1-4 成造
「うぐ、ぐ、ぐ……」
目を開くと、閉じた木板の窓の隙間に明るい陽射しが漏れ入っていた。
いつもに照らして、もう昼近いと思われる角度だ。
何故こんなに寝過ごしたのか。
――何が、あったっけ。
少しの間現状が理解できず、イルヴァは室内を見回した。
もう見慣れてしまった、みすぼらしい部屋の中。
見回し、思い巡らし。少しずつ、前夜の記憶が戻ってくる。
いろいろ考え、諦めかけ。決意したこと。
命がけで、試してみようとしたこと。
そこまで、思い当たって。
「生きていた……」
しみじみと、イルヴァは呟く。
勝った。
一か八かの賭けに、勝ったことになる。何か胸焼けみたいなものが残った感触で体調はいいとは言えないが、気分は晴れ晴れと広がってくる。
耳を澄ましても、部屋の外に家人が近づく気配はない。
サイクルの四日目なんだから、使用人が入室してくることはまずないだろう。
辺りを見回す限り、昨夜寝る前と変化は窺えない。
――魔法は、成功したんだろうか。
視界の隅の数字は1。
しかし死にそうに気分が悪くなって意識を失ったんだから、おそらく魔力値が消費され一度使い果たしたことにまちがいはない。
ただそれと、魔法が成功したかどうかは別問題かもしれない。
部屋の中を見回しても、ほとんど物はない。10セター以下のものなど、あっただろうか。
何も見つからないので仕方なく、履いていた靴下を丸めてみる。
それを小テーブルに載せて、
「収納」
小声で唱えると。
丸い物体は、一瞬で消えた。
ここ数年間ついぞ覚えたことのない喜びが、イルヴァの胸を熱くする。
続いて、
「取り出し」
と唱えると。
黒ずんだ元は白い布地が、何事もなかったかのように出現する。
声もなく、イルヴァは拳を握った。
――成功! まずまちがいなく『収納』魔法は使えているね、これ。
視界の数字は1のまま。
魔力値は無事一晩で回復しているし、今の出し入れで消費されていないのもまちがいない。
これで以降いつでも、大きさ10セター以下のものの出し入れが自由にできることになる。
それからいろいろと、この出し入れを試してみた。
もう午近い時刻と思われるが、他にすることもないし訪ねてくる者もいない。
この実験を一日中続けていても、何の問題もないのだ。
くり返した靴下の出し入れで分かったこと。
まず「収納」「取り出し」という呪文は、声に出さず頭の中だけでも成立する。
収納は自分から3ガター、つまり300セター離れたくらいのものまで可能。
取り出しは、部屋の隅と隅で離れてもできた。約5ガター、もっと離れてもできるかもしれない。しかも、意図した場所にかなり正確に置くことができる。
それとは別に、自分の全身表面から汚れを収納、と念じると成功したようだ。久しぶりに背中や頭などの痒みも和らいだ気がする。
なお、その汚れは窓の外に捨てておく。
――ここまでは、よし。あとは――。
部屋の窓は、一辺30セターくらいのほぼ正方形になっている。
木の板を開け閉じして明かりを入れるのだが、この部屋では外側から上下を窓枠に埋め込む形の太い木の縦格子が五本設置されている。
その右端の一本に向けて、上端10セター分を収納、と念じると。
見事、上三分の一だけが消え失せた。窓枠にめり込んでいた分も消えている。
続いて元の場所に取り出し、と念じると、完全に元通りになる。
一度消えた断面で切断された跡は残っているようだが、よく目を凝らさないと分からないくらいだ。
つまり。
この棒のようなもので、必要な長さの分だけ切りとって収納できることになる。枠にめり込んで見えなかった分も含めて、ということだ。
同じようにおそらく、他のものでも大きな分から必要分だけを切りとり可能、ということになるだろう。
さらに、取り出しはほぼ寸分の誤差もなく指定通りにできる、と言えそうだ。
――さすがは魔法、期待通りになってくれるね。
さらに次には、木の板を閉じてその外側の格子の一部を収納できるか、試してみた。これは無理だった。
その次に、木の板を薄く開いて格子の端少しだけが見えるようにして、試してみる。これは成功。
つまり収納するものは全体でなく一部だけが見える状態であれば可能、ということになる。しかもその物体すべてを通すことのできない大きさの隙間の向こうからでも、収納はできる。
逆に、そこにあるのは分かっていてもまったく視認できないものは収納できない。
さらにさらに、取り出しについて。
これは、不思議な『知識』の伝えてくる何やらの創作物なんかだと、ただとにかく取り出すだけの感覚で詳細などどうでもいいみたいなんだけど。こちらは少なくとも五ガター先まで、指定した正確な位置に出現させられることが分かっている。
とすると、取り出し方自体に何かの意味を持たせられることもあり得るので、もう少しできることできないことを確かめておきたい。ということで、実験してみる。
結果、窓板を閉じた外のような、はっきり遮断された向こうには出現させることができない。
一方、窓を薄く開けておいた外側といったような少しでも隙間で繋がっている場所なら、その位置がはっきり見えていなくても取り出し可能だということが分かった。これはさっきの収納時と同じく、その物体の大きさを通すことができない隙間でも、できる。
続けて日が暮れるまで、同じようなことをさまざまに試してみた。
――いろいろと収穫あり、だね。
通常屋敷の中では、日が暮れる前に夕食を済ませ、日没後二ゲール(時間)程度のうちには寝静まる。それ以上起きていて照明を使用するのは、節約の意味で主に禁じられているから。
その寝静まった頃合いからさらに一ゲールほど、イルヴァは闇の中で目を閉じて待った。別に意識を強めていなくても、空腹の腹痛でなかなか眠りは訪れないのだ。
頃合いを見て、身を起こす。
窓を開くと、そこそこ明るい月明かりが差し込んできた。
足音を忍ばせて、戸口に寄る。
鍵がかかっているのだが扉にガタガタした遊びは少しあり、できるだけ引っ張ると隙間に金属が覗く。
これは昼間に一度試してみたのだが、この隙間で錠の金属部品が丸ごと収納できるのだ。
ガチャリという音さえ立てず、施錠は外される。
そっと、内向きに扉を開く。収納した金属部品は取り出して陰の壁脇に置き、廊下に出て扉を閉じる。
そうして数ヶ月ぶりの廊下に、イルヴァは立っていた。
靴の類いは室内になく、数少ない靴下は汚したくないので、板の床の上に完全な裸足が触れている。
――何とも、久しぶり。懐かしくも何ともないけど。
闇に慣れた目に、廊下の行く先はかすかに判別できる。
ただ、数ヶ月外にも出ずひたすら衰弱を続けていた足は、心許ない。今にも膝から崩れ落ちそうなところを、壁に手を当てて支えることになった。
ゆるりゆるりと、足を運ぶ。
耳を澄まして、人の気配がしないことに気を払う。
ゆっくり歩いて、見覚えのある角を曲がった。屋敷の中央近く、裏手方向へ向かうことになる。
屋敷のこちら一階の西側は、ほとんどが物置、洗濯場、厨房などの作業用の部屋。中央部分に広間や応接室などがあり、東半分は使用人の私室になっている。子爵家族や執事の部屋は、二階だ。
ということで、この付近に夜中に人が現れることはまずない。誰かが起きてきたとしても、遠くから近づく足音が聞こえるだろう。
そう思いながらも、油断せず耳を澄まして。
そろそろと足を進めていく。
数ヶ月前の記憶と変わっていなければ、目的地はすぐこの先だ。
やがて、
――ここ、だよね。
見覚えのある扉の前に立ち。
一度、二度、大きく深呼吸。
腹に力を込めて、イルヴァはギギギ、とそれを押し開く。




