32. 反抗
案内役を申し出たのはベネディクト・シベリウス公爵だった。
「どうして公爵が……?」
「騎士団長が王女殿下の護衛役を務めるのは自然なことでしょう」
「そう、かもしれませんが……」
ベネディクトの返事は正論ではあるが、今まで彼がリネアの護衛を務めたことなどない。なのに今夜に限ってなぜと腑に落ちないでいると、ベネディクトがその疑問に答えを寄越した。
「あなたが気がかりだったからです」
「え……?」
「昼間、エングダールの王太子殿下に会われた際、少しご様子がおかしかったので」
「あ……」
イデオンのことで頭がいっぱいで気づかなかったが、あの場にベネディクトもいたらしい。しかも、リネアが動揺していたことも見抜かれてしまっていた。
「……なるべく態度に出ないよう気をつけていたつもりだったのですが」
「他の騎士たちは気づかなかったと思います。ですが私はフレドリカと一緒にいるときの殿下を知っていますから」
ベネディクトが気遣わしげにリネアを見つめる。
「イデオン殿下と結婚なさりたくないのですね?」
「──はい。エングダールの王太子に嫁ぐことが国のためになるとは分かっています。でも……申し訳ありません」
「謝らないでください。殿下はご自分のお気持ちを大切にすべきです」
「私の気持ち……」
リネアがベネディクトを見上げると、彼のアイスブルーの瞳と目が合った。
「前に私たち兄妹を救ってくださった恩をお返しすると申し上げましたよね」
「え、ええ……」
「いざという時は、助けてほしいとお命じください。必ず力になります」
「いいのですか……? 陛下に知られたら罰を受けることになるかもしれないのに……」
「覚悟の上です。フレドリカも私と同じ気持ちです」
ベネディクトが力強く言い切る。
回帰前は、こんな風にリネアの気持ちに寄り添ってくれる人は誰もいなかった。でも今は、自らの不利益も顧みず力になろうとしてくれる人がいる。
「……ありがとうございます。今夜を乗り切れそうな気がしてきました」
トラウマを思い出して気持ちが弱ってしまっていたが、ベネディクトのおかげで勇気が湧いてきたのを感じる。
「私──王太子殿下に婚約を辞退してもらおうと思います」
◇◇◇
歓迎の宴が開かれている広間に到着したあと、リネアはベネディクトから離れて父王に挨拶した。
「お待たせいたしました、陛下」
「ふん、まあだいぶ見れる姿にはなったようだな」
マルクスがリネアの装いをじろじろと眺める。
そして、イデオンのいる場所を目線で示した。
「早く王太子殿下のところに行ってこい。靴を舐めてでも気に入られるのだぞ」
「……善処いたします」
心にもない返事をしたあと、リネアはイデオンのいる場所へと向かった。
イデオンはリネアがやって来たことに気づくと、リンクヴィストの貴族たちとの歓談を終わらせてリネアに近づいた。
「お綺麗ですね。俺のために着飾ってくださったのですか?」
「……」
リネアが曖昧に微笑むと、イデオンが恭しくリネアの手を取った。
「あなたのことをよく知りたいです。一緒に庭園を歩きませんか? 二人きりで話をしたい」
「……いいでしょう」
リネアが承諾するやいなや、イデオンはリネアの手を引いて会場を抜け出した。外回廊を通って庭園に出ると、宴のざわめきが嘘のように聞こえなくなる。
「ようやく静かな場所に来られましたね。俺はあなたとだけ話せればよかったのに。宴など面倒なだけだ」
月明かりの下で囁かれるその言葉は、年頃の女性にとってはロマンティックで情熱的に感じるのかもしれない。しかしリネアにとっては雑音でしかなかった。
「他国の王族が訪問くださるのですから、歓迎の宴を開くのは当然のことです。私がこうして華やかなドレスに着替えたのも、客人に対する礼儀に過ぎません」
イデオンの銀の瞳を見据えてそっけなく答えると、彼の眉がぴくりと動いた。
(……よかった、不快に思ってくれているようね)
イデオンの怪訝な表情を見て、リネアが続けて口を開く。
「このような暗がりに連れ出してどうしようと言うのです。父からここなら人目につかないとでも聞いたのですか? 王太子殿下がそのような方だとは思いませんでした。私は雑に扱われるのは嫌いです」
そう言って、パシッとイデオンの手を払うと、彼の目が鋭く細められた。
(そうよ、そうやって私に腹を立てればいいわ)
イデオンがリネアに興味を持ったのは、リネアが大人しく支配しやすい女だと思ったからだろう。リンクヴィストでのリネアの境遇は調べればすぐに分かるし、彼のような人は虐げられている人間を嗅ぎつけるのに長けている。
だからリネアを側妃として娶って、都合のいい操り人形にしようと考えたに違いない。
でも、その従順だと思っていた王女が、実はそうでなかったら?
生意気に言い返す気位の高い女──。
イデオンの好みとは真逆のはずだ。
(イデオンにこんな態度を取ったことがお父様に知られたら、叱責されるだけでは済まないだろうけど……また彼の側妃になるよりはるかにマシだわ)
リネアが不遜な態度でイデオンを睨みつける。
彼の表情に苛立ちの色が浮かんでいるのが、ありありと分かる。
「私たち、相性が良くないみたいですね」
ここまで言えば、プライドを傷つけられた彼は、リネアとの婚姻話から自ら降りてくれるだろう。
(そうすれば、公爵とフレドリカを巻き込む必要もなくなる)
公爵はリネアのために手を貸してくれると言ってくれたし、リネアも以前はそのつもりだった。
しかし、国王の意に背く行為をさせるのはリスクが高すぎる。できれば彼らにそのような危険を冒してほしくはなかった。
「では、私はお先に失礼させていただきます。どうぞ宴を楽しんでください」
その場でお辞儀をして立ち去ろうとすると、イデオンがリネアの腕を掴んだ。
「待て。なぜ俺にそんな態度を取るんだ?」
「なぜって……こういうことをされるのが不快だからです」
「不快?」
銀色の瞳が怒りに揺れる。
「まさか、他に好きな男がいるのか?」
「好きな……? 違います、離してください」
「誰なんだ、その男は」
「違うと言っているではありませんか! 離して!」
リネアがイデオンの手を振りほどく。
イデオンは目を見開いてリネアを見つめたまま、うめくように呟いた。
「また俺を捨てるのか?」
(また……?)
なぜか嫌な胸騒ぎがする。
リネアはイデオンに掴まれた腕を守るように引き寄せると、急いで彼に背を向けた。
(まさか、そんなはず……)
リネアは最悪の可能性を必死に否定しながら、逃げるようにして王女宮へと走ったのだった。




