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35. 因果

「た、大公殿下……」


 夜に溶ける黒髪に、妖しく光る赤い眼。

 ぞっとするような薄気味悪さを感じて、アグネスは思わず後ろに後ずさった。


 そんなアグネスを上機嫌にも不機嫌にも見える表情でオリヴェルが見つめる。


「リネアのエングダールとの縁談を進言したのは君だったんだね」

「え……?」

「何でそんなことしたの? リネアが邪魔だったから、どこかに行ってほしかった?」

「……」

「あれ、急に喋れなくなっちゃった? そんなはずないよね?」


 オリヴェルの赤い瞳がいっそう色濃く染まって見える。

 アグネスはさらに恐怖を感じながらも、彼の問いに震える声で答えた。


「そ、そうです……! リネアなんかこの国からいなくなればいいと思いました! だからお父様にお願いしたんです! で、でも別にいいじゃないですか! エングダール王太子の正妃になれるなんてリネアには最高の縁談でしょう!?」

「へえ、最高の縁談か……まったく余計なことをしてくれたね」


 アグネスが思わず息を呑む。

 大公は至って穏やかな口調なのに、なぜこうも寒気が止まらないのだろう。


「この前、リネアに手を出すなと言ったのに。僕の警告の意味が分からなかったみたいだね」

「べ、別にリネアに危害を加えたわけじゃ……!」

「一緒だよ。リネアを傷つけた。それに側妃にさせられて惨めに生きていけばいいと思ってたんだろう? ああいや、死んでほしかったんだっけ?」 

「……っ」


 さっきから少しずつ大公と距離を取っているはずなのに、どうしてか彼から逃れられる気がしない。


「邪魔者は君のほうなんだよ、アグネス王女」

「も、もう私に構わないでください……!!」


 アグネスが一目散に駆け出す。

 早く、早く安全な場所に行かなくては。

 外になんて出なければよかった。

 急いで部屋に戻って鍵を閉めよう。


 アグネスは全速力で自分の部屋に帰ると、扉を閉めるやいなやすぐにガチャリと内鍵を閉めた。


「これでもう安心だわ……」


 よろよろと部屋の奥に歩いていくと、なぜか部屋の中が暑いことに気がついた。


「え? どうして暖炉に火が……?」


 まだ暖炉を使うような季節ではないのに、暖炉には赤々とした火が燃えている。

 使用人が間違えたのだろうか。


「早く消してもらわないと」


 侍女を呼ぼうと振り返ったとき、アグネスはドレスに何かが付いているのに気がついた。


「何これ……ひっ! 毒ムカデ!?」


 慌てて振り払おうとするが、赤と黒の毒ムカデはしぶとくドレスにしがみついて離れない。それどころか上へ上へとよじのぼってくる。


「嫌っ!! 来ないで!!」


 パニックになったアグネスが、バランスを崩して尻もちをつく。それと同時に、背中がさっきより暑くなってくるのを感じた。


「やだ! 火が……!」


 床に倒れ込んだアグネスのドレスに暖炉の火が燃え移る。

 炎はみるみる大きくなって、アグネスの背中を炙った。


「嫌ぁっ! 熱い! 誰か! 誰か来て!!」


 アグネスが金切り声で叫ぶ。

 しかし、駆けつけた使用人たちは内鍵がかけられた扉をなかなか開けることができなかった。


「早く! 早く助けてよ! 体が熱いの! 私の髪が! ああっ……!!」


 熱さに悶えるアグネスの燃え盛るドレスから、毒ムカデが滑り落ちて逃げていった。



◇◇◇

 


 王宮は昨晩から大わらわだった。

 第二王女のアグネスが大火傷を負ったからだ。


 アグネスの部屋の暖炉に火をつけた犯人探しが行われ、王都の医師や薬師が大勢集められて、まるで野戦病院のようだった。


 王妃はアグネスの火傷跡を見て泡を吹いて倒れ、ヘンリクはその場で嘔吐して吐瀉物まみれで追い出された。そして国王もすっかり憔悴して、一晩で十年は老けてしまったようだった。


「──というわけで、リネアの結婚話は陛下の代わりに僕が取り仕切ることになったよ」


 オリヴェルが当事者であるリネアとベネディクト、イデオンを呼び出して説明する。


「リネアのために公平に判断するつもりだから安心してほしい……って、そんな顔をして僕を信じてないの?」


 オリヴェルが不安げなリネアの顔を覗きこむ。


「あ……違うわ。オリヴェルのことはもちろん信じているけど、アグネスが大丈夫か心配で……」

「……君は本当に優しすぎるね」


 オリヴェルが少し困ったように眉を下げる。


「大丈夫だよ。死ぬことはなさそうだったし、レクセルの麻痺石をあげたから、少なくとも火傷の激痛は感じずに済むはずだ」


 レクセル公国の麻痺石は、感覚を鈍くさせる効果のある魔石だ。アグネスが痛みに苦しまないよう手配してくれたのだろう。


「ありがとう、オリヴェル」

「気にしないで」


 オリヴェルは優しく返事すると、場を仕切り直すようににっこりと朗らかな笑顔を見せた。


「それじゃあ本題に戻るけど、リンクヴィストの王宮は大変なことが分かっただろう? だから話し合いの場を公国に移そうと思ってね」

「公国に? リンクヴィストからレクセル公国まで移動するということですか? それはそれで大変なのでは……」


 もっともな指摘をするベネディクトにオリヴェルが得意げに顎を上げて見せる。


「僕を誰だと思ってるのかな? 魔術大国の大公だよ。そのくらい、ゲートを作ってすぐに移動できるよ」

「なるほど、ゲートですか……」


 高位の魔術師は莫大な魔力でゲートを作り出し、空間を自在に移動できるという。オリヴェルも難なくゲートを構築できるらしく、移動の問題はまったくないようだった。


「二人とも、リネアとの結婚を望むなら当然公国に来てくれるよね? 来ないというなら、それだけで心象が悪くなるけど」


 オリヴェルの問いかけにベネディクトが即座に返事する。


「もちろんです。どこへでも参ります」

「俺も行こう」

「二人ともありがとう。じゃあ、一時間後に出発しようか」


 にこにこと楽しそうなオリヴェルの様子に、リネアはなぜか不穏な予感を覚えるのだった。


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