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29. 晩餐

「遅いぞ、リネア」


 食堂に着くと、晩餐のテーブルにはすでに他の家族たちが揃っていた。アグネスと継母がリネアを一瞥し、聞こえよがしに悪態をつく。


「はあ、約束の時間も守れないなんて」

「陛下を待たせるなんていいご身分だこと」

「……大変申し訳ございません」


 集合時間より早く到着したはずなのに、なぜかリネアが遅刻したことになっていた。きっと伝えられた時間が何らかの事情(・・・・・・)で間違っていたのだろう。


 理不尽に思いながらも頭を下げ、テーブルの末席に着くと、父マルクスが食前酒のグラスを掲げた。


「では、遅ればせながら食事を始めよう」


 家族たちがそれぞれグラスに口をつける。

 そんな中、戸惑った様子で周囲を気にするリネアにアグネスが声をかけた。


「お姉様ったら何してるの? 食事のマナーも知らないわけ?」

「いえ、私はただ……大公殿下はいらっしゃらないのかと思って……」


 晩餐の席にはリネアの家族だけで、オリヴェルがいない。

 てっきり彼も一緒に食事するものだと思っていたが、違うのだろうか。


 無意識に表情を曇らせたリネアを見て、アグネスとヘンリクがしたり顔で笑う。


「大公殿下? あらあら、お姉様ったらあの方にずいぶんご執心なのね」

「俺たちだけではご不満なようで申し訳ないな」

「ち、違うわ、そういう意味じゃ……!」


 リネアが慌てて否定すると、父マルクスがわざとらしく咳払いした。


「今日はお前に大事な話があって晩餐に呼んだのだ。家族の話ゆえ大公殿下は招待していない」

「……はい、失礼いたしました」


 早とちりを謝罪しつつ、父の言葉に何かが引っかかる。

 "家族の話" だなんて、今まで言われたこともない。一体なんの話なのだろうか。


 リネアが黙って続きを待っていると、マルクスはワインをごくりと飲んでグラスを置き、顎ひげをゆっくりと撫で回した。


「お前もそろそろ結婚を考える時期だと思ってな」

「結婚……ですか?」


 リネアの心臓がどくんと音を立てる。


「ああ、父親として娘の結婚は一大事だ。だから私が良き相手を探してやった」


 冷や汗が浮かび、嫌な予感が胸をよぎる。


「隣国エングダールに婚姻を申し込んだ。近いうちに返事が届くだろう」

「な……」


 エングダールとの政略結婚の話が出るのは、まだずっと先のはずだ。それなのにもう結婚を申し込んだ──?


「なぜ私に一言もなくそのようなことを……」

「お前の意見を聞いてどうする。王女の結婚は国のためのもの。お前の意見は必要ない」


 マルクスが不快そうに顔を歪める。

 きっとアグネスの結婚であれば、今の言葉とは真逆のことを言っただろうに。


「で、でも先方の未婚の王子殿下方にはすでに婚約者がいらっしゃるのでは……」

「側妃で構わないと伝えている。夫の年齢も問わないと書いておいたから、誰かしら娶ってくれる王族がいるだろう」


 マルクスが前菜の料理に目を落とし、ナイフとフォークで切り分ける。もうリネアのことより、自分の空腹を満たすことに意識が向いているのだろう。


 これではこのまま話が終わってしまいかねない。

 リネアは声を張りあげてマルクスに訴えた。


「ですが、他国へ嫁げばお父様の力になるのが難しくなってしまいます! これまで私はお父様のために何度も進言して役に立ってきたではありませんか! どうかこの国でお父様や国民のために貢献させてください……!」


 いつかエングダールへ嫁げと言われる日が来ないよう、自分にできることを少しずつ進めてきた。


 たとえば、父親であり国王であるマルクスの役に立つことを証明できれば手元に置きたがるだろうと考え、回帰前の知識を利用して父親の利益になる情報を提供した。


 実際、マルクスは度々リネアに助言を求め、その結果にも満足していた。だから、他国に嫁げばその利益が得られなくなると言えば説得できるのではないか。


 そう思っていたが、リネアの訴えを聞いたマルクスは苛立たしげにため息をついた。


「あの程度の情報、お前でなくとも手に入れられるだろう。それに、私の役に立ちたいならエングダールに嫁いで彼の国の情報を伝えてくれればいい」

「それは私に諜報活動をしろとおっしゃっているのですか? そんなことをしたのがバレたら処刑されてしまいます……!」

「バレないように上手くやればいい。祖国のためにそんなこともできないのか?」

「……」


 無能な親不孝者と責めるような眼差しを向けられ、リネアが言葉を失う。今までしてきたことは無意味だった。きっとどれだけの貢献をしたとしても、マルクスにとって、リネアのしたことはすべて無価値なのだろう。


「どうして……どうしてエングダールなのですか……? せめて違う国だったら……」


 もしレクセル公国に嫁げと言われていたら、オリヴェルに申し訳ないと思いながらも、リネアは承諾していただろう。

 レクセル公国でなくても、エングダールでさえなければどこでもよかった。


 イデオンのいる国でさえなければ。


「お姉様ったら、ちょっと理想が高すぎるんじゃなくて? エングダールは大陸一の富裕国よ。そこに嫁げるだけでありがたいと思わなくちゃ。まあ、私だったら側妃なんて御免だけど」

「アグネスを側妃なんぞにさせるわけなかろう。安心しなさい」

「はぁい、お父様!」


 アグネスが甘えた声を出し、マルクスが心底愛おしげに相合を崩す。


「まったく、父上はアグネスに甘いんですから」

「あら、じゃあヘンリクはお母様が甘やかしてあげましょうか?」

「やめてください、俺ももういい歳なんですから!」


 継母とヘンリクがおどけて笑い合い、そこにアグネスとマルクスの笑い声も混ざる。仲睦まじい幸せな家族の団らん。ここでのリネアはまるで空気と同じだった。


 しかし、その疎外感さえどうでもよくなるほど、リネアの頭の中は絶望で一杯だった。脳裏にあの日のイデオンの声が蘇る。


 ──これからは子供のことも、俺から逃げようだなんてことも考えるな


 ──俺以外のことを考えるお前のほうが悪いだろう?


 ──お前は一生俺に縋って、俺だけを愛していればいいんだ


「あ……ああ……」


 リネアは怯えて耳を塞ぐように頭を抱えると、そのまま意識を手放したのだった。


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