30. 衝撃
あの晩餐の夜以来、リネアは五日もベッドで臥せっていた。
何もやる気が出ず、食欲も湧かず、たった五日でずいぶん痩せてしまった。
どこからかリネアの状況を聞きつけたフレドリカから見舞いの申し出があったのも断ろうとしたが、侍女のアニタに説得されて、少しだけ会うことにした。
「リネア様、お加減はいかがですか……?」
フレドリカは心からリネアを案じている様子で、目にうっすら涙さえ浮かべている。家族よりも優しく親身な思いやりにリネアの目頭も熱くなる。思わずぽろりと涙をこぼすと、それと一緒に不安な気持ちまであふれ出てきた。
「フレドリカ……私、一体どうしたらいいのか……」
「リネア様、何か悩みがあるのでしたらおっしゃってください。私、リネア様の力になりたいです……!」
フレドリカがリネアの手を握りしめる。
温かくて柔らかなその手を、リネアもきゅっと握り返した。
「……私、エングダールに側妃として嫁がなければならないみたい」
「!?」
***
──それからリネアは、数日前の晩餐で何があったのかをフレドリカに打ち明けた。
国王である父から一方的に政略結婚を命じられ、今は相手の返事待ちであることを伝えると、フレドリカはリネアと同じくらい悲壮な表情を浮かべた。
「……なぜ突然そんな話が上がったのでしょうか。たしかにリネア様は結婚適齢期でいらっしゃいますが、まだ急ぐ年齢ではありませんし、側妃だなんてあり得ません……」
フレドリカはそう言ったが、あり得ないことではない。
回帰前に一度起こったことなのだから。
ただ、前回よりもずっと早い時期に話が出たことは不思議でならなかった。
「……シベリウス公爵はこのことをご存知なのかしら?」
回帰前はシベリウス公爵がこの政略結婚に大きく関わっていた。だから念のためにフレドリカに探りを入れてみると、フレドリカはぶんぶんと首を横に振って否定した。
「いいえ、知らないはずです。実はリネア様が王女宮で臥せっていらっしゃるというのは兄から聞いたのですが、兄はリネア様が風邪で体調を崩されたのではないかと心配していましたから」
「公爵が私を心配……?」
「はい、リネア様は先日水場にいらっしゃったから、そのときに風邪を引かれて悪化したのではないかと気にしていました。上着を羽織らせるべきだったと悔やんでいましたよ」
「そうだったの……?」
ベネディクトがそんな風に心配してくれていたことを知り、リネアの胸が熱くなる。そして、彼が政略結婚の話に関わっていないということに、どうしてかたまらなくほっとした。
「その政略結婚を取りやめることはできないのですか?」
「……相手が辞退しない限りは無理でしょうね」
「そんな……私、リネア様と離れたくありません! それに、リネア様には政略結婚ではなく、愛する人と一緒になってほしいです」
「フレドリカ……」
「とにかく、私は何があろうとリネア様の味方です。私にできることがあれば、何でもおっしゃってください」
「……ありがとう、フレドリカ」
その後、フレドリカは安眠にいいという手作りの匂い袋をプレゼントしてくれ、ゆっくり休んでくださいと言って帰っていった。
(フレドリカに話したら、気持ちが落ち着いてきたみたい)
政略結婚の話を聞いてから気持ちが塞いでしまい、ずっと部屋にこもっていたが、今は少し前に進む勇気が出てきた気がする。
(今回は回帰前とは違うわ。支えになってくれる親友がいて、公爵も手を貸してくれるかもしれない)
もしエングダールから承諾の返事が来てしまったとしても、悲観せずに足掻いてみよう。
「アニタ、少しお腹が空いてしまったわ。軽食を持ってきてくれる?」
「はい、すぐにお持ちいたします……!」
リネアはベッドから出ると、顔を上げ、何日も縮こまっていた身体をぐっと伸ばした。
◇◇◇
「フレドリカ、王女殿下の様子はどうだった?」
王女宮へ見舞いに行った妹が帰ってきたのを見つけ、ベネディクトが声をかける。
「やはり風邪を引いて具合を悪くされたのだろうか。もう回復に向かっているのか?」
王女宮担当の騎士から王女が臥せっているようだと報告を受けてから、彼女のことが気になって仕方なかった。
もしかすると噴水の水飛沫を浴びて体が冷えたせいかもしれないと思うと、自分の配慮の無さが情けない。
リネア王女に虚弱な印象は持っていなかったが、よく考えてみれば体つきだってフレドリカと同じくらいに華奢で、噴水で咄嗟に掴んだ腕は剣の柄と変わらないほど細かった。
(もっと気遣って差し上げるべきだった……)
数日前の行動を後悔しつつ、少しでも体調が良くなっていればいいとフレドリカの返事を待っていると、フレドリカは絶望に沈んだような目でベネディクトを見つめ返した。
「お兄様、リネア様が……」
フレドリカの声が暗くか細く震える。
いくら王女を敬愛するフレドリカといえど、ただの風邪程度であればここまで動揺するはずがない。
嫌な予感にベネディクトの胸がざわめく。
「王女殿下はどうなさったんだ? まさかそんなに深刻な病状なのか……?」
ベネディクトが尋ねると、フレドリカは目に涙をためてゆるゆると首を横に振った。
「いいえ、リネア様はご病気ではありませんでした」
「なんだ、それなら安心──」
「陛下からエングダールに側妃として嫁げと言われたそうです」
「は……?」
「しかも、夫の年齢は問わないと」
「……!」
フレドリカから聞いた衝撃的な内容に、ベネディクトが思わず声を荒らげる。
「まさか、本当に陛下がそんなことをおっしゃったのか!?」
「はい、事実です。今はエングダールに打診して返事を待っている状態だそうです」
「このことは……王女殿下も了承なさっているのか?」
「いいえ! リネア様には事前に何の相談もなく、勝手に話を進められてしまったそうです。だからショックのあまりお倒れになって……本当に酷いと思います」
「そうか……」
フレドリカが憔悴していた理由がよく分かった。
大切な人が望まない結婚を強要され、側妃として異国に嫁がされるなんて、ショックを受けないほうが無理だろう。
(……前は私も同じようなことをフレドリカに強いたくせにな)
あのときの自分だったら、今の話を聞いてもきっと平然としていただろう。
実利を考えれば、大陸一の富裕国であるエングダールに王女が嫁ぐのは側妃であっても有意義なことだ。王族の未婚女性は他にもアグネス王女がいるから、第一王女の嫁ぎ先にこだわる必要はさほどない。
昔のベネディクトであれば、この政略結婚に賛成していたに違いない。しかし──。
(王女殿下の気持ちを考えると胸が痛む……)
彼女がフレドリカのために愛のない結婚を阻止してくれたおかげで、ベネディクトは自分の過ちを知ることができた。
フレドリカの人生も大きく変わり、長年の片想いを叶え、健康を手に入れ、尊敬できる親友ができた。毎日ベッドで横になっていたあの頃とは大違いだ。
それなのに、今度はフレドリカを救ってくれたリネア王女が政略結婚に苦しめられるなんて、運命の女神がいるのだとしたら悪趣味が過ぎる。
「お兄様……私、リネア様が側妃にさせられるなんて嫌です。どうにかしてやめさせることはできませんか……?」
フレドリカが真っ赤な目でベネディクトを見上げる。
その気持ちは痛いほどよく分かった。
(陛下の決定を覆すのは難しいだろうが……)
それでも、このまま諦める気にはなれなかった。
「なんとか考えてみよう」
「ありがとうございます、お兄様……!」
泣きながら感謝するフレドリカをなだめながら、ベネディクトは孤独な王女を思って奥歯を噛みしめた。




