2-13 到着
「何だって、赤毛山猫?」
「あり得ないぞ、そんな大物が街道に現れるなど」
「いやしかし、現実だ」
次の町には、領の境界間際なので数十名の領兵が駐在している。
一行が到着してこの日の被害を報告すると、たちまち驚愕の目を剥かれた。
それでも証拠として運んできた山猫の牙を見せると、首を捻りながらも納得するしかない。
「これが事実だとすると、街道の通行に警戒を出すべきだろうな」
「確とは言えないが、何者かの企みという可能性もある。もしかすると隣の領の者かもしれない。領の出入りを警戒することはできないだろうか」
崖上から落とされた兎肉の件を話して会長が説明すると、領兵の隊長は顔をしかめて頷いた。
「うむ。こちらの人員も限られるが、その可能性があるとするなら捨て置くわけにもいかんな。領境近くの街道周辺に兵を派遣しよう」
「頼みます」
タハヴォネン侯爵領とスオヴァネン侯爵領の関係は良好と言える現状でないが、このスヴェストルとエテラヴオリを結ぶ街道はどちらの領にとっても経済的に重要な動脈だ。通常を上回る危険な魔獣が出没するなどということなら、放置するわけにいかない。
ましてやこれが隣の領の人間の関与による可能性があるというなら、それを見落とすなどしたら駐留兵が大きな責任を負うことになる。彼らにとって死活問題とも言えるだろう。
この日、オラヴィ商会の一行はこの町に一泊することになる。
一夜明けて出発準備をしていると、領兵隊長から報告があった。
夜半、街道を逸れた山中を越境しようとしている集団を捕縛した。隣領の領都エテラヴオリで商会に雇われた破落戸らしいという。
「まだ詳細は分からないが、どうも兎肉とある樹液を使って赤毛山猫を誘導する方法が見つかったらしい。それで、あんたたちの通行を狙って襲いかからせたということらしいな」
「何と」
「破落戸に依頼した商会は複数らしいが、その辺り詳細に白状させて、うちの領主様から隣の領へ厳重な抗議を送ることにしたい」
「その商会たちの目的はうちの娘の輿入れを妨害したいということだと思うが、この婚儀によるこちらの商会の縁結びについてはあちらの領にとっても利益があるということで、領主様も歓迎していると聞いている。その破落戸に依頼した競合商会の名前が明らかになれば、あちらでも手厳しく裁定されると思う」
「うむ。そういう情報込みで、こちらも報告を上げておく」
「頼みます」
出立した一行は、この日のうちに領の境界を越える。スオヴァネン侯爵領の最初の町で宿泊し朝を迎えると、ここでも領の役人が宿を訪ねてきていた。
前日のうちに鳥形の魔獣を使った鳥便による連絡が双方の領内、領同士の間に行き交い、今回の件の情報伝達がされたらしい。スオヴァネン侯爵領では、自領の者が領の利益に繋がるはずの婚儀を妨害しようと、あろうことか幹線交通に支障をもたらす暴挙を企んだらしいということを重く見、この役人と十名ほどの兵を派遣してきたという。あと一日の領都までの旅程を、領兵で護衛するという申し出だ。
この日の夕方には目的地に到着の予定で、ほとんどとってつけた気休めのような警護とも言えそうだが、領主の意思を表す周囲への誇示の意味もあるようだ。
そういった意図をくみ取って、エーリク会長はにこやかに応じている。
「それは真にありがたいことでございます」
「うむ。旅程は最後まで気を抜かないようにな」
商会側三名とクート、牛車を領兵たちで囲み、その前後を従来通り狩人たちが警護する態勢で出発する。
ほとんど平地の草原ばかりが続く中のふだんからほとんど危険のない道行きで、当然のように何事もなく一行はその日のうちに領都エテラヴオリに入った。
結局目的の娘の嫁ぎ先である商会の前まで、領兵たちは同道してきた。そこで正式に無事を確認して、役人と兵たちは立ち去っていく。
商会の関係者に歓迎を受けて、会長を先頭に奥に入る。主人と簡単に挨拶を交わし、何よりも先に、とエーリクは用意された部屋に牛車の荷物を運び込ませた。
その後、職員二名とクート以外の者を立ち退かせ、ひと息つく。
「それではクートさん、お願いします」
「うん」
三人の緊張した目が見守る中。
たちまちのうちに、部屋の中央には純白の火焔鳥像が鎮座していた。
会長も、運び込んだ木箱を形ばかり開いていた職員たちも、一瞬息を呑む。
そうしてから、一同の口から深々とした吐息が漏れ落ちた。
「無事だ、よかった……」
「ありがたいことです」
「クートさん、本当にありがとうございました」
先日の山猫魔獣の襲撃などを思い返すと、肚の底から安堵の思いしか湧いてこない。命が助かったという事実はもちろん、この家宝を実際木箱で運んでいたとしたら、あのときの荷車の転倒で破損は免れなかったはずなのだ。
そんな晴れ晴れとした笑顔に対して、小さな黒装束はあっさりと何事もなかったかのような声を返す。
「じゃあこれで、任務終了だね」
「はい、ご苦労様でした」
他の護衛たちは翌日こちらの魔狩人協会に依頼完了の報告をして報酬を受け取るのだが、クートにはこの場で会長から直接手渡される。標準との乖離が大きすぎて、協会が管理しきれないことになっているのだ。
かなり遅く町に入ったことになり、護衛たちはこの夜近くの安宿に一泊することになった。
一夜明け陽が昇って間もなく、クートはヘンリッキを訪ねた。
「じゃあ、僕は先に一人で帰るから」
「何だおい、みんなと一緒に帰るんじゃないのか? 往路でよく分かっているだろう、六日かかる行程で野宿もある、あんな魔獣がまた出るかもしれん、一人じゃ身を守るのもたいへんだぞ」
「大丈夫」
「大丈夫って、おい――」
「何があっても、自分の責任」
「おい」
「じゃあ」
旅支度の済んでいる黒装束は、さっさと歩き出していた。
リーダーとして協会への手続きをしなければならないヘンリッキは、それを追うこともできない。街道へ向けて小さくなっていく後ろ姿を見送るだけだ。
「何だって、一人で先に帰った?」
「ああ、そういうことだ」
仲間たちにヘンリッキが説明すると、ヨエルが素っ頓狂な声を上げた。
「待てよ。よっぽど旅慣れた腕利きならともかく、あんな小僧が一人で歩き通せる旅程じゃないだろう」
「言ったんだが、聞かん。魔狩人は個人の仕事なんだから、最終的には自己責任だ」
「あんな明らかに幼い奴、そんな常識で語れねえだろう」
「そうは言ってもなあ」
「俺が一人でも跡を追う。俺の分の手続き、頼むわ」
「それは構わんが」
「じゃあ、頼んだ」
手早く支度をして、優男は宿を飛び出していった。
一ゲール(時間)近くも差がついてしまっているが、あの歩幅の小ささなら間もなく追いつけるだろうという算段だ。
そこそこ人通りのある街道を辿り、領都を出る。
旅慣れた長身の足どりは、確実に先行者との差を縮めているはずだ。
ぽつぽつと見えていた旅行者の姿も減り、やがて草原を貫く一本道の先に人影は失せている。前方に目を凝らしながら、ヨエルはますます足を速めていく。




