25. あなたのためなら
「……ない。どこにもない……」
王宮庭園にある大きな噴水の前で、リネアが失望の声を漏らす。アグネスの言葉を信じ、噴水の水底を目視でくまなく探してみたが、ネックレスは見当たらなかった。
アグネスが嘘を言ったのだろうか。それとも……。
リネアが噴水の中央にある彫像に視線を向ける。
「もしかして、あそこに……?」
アグネスの細い腕でも、ネックレスであれば向こうまで投げられるかもしれない。
「確かめたいけど、でも……」
今リネアがいる場所──噴水の外からでは、ほとんど何も見えない。もし彫像のところにネックレスがあるのだとしたら、噴水の中に入って彫像まで近づくほかない。
使用人の誰かに頼んで見てきてもらうか。
しかし、王女宮ならともかく、普段アグネスや王妃に仕えている王宮の使用人がリネアの頼みをすんなり聞いてくれるだろうか。
もし頼みを聞いてくれなかったら。
適当に探して見落とされてしまったら。
ネックレスなどなかったと嘘をつかれてしまったら。
「やっぱり、自分で探さないと……」
リネアが履いていた靴を脱いで噴水の縁に立つ。
そして、水面に向かって足を踏み出したところで──突然リネアの腕がぐいと後ろに引かれた。
「きゃっ……!?」
リネアがバランスを崩して後ろに倒れる。
すると、がっしりとした腕がリネアの身体ごと受け止めて支えた。それから、聞き覚えのある声がリネアの頭上から降ってくる。
「今、何をなさっていたのですか!?」
「あ……シベリウス公爵……」
リネアの腕を引いたのはベネディクトだった。
眉間を寄せ、信じられないという表情でリネアを見ている。
「すみません……噴水の中に入りたくて」
リネアが答えると、ベネディクトは訳が分からないといった様子でさらに眉を寄せた。
「なぜそのようなことを?」
「あの……実は、あそこに私のネックレスが捨てられているかもしれなくて……」
リネアが噴水の中央にある彫像を指差す。
ベネディクトは彫像を一瞥したあと、またリネアを見つめた。
「……だからご自分で確かめようと?」
「はい、そうです」
「使用人に任せようとは思わなかったのですか?」
「思いましたが、王宮の使用人は、その……」
「ああ、あまり信用できないということですね」
ベネディクトがため息をつくのを見て、リネアは恥ずかしそうに目を伏せた。
「……いえ、だからといって私がしてはいけない行動でした」
靴を脱ぎ、ひとりで噴水の中に入ろうとするだなんて、王女として品位に欠ける行いだ。ベネディクトが眉をひそめるのも当然のこと。
もしかすると、アグネスはリネアがこうすることを見越したうえで「噴水に捨てた」などと言ったのかもしれない。
リネアの無様な姿を見て、あざ笑い馬鹿にするために。
「呆れていらっしゃいますよね……。王族としての立場もわきまえずにこんなことをするなんて」
リネアがベネディクトの腕から離れる。
彼もきっとリネアに失望したはずだ。フレドリカとの付き合いも考え直されてしまうかもしれない。でも、それも仕方ないだろう。
「……ご迷惑をお掛けしました。もう噴水に入ろうとなんてしませんから安心してください──……えっ?」
リネアが目を丸くして下を向く。
なぜなら、ベネディクトが突然リネアの足もとにひざまずいたからだ。
「靴をお履きください」
ベネディクトがリネアの靴を手に取り、丁寧に揃えて置く。
リネアは自分が裸足だったことを思い出して、頬を赤らめた。
「すみません、私……」
「ああ、足が少し汚れてしまわれましたね。こちらにお掛けください」
ベネディクトが上着を脱ぎ、噴水の縁に敷いてリネアに座るよう促す。リネアが遠慮がちに腰を下ろすと、ベネディクトがまたリネアの前にひざまずいた。
「少し失礼いたします」
「えっ……こ、公爵!」
ベネディクトは手袋をはめた手でリネアの足を軽く持ち上げると、足についた細かな砂などを払ってからリネアに靴を履かせた。
「あの、ここまでしていただかなくても……」
「怪我をされてはいけませんから」
ベネディクトは何でもないことのように返事をすると、スッと立ち上がって噴水のほうを見つめた。
「このまま少しお待ちください。すぐに戻ります」
そう言うやいなや、ベネディクトは躊躇うことなく噴水の中へと足を踏み入れた。ブーツや騎士服が濡れるのも構わず歩みを進め、真っ直ぐに彫像へと向かっていく。そして台座の周囲を少し行き来すると、すぐにリネアのもとへと戻ってきた。
「こ、公爵! お召し物が濡れて──」
「ありましたよ」
「え……?」
「ネックレスです。こちらですよね」
「! そうです、このネックレスです……!」
ベネディクトが差し出したのは、たしかにリネアが母親から貰ったネックレスだった。噴水の水に濡れてはいるが、それ以外は無事に見える。
「ありがとうございます……! 何とお礼を言ったらいいか……」
「いえ、お役に立てたのなら何よりです」
そう言って頭を下げるベネディクトの姿を見て、リネアはたまらない気持ちになった。こんなことになるくらいなら、王宮の使用人に頼むべきだった。白獅子騎士団の騎士団長であり、公爵でもある彼にさせていいことではなかった。
「申し訳ありません、私のせいでこのようなことをさせてしまい……」
リネアが自責の念に駆られて謝罪すると、ベネディクトは少し困ったように眉を下げた。
「そのように謝られる必要はございません。臣下として当然のことをしたまでです」
「でも……」
「その繊細さは第一王女殿下の良いところでもありますが、殿下はもっと王族らしく堂々となさってよろしいと思います。殿下が萎縮されてしまわれる理由も分かりますが、あなたは間違いなく正統な王族でいらっしゃるのですから」
「……私を、そんな風に認めてくださるのですか?」
「もちろんです。それに不敬を承知で申し上げれば──もし殿下が王族でいらっしゃらないとしても、あなたのためなら噴水の中を歩くくらい大したことではありません」
ベネディクトの澄んだ瞳に見つめられて、リネアは頬が熱くなるのを感じた。
(私の、ため……?)
何も言えずにいるリネアに、ベネディクトが優しく微笑んだ。
「大事なネックレスが見つかってよかったです。私はこれで失礼いたします」
ベネディクトはリネアに一礼すると、噴水の縁に敷いていた上着を手に取り去っていった。
「シベリウス公爵……」
リネアは手元に戻ってきたネックレスを、きゅっと握りしめた。




