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24. 夢物語と現実

 庭園での読書会を終えて自室に戻る途中、リネアは難しい顔で考え事をしていた。悩みのタネは胸もとに抱えている二冊の本──『冷徹公爵様の熱い愛に溶かされて』と『公爵家の嫁入り王女の幸せ溺愛生活』だ。


「この本、やっぱり読まないとダメよね……?」


 読書会の時間では読みきれなかったためフレドリカが貸してくれたのだが、借りたからにはちゃんと読んで感想を伝えなくてはならない。


「でも、なかなか話が頭に入ってこないのよね……」


 さっき読んでいた『嫁入り王女』は、男性主人公の爵位や家族構成のせいか、頭の中にシベリウス公爵家が思い浮かんでしまい、あまり集中して読むことができなかった。


 もう一冊の『冷徹公爵様』のほうは、数ページチラ見しただけでも公爵の溺愛ぶりが凄まじく、しかも公爵の口調がなんとなくベネディクトに似ている気がして恥ずかしくなってしまった。


「フレドリカはよくこの作品を読めたわね……」


 読んでいて兄の顔が浮かんだりしなかったのだろうか。


「……いえ、もしかしたら私のほうが変なのかも」


 フレドリカは現実と創作の区別がしっかりついているのだろう。物語に知り合いの姿を当てはめてしまうリネアのほうがおかしいのかもしれない。


「でもどうしても思い浮かんでしまうんだもの……」


 普段は冷徹な公爵がヒロインにだけ甘い表情で愛の言葉を囁く溺愛シーンの数々。そういう場面でつい男主人公のイメージがベネディクトになってしまうのだった。ベネディクトが甘い台詞を吐いているところなど、見たことも聞いたこともないというのに。


「……私ったらなんて失礼なのかしら」


 こんなことをもしベネディクトが知ったら、女性嫌いにさらに拍車をかけることになってしまいそうだ。もちろん、リネアの頭の中を彼が知ることはないだろうが、それでも申し訳なくなってしまう。


「でもフレドリカは私の感想を聞きたがっていたし、読まないわけにはいかないわよね……一体どうすれば……」


 そうしてあれこれ悩んでいるうちに、もうリネアの部屋に到着してしまった。


「はあ……こうなったらもう速読で一気に読んでしまいましょう」


 作品の著者には申し訳ないが、なるべく無心で流し読みするしかない。頭に人物イメージが思い浮かぶ暇もないくらいの速度で。内容もだいたい半分くらい掴めれば、ある程度ちゃんとした感想を伝えられるはずだ。


「とりあえず、残りを読む前にお茶でも飲んで心を落ち着けて──……あら?」


 抱えていた本を書物机に置いた瞬間、リネアはなんとなく違和感を覚えた。


 部屋の中に、普段とは違う匂いが漂っているような気がする。薔薇と百合が混ざったような華やかな香りの残滓。前にも嗅いだことのあるこの匂いは……。


「アグネスの香水……?」


 王都一の調香師に調合してもらったという、アグネスのための特別な香水。彼女のお気に入りの香りで、ここ一、二年ほど好んでつけている香りだ。


「私の部屋でどうしてアグネスの香りが……?」


 アグネスがリネアの部屋を訪れる予定はなかったし、そもそもアグネスが自ら好んでリネアに会いに来るはずがない。


(──なら、考えられるのは……)


 リネアは嫌な予感がして部屋の中を確認し始めた。

 本棚の本にクローゼットの中のドレス。お気に入りのティーセットに思い出のぬいぐるみ。何か盗られたり、いたずらされているものはないか……。


「……よかった、何も問題なさそうね」


 ただの杞憂だったかと安心しかけたとき、宝石箱を開けたリネアの瞳が大きく見開かれた。


「ない……。お母様からもらったネックレスがないわ──……」



◇◇◇



 王宮にある広々とした豪華な部屋。

 普段リネアがここを訪れることは全くと言っていいほどなかったが、今回ばかりはそういう訳にはいかなかった。


「アグネス。リネアよ、今いいかしら」


 王宮にある異母妹の部屋を訪れたリネアは、ざわめく気持ちをなんとか抑えてアグネスを呼び出す。


「アグネス、ここにいるのでしょう? 早く出てきてちょうだい」


 部屋にいるはずなのに、なかなか返事を寄越さないアグネスにだんだんと苛立ちが募る。このまま勝手に入ってしまおうかと考えたところで、ようやく部屋の扉ががちゃりと開いた。


「さっきから何なんですか? 私に会いたいなら事前に知らせていただかないと困るのですけど」

「……ごめんなさい。どうしても急ぎの用事があって」

「はあ。それなら、今ここで話していただけます? 私は忙しいので、お姉様とのんびり話している暇はないんです」


 アグネスが悪びれもせずリネアに言い放つ。

 敬意を感じない雑な言葉遣いに、見下すような眼差し。異母妹のあからさまな蔑みに不快感を覚えながらも、リネアは努めて冷静に口を開いた。


「私の部屋に勝手に入ったわね? 宝石箱から盗ったものを出しなさい」

「はあ? 何のことです? 言いがかりはやめてください。証拠もないのに人を泥棒扱いするなんて……」

「証拠ならあるわ。部屋の中にあなたの香水の香りが残ってる。あれはアグネスのためだけに調香された香り。あなた以外がつけているはずがない。そうでしょう?」

「……」

「さあ、早くネックレスを返してちょうだい」


 リネアが確信を持って要求する。

 すると、アグネスは最初こそ顔色を変えたものの、すぐに口もとに嘲るような笑みを浮かべた。


「あーあ、嫌だわお姉様ったら、そんな怖い顔をして。妹が姉のものを借りるなんて、ごく当たり前のことじゃない。それをこんな大袈裟に文句を言いにくるなんて、恥ずかしくないんですか?」

「……たとえ姉妹でも黙って取っていくのは非常識よ」

「だって部屋に誰もいなかったんだから仕方ないでしょ?」

「伝言でも置き手紙でも、やりようはあったはずよ」

「はあ、過ぎたことをネチネチと……そんなだからお父様に鬱陶しがられるのよ」

「アグネス……!」


 論点ずらしの侮辱に思わずリネアが声を荒らげると、アグネスが小馬鹿にするようにプッと噴き出した。


「事実を言っただけなのに傷ついちゃった?」

「いい加減にして。私はネックレスを返してほしいだけ。今返してくれたらすぐに帰るから、早く出して」


 込み上げる怒りを懸命にこらえて催促すると、アグネスは彼女の母親に似た瞳をゆっくりと細め、クスクスと笑った。


「それは無理よ。だってもう捨てちゃったもの」

「は……? 捨てた……?」

「ええ、いざつけてみたらやっぱり安っぽくて。腹が立ったから庭の噴水に放り投げてしまったわ」

「ひどい……」


 あまりに身勝手な言い分に怒りが湧き上がる。

 アグネスは、リネアがあのネックレスを大切にしていたことを知りながら、わざと盗んで捨てたのだ。


「火にくべなかっただけありがたく思ってもらわないと。ほら、いつまでもここに突っ立ってないで早く取りに行ったら?」

「……っ」


 リネアは無言でアグネスを睨むと、庭園へ向かって(きびす)を返した。アグネスが嘘を言っている可能性も捨てきれないが、まずは確かめてみないと。


「あんなダサいネックレス、頼まれても要らないから!」


 庭園へと急ぐリネアの背後で、アグネスの高笑いが聞こえた。


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