2-14 人助《ひとだすけ》
隣のタハヴォネン侯爵領スヴェストルへ続く街道は、エテラヴオリの町を出て間もなく草原と点在する畑に囲まれるばかりの風景になる。この近辺は魔獣などの出没も少ないということで、春の耕作が始まった畑が続き、その向こうに農村の家並みが小さく見えている。
まだ朝早く閑散とした田舎らしい見晴らしの中を、小さな黒装束は一人で足を運んでいる。歩幅は小さいというものの、疲れを見せず力強い足どりだ。
しばらく畑が続き、街道近くまで林が迫り、また草原が広がる。そのような単調な景色の中、一本道はなだらかに続く。
つい前日に通ってきた道のりとはいうものの夕暮れ近くだったので、この朝は見かけの変わった風景をのんびり見回す。
そうして変わらぬ歩調を続けていると、横手から小さな声が聞こえてきた。
次第に近づく、甲高い、子どもの泣き声らしい。
「ひいいーーん――」
すぐに、薄い茂みの中から小さな姿が現れた。歩き始めたばかりかと思われる小さな、男の子か。粗末な生成りの衣を着、短い髪はくすんだ灰色だ。
涙で汚れた顔を拭おうともせず、両手を振り回して覚束ない足運びで駆け寄ってくる。
「助け――たすけて――」
「何だ?」
「かあちゃが――」
警戒の様子もなく、小さな子どもは黒い袖を掴んできた。
困惑で、クートは顔をしかめる。
「何だ、いったい?」
「たすけ――たすけて――」
遠慮もなく、ぐいぐいと袖を引っ張ってくる。
困惑のまま引かれて、クートの足は草叢に踏み込んでいた。
耳を澄ますと、少し離れた林の中から喧噪めいた声が聞こえる。
腕を引っ張られるままそちらに寄っていくと、その声も近づいてくるようだ。
「きゃああ」という甲高い悲鳴、「この野郎」というだみ声、そんなものが入り混じる。
やがて。
木の陰から、まだ若い女が駆け出してきた。
足がもつれ、草原に入るや前のめりに転ぶ。
続いてすぐ駆け出してきた男が二人、蹲る女に覆い被さっていく。
「こいつ、手こずらせやがって」
「もう逃げられねえぞ」
「やめ――助けて――」
必死に身をよじり、女はこちらへ向けて手を伸ばす。
それを押さえようと顔を上げ、男たちは少し離れて立つ子どもと黒装束に気づいたようだ。
「何だ、こいつ。けったいな態をしやがって」
「ガキじゃねえか。見せもんじゃねえ、引っ込んでろ」
罵声を受け、クートは小さく嘆息した。
女は農家の若妻らしい、いかにも農作業中といった身なり。
男たちは伸ばし放題の髭に日焼けと垢で汚れた顔で、摩り切れた衣服の上に古びた革の防具を着け、剣らしいものを腰に帯びている。狩人か、兵士のなれの果てか、という外見だ。
「その女の人、何かしたの?」
「ガキにゃ関係ねえ、すっこんでろ」
正当な理由のある捕縛というわけではないらしい。
子どもは「たすけて、かあちゃをたすけて」とクートの腕を引く。
女は身をよじり、「逃げなさい、あんたたち」と泣き叫ぶ。
男たちは獲物を見つけた獣そのままに、女を押さえて目をぎらつかせている。
何とも、収拾のつかない混乱状況だ。
密かに、クートはもう一度嘆息した。
「何かしたんじゃないなら、その人放してあげたら?」
「何だと? うるせえ、このガキが」
「痛い目を見たくなけりゃ、失せやがれ!」
一人が女の腕を掴み、もう一人が立ち上がって腰の剣を抜いてみせる。
何かで汚れ曇り、いくつも刃こぼれが見えているが、一応真剣のようだ。
その先を突きつけられ、クートは子どもを後ろに押しやる。
「危ないよ、そんなの振り回しちゃ」
「うるせえ、失せねえなら血を見るぞ」
「そんなので脅さなくちゃならない、人に言えないことしてるんだ?」
「喧しい、すっこんでろ!」
剣を振り上げ、殺到。
クートは、子どもを脇に押し飛ばす。
たちまちその頭上に剣が振り下ろされ。
次の瞬間、その刃物は地面に転がった。
間髪を容れず、黒装束の身が屈み。
男の臑を、剣が払う。
「ギャアアアア――」
「何だ、どうした、お前?」
慌てて、女の脇にもう一人が立ち上がる。
斬りかかった男は、折れた足を抱えて草の上をのたうち回っていた。
「ギャアア――痛え――」
「何だ、どうしたってんだ」
もう一人の男がクートを睨みつけ、腰の剣を抜き払った。
息もつかせず、小柄な黒装束へと斬りかかる。
「てめえ、このガキが!」
次の瞬間――同じ光景が再現していた。
男の剣が地面に転がり、臑を撲たれ、地面に伏せのた打つ。
「ギャアアアア――」
それを気にする素振りもなく、クートは身を起こして短い剣を鞘に戻していた。
それから顔を上げ、蹲る女に目を向ける。
「あ、あの――」
「貴女、近くの村の人?」
「は、はい」
「村の人呼んできて、こいつら縛り上げるといい」
「え、え――はい。どうも、助かりました」
「じゃあ」
言い置いて振り向き、さっさと歩き出す。
目を丸くして起き上がり、女はそちらに手を伸ばす。
「あ、あの――お礼を――」
「放っといて」
「かあちゃーー」
振り向きもせず、離れていく。
背後では子どもが女に抱きつき、泣き出していた。
慌てて抱き上げ、女は林の方向へ駆け出す。
「ほんとに、ほんとにありがとうございました」
声を返さず、クートは街道の方へと戻る。
見ると、道端に長身の男が立っていた。黒っぽい長髪の美丈夫、ヨエルだ。
「やあ、ようやく追いついた」
「何か、用?」
「何だい、あの呻いている男たちは。人助け?」
「子どもに引っ張られていったら、巻き込まれただけ」
「何か悪さをしていたのか。あのままにしていていいのかい」
「足を折ったから、そう逃げられない」
「何と。まあ悪さしてた奴らなら、放っといていいか」
「うん」
「それにしてもあいつら、兵士崩れか何かか。二人あっさり片づけるなんて、クートが腕利きの狩人何人だかかをまとめて返り討ちにしたって話、まんざらガセでもなかったわけか」
「じゃあ」
言い置いて、クートはさっさと街道徒行に戻る。
草原の方を眺めていたヨエルは虚を衝かれた態で、慌てて向き直った。
「おい待てよ、一緒に行こう」
「え、嫌だけど」
「何でだよ。スヴェストルに戻るんだろう? 一人じゃ危ないぞ、道連れがいた方がいい」
「いらない」
「先輩の狩人としちゃ、放っとけない」
「迷惑。離れて」
「おい」




