1-15 隣村
両脚に筋力強化をかけて、背負い袋を装備。
窓から抜け出し、地面に降り立つ。
そのまま、迷いなく走り出す。
いつもの森の方向よりやや西向き、少し進むと細い街道に出る。このまま一本道で五グターほど進むと、隣接するキュマライネン伯爵領端の農村オヤラに着くはずだ。
最近練習した走る速度で、一ゲールかかるかどうかじゃないかと思われる。
道は森の間や草原を抜け、ほとんど真っ直ぐ続いている。
何とも単調、のどかな風景だ。
気配察知を続ける限り、近づいてくる獣などはないようだ。
人の通行も、まったくない。子爵邸付近もこれから向かう村も特に何か買い物などができるということもなく、ふだんから往き来は少ない。特別な用事のある者以外では、厨房の下働きに通う女二人が毎日往復しているだけのはずだ。
かなり進んでも、子爵邸近くの教会の鐘は聞こえた。正午が過ぎるところだ。
体感でやっぱり一ゲール程度経ったかと思われる頃、道の先に畑、その向こうに家並みが見え出した。
それらの眺望が少し隠れる木立にさしかかったところで、脚を緩める。
――うん思った通り、疲れはほとんどないね。
筋力は本来の二倍近くになっていると思われるけど、元が弱いのでおそらくふつうの子どもとどっこい程度だ。
それよりこの筋力強化のありがたさは、ほとんど疲労が溜まらないことだった。何もなしに一ゲール走り続けたらもう動けなくなりそうなところ、今のイルヴァにはほとんど体力変化が感じられない。
頷いて、立ち止まり。
収納から麻袋を取り出し、その中に血抜きだけ済ませた森兎一羽を入れる。
それをよっこら抱え、あと数百ガター。
とことこ歩いて、イルヴァは村に入った。
周囲の畑で動く人影はいくつも見えるけれど、点在する家の周りは静かだ。
見回すと、赤ん坊を背負った若い女が家から出てきた。
見慣れない顔に、女は戸惑いの表情を浮かべる。
「あ、済み、ません」
「おや何だい、見かけない子だね。何処から来たのさ」
「あ、あっち」
「あっちだと、ケミライネン子爵領の村かい」
「うん」
「へええ、子爵領からこんな子ども一人でかい。で、何の用だい」
「村長の家、何処か――」
「村長ん家なら、そっち左の奥だよ」
「そう、ありがとう」
快活に笑って見せ、頭を下げる。
何だか思ったよりも、言葉が流暢に出てこない。考えてみると母が死んでから一年程度、まともに人と会話していないのだ。
教えられた少し他より大きめの平家に向かうと、その向こうから賑やかな声が聞こえてきた。どうも、子どもが何人も集まっているようだ。
――聞いた通りだね。
頷いて、そちらに回る。
少し開けた広場に十人ほどの子どもが動き回り、その前に若い長身の男が立つ。その後ろ、家の軒下近くの木椅子に初老の小柄な男が腰かけている。
その腰かけた男に、イルヴァは近寄っていく。
「す、んません、村長さん、すか」
「おう、そうだ。見かけん子どもだな、何だ?」
「俺、あっち、子爵領、から来た、ニーロっていう」
「へええ、隣の領から、一人でかい。何の用だ」
「剣の稽古、やってる、聞いたから、俺も入れてもらえんか、思って」
「ほう」
話が聞こえたようで、少し離れた若い男が振り返った。
子どもたちへの指示が済んだようで、数えると八人が広場で駆け足を始めている。
「教えてもらえるならこれ、お礼にって。父ちゃんが狩った、森兎だ」
「ほおお。弓の達者な者でねえと狩れないもんだがな。親父は狩人か?」
「そんなもんだ」
「別にそんな、礼をもらって教えてるんじゃないんだがな」
若い男が苦笑いして、寄ってくる。服装はそこらの農民と変わらないが腰に剣を下げている、噂通り騎士のように見える格好だ。
ついでにこれもまた女たちの噂の通り、何とも人目を惹く美丈夫だ。
「騎士様か?」
「ああ、今は違うがな」
「ここで世話になってる、礼に子ども、稽古つけてる、聞いた。俺は、この村の者じゃねえから、お礼、持ってきた」
「そうか、律儀なこった」
「まあ問題ねえか。リクハルドさん、面倒見てやれるかい」
「俺は、一人ぐらい増えてもかまわないが」
「じゃあ、せっかく来たんだから入れてやってくれ。ニーロって言ったか、これから毎日通ってくるつもりか?」
「天気とか、家の手伝いとか、あるから、毎日、ならんかもしれないけど、できるだけ来る」
「分かった」
「じゃあ、あいつらもうすぐ走り込みが終わるところだから、その後から中に入れ」
「うん。俺ずっと、走ってきたから、走り込み、要らんと思う」
「そうみたいだな」
リクハルドと呼ばれた男は、子どもたちを見守る位置に戻っていく。
その横に、イルヴァは並んでいった。
「ニーロ、お前は何歳だ」
「七歳」
「そうか。しかし剣の稽古って言っても、本格的なことは教えないぞ。ここでの目的はまず身体を鍛えることだ」
「それで、いい。剣、真似事くらい、できれば」
「そうか。単調な運動だからな。飽きが来て面白くないってことになるかもしれんぞ」
「平気だ」
広場を走っている子どもたちは、五歳から十歳くらいといった年齢に見える。男の子の中に、長いスカートの女の子が二人交じっているようだ。
どの子も快活そうに笑いながら走っているが、一人だけ男の子が足どり遅く、どうも他の子より周回遅れているみたいだ。
一周回って近づいてくる子どもたちに、リクハルドは声をかけた。
「よーし、走りはやめ。こっちに集まれ!」
「おう!」
「いつもの素振りに移るがその前に――こいつは今日から仲間に入る、隣村から来たニーロだ。仲よくしてやってくれ」
「あ、よろしく」
「おう!」
先頭の最年長らしい男の子の声に、面白いほど全員唱和している。
もっとも、最後尾に寄ってきた遅れていた男の子はまだ息を弾ませ、声が出ていないようだ。
脇に用意されていた箱に何本も立てられた木剣を、それぞれ握り出している。
最年長の少年が、その一本をイルヴァに差し出す。
「ほらニーロ、これを使え。俺はヤルモだ」
「ありがとう。これ、借りていいのか?」
「おう。魔獣退治に村のみんなで使う用で、今の人数分より多くある」
「じゃ、ありがたく、借りる」
「おう」
木剣は何本もある中で、軽めのものを貸してくれたようだ。
並んだ八人と比べてイルヴァはほとんど最低身長に見えるので、そうした配慮だろう。
合わせて九人の子どもが騎士に向かって横に並び、木剣を両手に握る。
「じゃあ、上下素振り五十回。一回ごとに、腹に力を込めろ」
「おう!」
一、二、三、と全員で声を合わせ、頭の上から剣を振り下ろす。
腕に筋力強化をかけていないイルヴァには、なかなか負担のかかる運動だ。
腕に関してはへたに強化していると鍛錬にならないと思うので、そのままだ。一方脚の方はずっと走ってきた後も制限時間内で強化が続いているということもあるが、これがないとイルヴァの基礎体力ではこの稽古に参加することも適わないという気がする。
「ほらほら、もっと腹に力を入れろ」
五十回素振りの後は少しの休憩を入れ、また同じ素振りをくり返す。とにかく最初はこの運動だけの反復で、まず体幹をしっかりさせる目的だそうだ。




