28. 手紙
「王女殿下から私に手紙……?」
リネア王女からの手紙はもっぱらフレドリカ宛で、ベネディクト宛に手紙が来ることは滅多にない。一体何の用件だろうか。思案しながら封を開ける。
「これは……」
王女から届いたのは、噴水でネックレスを見つけたことへの御礼の手紙だった。
大事なネックレスがなくなってどれほど不安だったか。
ベネディクトがリネアの代わりにためらいもなく噴水に入ってどれほど驚いたか。
ベネディクトのおかげで無事ネックレスが手元に戻って、どれほど安堵したか。
あのときの王女の気持ちが率直に綴られており、彼女が心からベネディクトに感謝していることが伝わってきた。
『──あのネックレスは母がまだ幼い私のために選んでくれたもので、大切な思い出が詰まったものなのです……』
「……だからあれほど必死になっていらしたのか」
王女にとって、あの小さなネックレスは特別な思い入れのあるものだった。だから自ら噴水に入ろうとまでしたのだろう。
そして、彼女はネックレスが噴水に「捨てられているかもしれない」と言っていた。つまり、誰かがあのネックレスを盗み出し、噴水に放置したということだ。
「まさか第二王女殿下の仕業か……」
リネア王女からの手紙には、ネックレスを捨てた犯人については書かれていなかった。それに、騎士団にもそのような報告は上がっていない。つまり、ネックレスの件は窃盗事件として処理できなかったということだろう。そうなると、リネアと同等以上の地位にある人物が犯人であった可能性が高い。
「陰口を広めるだけでなく、思い出まで奪おうとするとは……」
リネア王女は思っていた以上に陰湿な嫌がらせに遭っていたのかもしれない。それを見抜けなかったことが、ベネディクトは自分のことながら情けなくなった。
それに引き換え、リネア王女はなぜこんな境遇にありながら、心を真っ直ぐに保っていられるのだろうか。孤独と理不尽に押し潰されて性根が曲がってもおかしくはないのに、彼女が人を悪く言うところは見たことがない。
いつだったか、フレドリカがリネア王女は女神のような人だと言っていたが、案外大袈裟な賛辞ではないのかもしれない。
「知れば知るほど不思議な方だ……」
偽の投資話を仕組む聡明さがあるかと思えば、歌劇に感情移入して涙が止まらなくなる繊細なところもある。リネア王女の新しい一面を知るたびに新鮮な驚きがあり、興味を引かれてしまう。リネア王女とは、一体どういう人なのだろうか。
「……ああ、そうだ。手紙の返事を書かなくては」
ベネディクトは仕事の書類を脇によけ、真新しい便箋を机に広げた。いつもなら女性からの手紙の返事など一番後回しにする作業だというのに。
普段のベネディクトらしくない行動に、本人はまったく気づくこともなく、さっき書いていた仕事の書類よりもずっと丁寧な筆跡で返事の手紙をしたため始めたのだった。
◇◇◇
「突然手紙なんか書いて、変に思われてないかしら……」
リネアが部屋の中をソワソワと行ったり来たりする。
ベネディクトにネックレスの御礼の手紙を出したものの、彼の反応が気になって落ち着かなくなっていたのだった。
大事な失くし物を見つけてもらったのだから、御礼を伝えるのは当然のことだ。しかもあのときは気が動転していて、感謝の言葉も不十分だった。だから手紙を書く必要があった──と、リネアはさっきからずっと自分に言い聞かせていた。
「フレドリカに書く手紙はここまで心配になったりしないのに……」
フレドリカに手紙を書くときは、どんな返事が来るだろうかと楽しみに思う気持ちしかない。けれど、今回ベネディクト宛に出した手紙は、彼が読んで迷惑に思わないかという心配しかなかった。
(どうしてこんなに落ち着かないのかしら……)
やっぱり慣れの問題だろうか。
フレドリカとはしょっちゅう手紙のやり取りをしているけれど、ベネディクトとは偽の投資話の件で連絡したとき以来だ。
(でも、初めて手紙を送ったあの時よりも、今のほうが緊張するのはどうして……?)
普通だったら、二回目のほうが平静でいられるはずではないだろうか。
「なんだか変だわ……」
妙に騒がしい鼓動を落ち着かせようと胸に手を当てると、突然ノックの音が部屋に響いて、リネアはびくりと肩を跳ねさせた。
「リネア殿下、失礼いたします」
「どうしたのアニタ? そんなに険しい顔をして」
「それが、先ほど王宮から連絡がございまして……今夜はリネア殿下も王宮で一緒に晩餐をとられるようにとのことでした」
「何ですって……?」
◇◇◇
その日の夜。リネアは王宮の食堂へと向かいながら、これから始まる晩餐の目的を考えていた。
リネア以外の家族たちは、毎日一緒に晩餐をとっているらしい。邪魔者のいない家族水入らずの和やかなひと時。その大切であろう時間に、今日はなぜリネアを同席させるのだろう。
(もしかしてネックレスの件のお詫びとして? いえ、それはないわね)
犯人であるアグネスも、他の家族たちも、リネアに譲歩したり謝罪する姿など想像もできない。
(他に考えられるのは……お客様との晩餐会?)
今はレクセル公国大公のオリヴェルがリンクヴィストに滞在している。その彼を招いての晩餐にリネアも同席させるということなのかもしれない。
(それならよかったわ)
浮かない表情だったリネアの顔が少し和らぐ。
リネアを嫌う家族のもとに単身で向かうのは気が重かったが、オリヴェルがいると思えば心強い。
夜会の日から何度か王女宮まで遊びにきてくれたが、オリヴェルはいつも優しくリネアを気遣ってくれ、彼と過ごす穏やかな時間に心が癒された。
「オリヴェルがいるなら早く行かないと」
リネアは安堵に口もとを緩ませると、足早に食堂へと急いだ。




