1-18 咳込《せきこみ》
それからずっとイルヴァは、十日のうち七、八日程度の頻度でオヤラ村に通うことになった。
天気が悪い日と、五日に一度のパン配給日は外出できない。半月に一度程度は森と河原で、狩りとスープ作りを行う。
その間も指導された通り室内か草原で、一日二回の素振りと足運び練習を欠かさない。特に足運びは筋力強化をしないで行うことで、いい鍛錬になっている実感がある。
ひと月ほど経つと、イルヴァと女児二人も上下素振り百五十回、斜めと横の素振りを五十回ずつ、こなせるようになってきた。
ディーサとイネスは得意げにヤルモに誇ってみせている。
「やったやった」
「見てなさい、すぐにあんたたちを追い越してみせるんだから」
「はいはい、お前らは凄い」
稽古の後で子どもたちは、摺り足鬼ごっこという遊びを考案して楽しむようになった。足の裏を地面から上げないというルールで、鍛錬になるし年齢性別差が少なくなるのでみんなかなり納得している。
イルヴァもだいぶ往復に慣れたせいか体力がついたのか所要時間が短縮されてきたので、三十チール程度はこれに加わることができるようになっていた。
ここでの時間制限はほぼ筋力強化の持続の都合だけなので、あまり真剣に考える必要はない。一度帰りの途中で強化が解けたことがあったが、もう屋敷が小さく見える距離だったので再度強化することもなく歩き通した。かなり疲労はあったが鍛錬にもなったという気がする。
八人で鬼ごっこをしていると、ただ一人座っているサイアが不機嫌そうに眺めている。
近くにいたヤルモに、イルヴァは尋ねかけた。
「サイアもできる遊び、にした方がいいんじゃないの?」
「そう言ったんだけどな。あいつ、いいって言うんだ」
「そうなの?」
「頭がいいし物知りで、ふだんは気のいい奴なんだけどさ。運動のときは機嫌悪くなるんだよな。それでいて、特別扱いみたいなのは嫌がるし」
「ふうん」
まあとにかくも、イルヴァが気を回してどうなるという問題ではない、と思う。
一方、屋敷の方は不思議なほど変化がない。
天気の悪い日は、休憩時間の女たちの盗み聞きと執務室の探索を行う。
この時間執事は執務室を離れて休む習慣にしたようで、二階にいることが多くなっている。
執務室から文書を無断借用したり、その場で書類を読んだりがかなりできるようになった。
書類などは単なる数字の羅列が多く、当然ながら子どもにとって面白い文書ではないが、不思議なことにある程度読んで理解ができる。例の『知識』のせいで理解度も向上しているのか。
以前女たちが噂していたように、この子爵領の農作物の収穫は侯爵領全体の平均より低いことが読みとれる。
さらにその中で、興味深いことが分かった。隣のオヤラ村は、厳密にキュマライネン伯爵領内という扱いではないという。
かなり特殊だが、キュマライネン伯爵領とケミライネン子爵領の両方に所属していることになるらしい。
どうも父がヒュヴァリネン侯爵家の家臣として子爵の地位を授かり領地を分け与えられた際、提示された地域だけでは子爵領としてやや不足していたため、キュマライネン伯爵にオヤラ村を譲るように打診がされた。伯爵家の者である母の輿入れに伴う叙爵なのでそれも妥当な線と思われたが、伯爵は当面それを保留する希望を出した。
つまり、自分の血筋の者が子爵となるのなら領地を分割するのも受け入れるが、今のところはまだ信用が置けないということだろう。母の血を引く子どもが爵位を継いだ際に正式に村を譲るので、それまでは共同統治という扱いにする、ということらしい。
徴収する税は変わらないが、それを半分ずつ伯爵と子爵が受け取ることになっているとのこと。
――なかなかにややこしい話だよね。
直球ド真ん中で自分に関わる話なわけだが、どうにも実感が伴わない。頭の隅にだけ、入れておくことにする。
またその後も、女たちのお喋りにあまり変化はない。
子爵領でのささやかな祭りも終わり、あとは冬支度を進めるばかり。あまり心浮き立つ話題もないようだ。
そんなある日。妙なことに気がついた。
――え、あれ?
家人の所在を示す魔力の点が、五個少ない。
ひと月に一度程度、義母が領都へ出かけたため侍女と護衛を合わせて四人が不在ということは定期的にあったわけだが。今回はどうも、義兄も家を離れているようだ。
そしてその不在が、何日経ってもそのまま続いている。
使用人たちの噂を集めると、どうも義母と義兄は冬期間領都に移住することにしたようだ。冬場のこちら領地のことは、執事だけで回せるということだろう。
これが冬期間だけのことなのか、ずっと続くのかは分からない。
一方で、イルヴァへの扱いはまったく変わらない。五日に一度パンが運ばれ、あとは完全な放置。このサイクルが機械的に続く。
――もしかするとこれは、朗報なのかもしれないね。
義母がいない間、この扱いに変更は加わらないと思っていいんじゃないか。ある日突然こちらに関心を向けて義娘の状態を確認しに来る、などという可能性がほぼなくなったと言えそうだ。
以前から続けていた領都での社交に関心が向きっ放しで、こちらを忘れ去ってくれているとしたらありがたい話だ。
その辺確信が持てるものでもないし、確かめるすべもないけれど。まあイルヴァとしては、このまま最近の習慣を続けていってよさそうだ。
十日のうち七、八日程度は、オヤラ村に通う。
季節はかなり冬へと変わり、風は冷たくなっているけれど。この地方の気候として年間を通し、それ以上雪が積もって移動できなくなるなどの心配はまずない。
頬を赤くし息を白くして、片道五グターの道のりを駆け続ける。
オヤラ村の子どもたちも、変わらず元気いっぱいだ。――約一名を除いて。
「九十八、九十九、百!」
「わーい、やった!」
「うん」
三人揃って横素振りを百回完遂し、掌を打ち合わせて喜び合う。
まだ上下と斜めは男児たちより五十回ずつ少ないが、休憩を入れた後この最後の種目だけ達成したという形だ。
「うん、よくやったな」
「凄いぞ、お前ら」
「へへへ」
指導者や年長者たちからも称賛を受け、この日の稽古を終える。
いい気分で木剣を袋に戻していると、たまたま近くに座ったままのサイアが剣を胸に抱えていた。
何の気なしに、そちらに手を伸ばす。
「剣、片づけようか?」
「いい!」
「そう」
「構わないでくれ!」
何気ない程度の親切心だったのだが。思いがけないほどの拒絶を受けてしまった。
それ以上お節介のつもりもなく、他の子どもたちの方へ向かおうと立ち上がる。
「年下のくせに――」
「え?」
「なま――ゲ、ゲホゲホゲホ――」
「え、え、どうしたの?」
かけられた言葉以上に、続く相手の変化に驚いていた。
真っ白い顔の少年は突然咳き込み、胸を押さえて蹲ってしまっている。
「ゲホゲホゲホゲホ――」
「いったいどう――師匠、せんせい!」
「おお!」
呼ぶまでもなく、リクハルドはすぐ駆け寄ってきていた。
少年の脇に屈み込み、背中を摩り出す。
「ゲホゲホゲホゲホ――」
「大丈夫だ、サイア、落ち着け」
何度も背を摩られ、少年の咳き込みは収まってきたようだ。
なすすべもなく立ちつくしていると、ヤルモが横に寄ってきた。
「ニーロは気にしなくていいぞ。最近落ち着いてきてたけど、いつものことなんだ」
「そうなの?」
「原因不明の病気だってんだけど、胸になんか悪いものがいるみたいなんだって」
「そう」
やがて咳も落ち着いたようで、サイアはリクハルドに抱えられるようにして家の中に入っていく。
この日はそれ以上遊びに興じるつもりにもなれず、イルヴァは村を後にした。




