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23. 悪意と好意

 その日、王宮では新人侍女が王女の怒りを買っていた。


「私のことは『第二王女殿下』ではなく『アグネス王女殿下』と呼ぶよう教わらなかった?」

「た、大変申し訳ございません……うっかり間違えてしまい……」

「二度目はないわ。今度間違えたらクビにするから」

「は、はい、肝に銘じます……!」


 新人侍女が声と体を震わせながら深々とお辞儀をする。

 その目の前で、アグネスは羽虫を払うように片手を振った。


「下がって。しばらく私の前に姿を見せないでくれる? 目障りだから」

「は、はい……」


 新人侍女が顔を手で覆い、嗚咽を漏らしながら部屋を出ていく。その姿にアグネスはさらに苛立ちを覚えた。


「最悪。わざとらしく泣いてるんじゃないわよ」


 あれではまるでこちらが酷い仕打ちをしたみたいではないか。悪いのはどう考えてもアグネスの呼称を間違えたあの侍女だというのに。


 ──第二王女。第一王女の次を意味する言葉。


 あの誰からも愛されていない名ばかりの王女リネアよりも下位の存在と言われているようで、アグネスはこの呼び方を屈辱に思っていた。


 双子の兄であるヘンリクは『第一王子』と呼ばれるのに、アグネスは『第二王女』だなんておかしい。


「リネアなんて生まれてこなければよかったのに」


 そうすればアグネスは絶対的な一番になれた。

 根暗っぽくて幸薄そうな女の妹にならずに済んだ。

 リネアの存在はアグネスにとって害悪でしかない。


「ああ、イライラするわね……」


 こんなときは取り巻きの令嬢たちにリネアの悪口を聞かせて鬱憤を晴らしていたものだったが、先日の夜会から皆リネアの悪口を避けるようになってしまった。おそらく、シベリウス公爵に叱責されたせいだろう。


 なぜ公爵がリネアごときを庇うのか訳が分からなかったが、どうやらリネアは最近、公爵の妹と仲がいいらしい。それに、公爵とも二人きりで観劇に出かけたという噂も耳にした。


 おそらく、王宮で孤立しているリネアが後ろ盾を得たくて公爵兄妹を狙っているのだろう。彼らに気に入られて、ゆくゆくは公爵夫人に収まろうという魂胆なのかもしれない。


「リネアのくせに生意気ね。立場を分からせてあげなくちゃ」 


 アグネスはリネアが惨めに這いつくばる姿を思い浮かべて、楽しそうに微笑んだ。



◇◇◇



「それでリネア様、観劇はいかがでしたか?」


 王女宮の庭園で、フレドリカが大きな瞳をきらきらと輝かせてリネアに問う。

 今日は二人で読書会をする予定だったはずが、フレドリカは読書よりも観劇の日の出来事に興味津々の様子だった。


「歌劇場についたらフレドリカでなく公爵がいらしたから驚いたけど、オペラも楽しめたし、いい一日だったわ。今回の公演は本当に素晴らしかったわよ。公爵に聞いたかしら? 主演女優の歌声が圧巻で……」

「はい、オペラの内容は兄にも聞いたので大丈夫です。なので、兄とのデー……観劇はどうだったかをお聞かせいただければと」

「どうって……。手紙にも少し書いたけど、公爵の意外な一面を知ることができたわ」

「ああ、チケットの払い戻しの件ですね。兄は劇場に行くことなんてほとんどないので、そういうことにあまり詳しくないのです。だからこそチャンスだと思ったのですが……」

「え? チャンス?」

「いえ、リネア様をちゃんとエスコートできなくて申し訳ないなと。それで、リネア様はどう思われましたか? 私はそういうギャップがあると可愛らしいなと思うのですが……」


 フレドリカが何かを期待するようにリネアの反応をうかがう。


「そうね……公爵に失礼なことは言えないけれど──」


 リネアが言葉を選びながら、あのときのことを思い出す。

 払い戻しはもう無理だと聞いたときの、あの目を丸くした顔。ベネディクトは冷静で何でも知っていそうだと思っていたのに、あの瞬間の表情はどこか幼さのようなものを感じてしまった。


「──たしかに、ギャップがあると親しみを感じるわね」

「親しみ……!!」


 なぜか急に興奮を見せるフレドリカに思わずリネアがビクッとすると、フレドリカはさらにリネアに質問をぶつけてきた。


「リネア様は兄に親しみをお感じになったのですね! リネア様はクール系よりお茶目な男性のほうがお好みなのでしょうか!?」

「え……どうかしら、どちらも魅力的だと思うけど……」

「なるほど、では伴侶に求める性格トップ3といえば?」

「ト、トップ3……? 順位はよく分からないけれど、嘘をつかず、優しくて、私を愛してくれる人なら……」

「もちろんお任せください! 嘘をつかないことには定評がございます!」

「て、定評……?」


 フレドリカはどうしてしまったのだろうか。

 急に商店のご用聞きのようなことを言い出したり、男性のタイプを聞いてきたり、訳が分からない。


 とりあえず話を変えようと、リネアはあらかじめ用意していたものを取り出した。


「ところでフレドリカ、これを公爵に返してほしいのだけど……」

「これは……!」


 観劇のときにベネディクトから借りたハンカチを手渡すと、フレドリカはなぜかさらに頬を紅潮させた。


「ああ、リネア様にお貸ししたというハンカチですね! あの兄が女性にそんなことをするなんて……!」

「私があまりにも泣きすぎていたから、見かねて貸してくださったのだと思うわ」

「そうでしょうか。兄に限ってそんなことはないと思うのですが。兄は本当に私以外の女性にそっけないので」

「まあ、私は一応王族だし、フレドリカとも仲がいいから多少は気を許してくれているのかもしれないわ」

「気を許す……ふふ……そうですねぇ……」


 フレドリカが何とも形容しがたい笑みを浮かべる。

 いつもは優美な印象しかない三日月型に細められた目が、今は何か秘められた企みがあるように感じてしまうのは気のせいだろうか。


 リネアは気を取り直すように軽く咳払いすると、テーブルの上に置かれた本に視線を向けた。


「じゃあ、そろそろ読書を始めましょうか。おすすめの本は持ってきてくれた?」

「はい、今日はこちらをお持ちいたしました」


 フレドリカが持参した二冊の本を手に取ってリネアに見せる。どちらも大衆小説のようだが……。


「『冷徹公爵様の熱い愛に溶かされて』、『公爵家の嫁入り王女の幸せ溺愛生活』……?」

「最近読んで、とてもよかったのでリネア様にもぜひ読んでいただきたくて。あ、どちらもたまたま公爵ヒーローのお話でしたね! すごい偶然!」

「ほ、本当ね……」


 パラパラとページをめくってみると、『嫁入り王女』は公爵家に嫁いだ王女が、公爵とその妹、使用人たちにひたすら愛されて幸せに暮らす話で、『冷徹公爵様』はヒロインが実は紳士な冷徹公爵に身も心もとろけるほど溺愛される大人向けの小説だった。


(フレドリカがこんな過激な小説を……!?)


「では、私はリネア様のおすすめの本を読ませていただきますので、リネア様もごゆっくりどうぞ!」

「え、ええ……」


 リネアは二冊のうちどちらを読むべきか迷った挙げ句、結局『嫁入り王女』を手に取り、ページをめくったのだった。


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