来たときに物憂げなリネアを見かけてから何年も忘れられなかったのだと言っていた。異常な執着心と支配欲、独占欲の塊。それがイデオンなのだろう。
「それにしても、公爵はなぜここに? もう部屋に戻られているかと思っていました」
「ああそれは……あなたのことが心配で」
「え?」
「晩餐後、イデオン王太子がすぐに戻ろうとしなかったので気になっていたのです。あなたが食堂から出てくるのを待っているのではないかと」
「それで様子を見に来てくださったのですか?」
「はい。杞憂であればいいと思っていましたが、結局あのようなことになって……。怖い思いをさせてしまい申し訳ございません」
ベネディクトが心底悔いているように眉を寄せる。
彼には何の責任もないというのに。
「公爵は何も悪くありません。それに、ちゃんと助けてくださったではありませんか。……嬉しかったです。ありがとうございます」
「いえ」
ベネディクトがどこか嬉しそうに笑みを浮かべる。
「……大公とは婚約者選びのことで話をされていたのですよね?」
「はい、そうです。すみません、こんなことに公爵を巻き込んでしまって……。前に私がエングダールに嫁ぎたくないと言ったから、それを防ぐために名乗りを上げてくださったのですよね?」
ベネディクトはフレドリカの件でリネアに借りがある。
だから、今回リネアがどうにもならない状況になってしまったのを助けるために、イデオンに対抗する求婚者となってくれたのだろう。リネアを慕っていると嘘をついてまで。
「公爵のおかげで猶予ができました。もう借りは返してもらいましたので、頃合いを見て手を引いていただいて構いません。あとは私とオリヴェルで何とかしますから」
ベネディクトにこれ以上迷惑をかけたくない。
余計な心配もかけたくない。
そう思って無理やり笑顔を作って見せると、ベネディクトがわずかに表情を硬くした。
「──嫌です」
「えっ?」
今、嫌だと言ったのだろうか。
リネアが耳を疑ってぽかんとしていると、ベネディクトがどこかムッとした声で反論した。
「たしかに、あの場で私も求婚すれば、あなたがすぐにイデオン王太子と婚約することはないだろうと踏んでいました。ですが、決して借りを返すためだけに名乗りを上げたわけではありません。本心からあなたをお慕いしています」
ベネディクトが透き通ったアイスブルーの瞳でリネアを見つめる。
いつも冷静で涼やかな印象だったその瞳が、今はたしかな熱を帯びて見える。
「そんな、わけ……」
思いもよらなかったベネディクトからの告白に、リネアが固まる。
ベネディクトがリネアを好きだなんて信じられない。
フレドリカの件で助けてもらったことへの感謝と、不幸な境遇への同情心が混ざって勘違いしているのではないだろうか。
しかしベネディクトは、そんなリネアの疑念を察したようにリネアの手を取り、大切そうに握りしめた。
「本当です。私はあなたが好きです。だからイデオン王太子にあなたを渡したくないし、あなたに対する彼の態度も許せないのです。もっと言えば、実は大公殿下にも嫉妬しています」
「オリヴェルに……?」
「はい。あなたと大公殿下が幼馴染であることは知っていますが、お二人の仲の良さを見ていると、どうしても妬いてしまうのです。あなたが苺を好きだとか、私が知らないことを彼が知っていると悔しくなります。それに、名前で呼ばれているのも羨ましいと思ってしまいます」
「名前、ですか……?」
「ええ。あなたが大公殿下をオリヴェルと呼ぶように、私のこともベネディクトと呼んでほしい。そして、私もあなたのお名前を呼ばせていただきたいです。リネア様、と」
「……!」
ベネディクトに触れられている手が熱い。
彼の熱が伝わっているからだろうか。
それとも、リネア自身の熱だろうか。
「だめでしょうか?」
「だ、ダメでは、ありませんが……」
「では、これからそう呼び合いましょう」
「わ、分かりました」
お互いの呼び方を変える。
それだけなのに、なぜこうも恥ずかしくて、胸が高鳴るのだろう。
それからベネディクトはリネアを部屋まで送ってくれた。部屋の前に着いたとき、リネアは少し名残惜しいような気がした。
ベネディクトが帰り際、リネアの名前を呼んだ。
「リネア様。先ほど申し上げたとおり、私はあなたをお慕いしています。あなたには王太子ではなく、私を選んでほしいと思っています。ですが、あなたの気持ちを無理に得ようとは思っていません。ただ王太子から逃れるために私を選んでいただいても構いません。そのときは白い結婚を続け、いつかあなたが本当に愛する人ができれば、私は身を引きます」
「でも、そんな都合のいいこと……」
「あなたが幸せになれるのなら、それでいいのです」
ベネディクトは優しい眼差しでリネアに笑いかけると、そのまま騎士の礼をした。そしてリネアが部屋の中に入るのを見届けたあと、彼も部屋へと戻っていったのだった。




