26. どうかしてる
「何よあれ! せっかくリネアの惨めな姿を笑ってやろうと思ってたのに!」
さっき目にした光景を思い出しながら、アグネスが苛立たしげに唇を噛む。
リネアは最近調子に乗りすぎている。
今までリネアを疎んでいた貴族たちも甘くなり、馬鹿なリネアを庇おうとする者や、愚痴をこぼすアグネスをたしなめようとする者まで出てきた。
だから、この忌々しい状況を正す必要があった。
リネアはやっぱり愚かで恥ずかしい王女なのだと噂を広め、リネアの自尊心をくじいてやらなければならなかった。
そのために、あのネックレスを盗んだ。
死んだ母親の思い出だとかで大事にしているネックレスを。
しかし、リネアが慌てふためく様子を見たかったのに、最初からアグネスを犯人と決めつけ、偉そうに命令してくる姿にイライラした。そのせいでつい自分がやったと白状してしまった。
でも、噴水の前でオロオロする姿を見てスッキリしようと思った。あの女なら、誰にも助けを求められずに一人で何とかしようとするはずだと思った。王族としての矜持も持たずに噴水に入り込み、ダサいネックレスを探してびしょ濡れになった姿を思いきり笑ってやろうと思った。
実際、途中までは上手くいっていたのに──偶然現れたシベリウス公爵のせいで、すべて台無しになってしまった。
「まさか公爵があんなことをするなんて……」
彼は噴水に入ろうとしていたリネアを引き止め、代わりに自ら水の中に入ってネックレスを探し出した。そのうえ、リネアの前でひざまずいて靴まで履かせていた。
「何なの? リネアのためにどうしてそこまで──……いえ、あれでも一応『王女』だものね」
公爵は序列に厳しい人物。
だから、リネアのような居ても居なくてもどうでもいいような王女でも、身分を重んじて接しているのだろう。
「……とりあえず、また別の計画を考えて──」
「君は悪巧みだけは得意みたいだね」
「誰っ!?」
突然背後から他人の声が聞こえ、アグネスは驚いて振り返った。
「……大公?」
「おやおや、呼び捨てなんてマナーがなってないね。まあ、私生児の王女じゃ仕方ないか」
声の主は、レクセル公国大公オリヴェル・アウレリウスだった。強い魔力の証と言われる真紅の瞳をアグネスに向け、嘲るように見下ろしている。
彼のまとう鋭い空気に思わず後ずさりしたあと、アグネスは不本意そうな顔つきで一礼した。
「……敬称については失礼いたしました。ですが、大公殿下だって断りもなく女性の部屋に入ってくるなんてマナー違反ではありませんか? それに私のお母様は今や国王の正妃です。私生児だなんて呼ばないでください」
「へえ、君は気が強いんだね。やっぱり母親譲りなのかな? 愛人から正妃に成り上がるくらいの女性だもんね」
「……それは私とお母様への侮辱ですか?」
「侮辱? とんでもない! ただの事実だよ」
大公が朗らかに笑う。
端正な顔立ちに浮かぶ笑顔は絵になるほど美しかったが、アグネスはなぜか寒気を覚えた。
「君さ、リネアのネックレスを盗んだんだって?」
「違います、借りただけです。盗んだなんて誰がそんな」
「わざと噴水の中に捨てたんだろう? リネアを困らせてあざ笑うために」
「誤解です。私はそんなこと……!」
「『せっかくリネアの惨めな姿を笑ってやろうと思ってたのに』。さっきそう言ってたよね?」
「あ、あれは──きゃっ!」
突然テーブルの上の花瓶が「ガシャンッ!」と大きな音を立てて割れ、アグネスが悲鳴をあげた。
ひとりでに砕けた花瓶の残骸を呆然と眺めるアグネスに、大公が一歩近づく。
「君はリネアの何がそんなに気に入らないんだ?」
「何がって……別に何でもいいじゃないですか。誰だって気に入らない人の一人や二人いるでしょう? 私はそれがリネアだっただけ。大公殿下に責められる筋合いはありません」
「……へえ」
オリヴェルは興味深そうに片眉を上げると、どこか愉快げに口角を上げた。
「つまり君の持論は、気に入らない奴に嫌がらせをするのは当たり前ってことかな。ちょうどいい」
「ちょうどいい?」
怪訝な表情を浮かべるアグネスを無視して、オリヴェルが部屋の中をぐるりと見回す。
「この部屋の趣味は実に君らしいね。物語の主役たちを全部まとめて鍋に放り込んだみたいだ」
「はあ……?」
「ああ、あの絵は君の肖像画かな」
「え、ええ、今年の誕生日の記念に有名画家を呼んで描かせたもので──」
「ああそう」
どうでもよさそうな返事とともに、オリヴェルが肖像画めがけて何かを投げつける。次の瞬間、絵の中のアグネスの喉元にナイフが刺さっていた。
「な……何をなさってるんですか!?」
「ああ、今あそこに危険な毒ムカデがいたように見えて。でも気のせいだったみたいだね」
「信じられません……こんなことをするなんて、正気ですか?」
「もちろん正気だよ。君こそしっかり頭を働かせたほうがいい」
「はい? 一体どういう意味──」
「もう二度とリネアに手を出すな。次に何かあれば、今度は肖像画じゃなくて本物に当ててしまうかもしれない。どういう意味か分かるよね?」
オリヴェルの真紅の瞳が、底知れない深淵のように暗く翳る。彼の言葉が単なる口先だけの脅しではないことは明らかだった。
経験したことのない恐怖に、アグネスの全身から血の気が引いていく。声すら出すこともできず、アグネスは黙ったままコクコクと必死にうなずいた。
「よかった。じゃあ約束だからね」
オリヴェルはそう言うと、魔術でさっとドアを開け、挨拶もせずに部屋を出ていった。
彼の姿が見えなくなってしばらく経ったあと、アグネスはようやく金縛りから解けたかのようにその場に崩れ落ちた。
「…………イカれてる……どうかしてるわよ、あの男……」
肖像画に突き刺さったナイフを見つめながら、アグネスは掠れた声で呟いた。




