第四章 復讐の種
天都城を脱出して七日が過ぎた。
顧雲深と小環は官道を南下し、野宿を繰り返しながら険しい道のりを進んでいた。役人の目を盗み、山賊の略奪から逃れ、飢えと寒さに耐え忍ぶ日々。それでも二人は足を止めなかった。背後には彼らを追う暗黒の王朝があり、前方には希望の地・江南が待っているからだ。
夕暮れ時、二人は「清河鎮」という小さな町に辿り着いた。
「従兄さん、今夜はここで休みましょう。もう一歩も歩けません……」
小環の顔は埃にまみれ、衣服は破れ、磨り減った靴からは血が滲んでいた。顧雲深の胸に痛みが走る。かつて王府で大切にされていた少女が、自分のためにこれほどの苦難に耐えている。
「ああ、今夜はここで休もう」
二人は町で最も安い「悦来客棧」に入った。店員は彼らの落ちぶれた姿を蔑むように一瞥したが、顧雲深が差し出した数枚の銅銭を見て、湿り気のある狭い部屋へと案内した。
質素な陽春麺を啜っていると、階下の大堂から騒がしい声が聞こえてきた。
「聞いたか? 李宰相が全土に指名手配を出したそうだ!」
「あの皇族の逆賊、顧雲深のことか? なんでも天都を逃げ出したとか」
「あの役立たずがどうやって……。懸賞金は金千両に跳ね上がったらしいぞ」
二人は顔を見合わせ、息を呑んだ。
> 【システム警告:李嵩グループによる全土捜索令が発令。懸賞金は金1000両に上昇。】
> 【危険度:高。速やかに町を離れることを推奨します。】
顧雲深は冷静に思考を巡らせた。復讐は焦ってはならない。だが、腹を満たし情報を集める必要はある。階下の客たちの話を聞けば、民衆は李嵩の横暴に辟易しながらも、力に屈して沈黙していることが分かった。腐敗しきった王朝の縮図がそこにあった。
「……従兄さん、何を考えているの?」
「道中での『資金調達』についてだ」顧雲深は小環を見つめた。「手持ちはあと12枚の銅銭。これでは江南に着く前に野垂れ死ぬ。稼ぐ必要がある」
「稼ぐって、どうやって? 私たちには特技なんて……」
「いや、あるさ。料理だ」顧雲深の瞳に知略の光が宿る。「現代の味覚と古代のそれには決定的な差がある。この時代にはない刺激と驚きを提供すれば、それが最初の資本になる」
その夜、突然の官兵の検問により窓から飛び降りて町を脱出することになったが、この危機が顧雲深の復讐心にさらに火をつけた。
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翌朝、二人は「柳河鎮」に到着した。
市場で僅かな卵、小麦粉、豚肉、ネギを仕入れる。顧雲深が考案したのは、現代の屋台の定番「煎蛋包(中華風エッグバーガー)」だ。
鉄板(代わりの平鍋)で焼ける香ばしい匂いが路人を引き寄せる。
「これは何だ?」「十文だと? 高すぎるぞ!」
だが、一口試食させただけで状況は一変した。
「旨い! こんな香ばしい餅は食べたことがない!」
現代の調味料の配合比率と、食感のコントラストを活かした料理は、退屈な古代の食事に慣れた人々を瞬く間に虜にした。午前中だけで三十個以上が売れ、三百文以上の利益を得た。
「従兄さん、本当に売れました!」小環が歓喜の声を上げる。
しかし、商売が軌道に乗りかけたその時、豪華な絹を纏った肥満体の放蕩息子が家丁(用心棒)を引き連れて現れた。
「おい、こんな汚い場所で何を焼いてやがる。十文だと? 庶民の分際でふざけた値段をつけやがって」
男は冷笑を浮かべると、並んでいた客を追い払い、屋台を蹴り飛ばした。焼きたての煎蛋包が泥の中に散らばる。
「……公子、なぜこのようなことを?」顧雲深の声は低く、冷たい。
「なぜだと? 俺様が気に入らねえからだよ! 貧乏人が小綺麗な商売してんじゃねえ!」
男は小環を蹴飛ばし、顧雲深の襟元を掴み上げた。周囲の民衆は震えて目を逸らす。権力者の横暴に逆らえる者はいない。
だが、顧雲深の心に宿ったのは恐怖ではなく、燃え盛る怒りと冷徹な計算だった。この男は李嵩の縮図だ。力で弱者を踏みにじる、この王朝を腐らせる病原体そのもの。
「公子、一つ忠告しておく」顧雲深は男の目を真っ直ぐに見据えた。「家柄は一生を保障しない。お前のような無能な穀潰しを、家族がいつまで守ると思っている? お前の家族は、お前が死んで財産が転がり込むのを今か今かと待っているのではないか?」
「……何だと、貴様!」逆上した男が拳を振り上げた。
瞬間、顧雲深は身体を沈めた。現代の操盤手としての冷静な状況判断と、古代の身体に残る武芸の記憶。最短距離で放たれた一撃が、男の鳩尾を的確に捉えた。
「ぎゃあああ!」
男が崩れ落ちる。家丁たちが襲いかかる前に、顧雲深は叫んだ。
「官府へ行くか? 街頭で民を暴行し、理不尽に屋台を壊した罪、杭州知府に繋がる伝てがある俺が黙っていると思うか!」
はったりだ。だが、その圧倒的な威圧感に家丁たちは怯んだ。その隙に顧雲深は小環を連れて市場の雑踏へと消えた。
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町の外まで逃げ延びた後、小環は不安げに尋ねた。
「従兄さん……また逃げるのですか?」
「いいえ。これは『戦略的撤退』だ」顧雲深は南の空を見据えた。「今はまだ力が足りない。だが、必ず戻ってくる。この王朝のルールを俺が書き換える時、あのような連中は真っ先に淘汰されることになる」
仇恨の種は、彼の心で確実に芽吹いていた。それはやがて巨大な樹となり、李嵩の築いた偽りの城をなぎ倒すだろう。
> 【システム提示:柳河鎮での紛争から離脱。復讐の意識が覚醒しました。】
> 【現在の位置:柳河鎮以南二十里。江南・杭州まであと25日。】
> 【支線任務:軍資金調達。進捗3%(三百文獲得)。】
「小環、行こう。俺についてくれば、必ずあいつらに代償を払わせる日が来る」
顧雲深は小環の手を強く握り、再び南へと歩み出した。
12枚の銅銭から始まった逆転劇は、いま確実に加速し始めている。




