1-13 最大
結局、鍋二つ分の肉野菜汁を収納。
さらにもう一回、鍋一杯の熱湯を沸かした。
その間ひっきりなしに、薄切り肉を焼く作業も続ける。
できたものをすべて収納し、屋敷に帰ることにする。
三ゲールを超過して脚の筋力強化が解けたので、収納で荷物がないとは言えそこそこきつい歩きになった。
窓から部屋に戻り、格子を元に戻す。
何とも久しぶりの外歩きで、かなりの疲労を感じる。
それでも。
――今やるべきことは、やったよね。
予定していた目標を達成して、心は満たされている。
こうしたことはずっとやってみたいと思っていたのだけど、部屋の中で火を使うわけにいかずできなかったのだ。
これで、相当量の焼肉と具入りスープ、熱湯を所蔵することができた。
毎夜のパン入手だけ続けていれば、しばらくは食料に困らないだろう。イルヴァの食べられる量からすると、今日仕込んだスープだけでもひと月くらい保つのではないか。
また、想像だけしていた熱湯を浴びせる狩りの方法が、可能だと分かった。兎や鼠なら今日のように狩ることができるだろう。もっと大きな鹿や猪などでも、何なら熊でも、熱湯の量を増やせば可能なんじゃないか。
最終的に3・2ガター立方の収納空間を持つことができる予定だが、それ一杯の量のグラグラ沸騰する熱湯を浴びせられて生き延びる獣はどれだけいるだろうか。
――やろうと思えば、人間だって殺せるよなあ、きっと。今家の人をみんな殺しても後がたいへんそうだから、やらないけどさ。
翌日からイルヴァの食事は、パンと焼肉、具入りスープという献立になった。やはり小食に慣れてしまった胃は多くを受け付けないけれど、ゆっくり噛んで流し込む分には身体に取り込むことができている。
当然ながら、以前より格段に身になっている感覚だ。
それから三日。拡大を始めた2番空間は、80セター立方→1・6ガター立方→3・2ガター立方と進化を遂げ、最終形態に達した。
覗いてみることはできないので正確な大きさを実感できないけれど、周辺の思いつく限りのものを余裕で収納できる。
今いる部屋の中より大きいのだから、当然と言えば当然の話だ。
――やったね。とうとう、やったね。
これで、空間加護の魔法使い、と誰にも胸を張って言えそうだ。
これからのことを考えて、そんなことはしないけど。
六日以上前のことを思うと願ってもいない力を手に入れたことになるけれど、イルヴァの当面の目標は変わらない。
将来的にこの家を出ることを目指して、その準備を整えていく。
この最終形態収納空間で、必要荷物の運搬はかなり現実的になった。衣類などは物置から調達できそうだ。
筋力強化と気配察知で、遠出をすることにも現実味が出てきた。
この世界、人間を遠くに運ぶ乗物などはほぼ存在しない。
この家を出て知らない場所まで移動しようとしたら、原則徒歩移動しかない。径路によっては、魔獣や盗賊などに対する警戒が不可欠となる。
そういったことが、これらの魔法を身に着けたことで夢物語ではなくなってきた。
ただ、まだまだ用心して準備しておかなければならない。
筋力強化を使わないイルヴァはおそらく、同年代に比べてもかなりひ弱だ。ここは改善しておくべきだ。
また、身寄りもない七歳児が新天地で生きていくには、困難が多すぎるだろう。話に聞く限り、町などでいろいろな仕事の見習いにつくことができるのは、およそ十歳以上からだとか。
せめてその年齢に達するか、外見上その年齢を装うかができなければ、現実難しいだろう。十歳になっていたとしても、そう簡単に生活基盤を作れるとは思えない。
――その辺りもっと情報を集めて、焦らず準備を整えていくべき、だね。
一日前から、魔力値は9になっている。
新たに空間の拡大を行いながら、1つずつ最小空間の数を増やしていく。
毎夜、厨房からパンの調達だけは日課として続ける。
そうしながら、時おりまた昼間休憩時間の盗み聞きを継続することにした。
とにかく、情報はいくらでも集めておきたい。
生活が落ち着いてくると改めて気になるのは、義母たちが今後どうするつもりなのか、ということだ。
イルヴァの食事が五日に一回パン一個、という形になってから、二月以上が過ぎている。もういい加減衰弱し動けなくなっていないか、などと進捗が気になってくる頃なんじゃないか。
パンを運んでくる女の前では弱ったふりを見せているわけで、その報告を受けているだろうだけど、そろそろそれだけでは満足しなくなるんじゃないか。
別の手を打ってくるなら、できるだけそれに備えておきたい。
――とにかく、情報収集だね。
もしかすると義母と執事でそういうことに関する相談をする機会もあるかもしれないけど、おそらくそれは休憩時間じゃないだろう。
休憩時以外に人のいる部屋に近づくのは、危険だ。
ということでやはり、女たちの休憩する食堂を狙うしかない。
そんな諜報を数回重ねて、いくつか新しい情報を得ることができた。
最も大きいのは、義母の近況だ。
――これはおそらく、朗報だ。
もうしばらく、義母からイルヴァの扱いに関する新たな指示は出ていないという。
代わりにと言うか。義母には新しい関心事ができている。
領都で頻繁に開催される、侯爵配下貴族の夫人たちの交流会だという。どうもそれに参加するためにこの数ヶ月、月に一回以上の頻度で領都に出向いているらしい。
この子爵邸から領都まで、徒歩で二日程度の距離だが。ミーマという四つ足動物に騎乗して小走りさせると、早朝出立してその日のうちに到着する。持久力に劣るミーマの、ほぼ限界走行距離という話だ。
義母は侍女一人と護衛二人を連れてそれぞれそのミーマ乗りの形で、領都までたいてい二泊三日の行程をこなしているとのこと。この街道は比較的安全で、この態勢で十分ということらしい。
もちろん向こうでは、父の領都邸に宿泊するのだろう。
その行事参加が頻繁となって、最近かなり義母の機嫌はいいらしい。おいしい食事をしたとか流行最先端の服を見せてもらったとか、使用人たちにもご機嫌で話しているとか。
――それでこっちへの関心が薄れるなら、ありがたい、か?
イルヴァを亡きものにして息子を子爵後継に立てたいというのが義母の願望と思われるが、その実現は今のところそれほど急ぐものではない。
貴族の後継者擁立はふつう、子どもが仮成人する十二歳の時点に行われる。
アールネは今八歳のはずだから、あと四年のうちに事をなせばいい、ということになる。
もちろん早いに越したことはないだろうけど、イルヴァの病死の形を作りたい義母にとって、急いては事をし損じるという思いがあるだろう。
別の関心事があるなら、当面あまりこちらに執着しないということは考えられる。
――これを幸い、今のうちにできることをする。
そう、思いを巡らせる。
またもう一つ、情報がある。
以前にも、その一端が出されていたことではあるけど。
ここに隣接するキュマライネン伯爵領端の農村にしばらく前から住みついているという、国の騎士団にいたという男前の件だ。
オヤラというその村はこの屋敷から五グター、つまり五千ガターほどの距離で、厨房の下働き女が二人、そこから通ってきている。
隣の領の村ということになるが近くに大きな町などはなく、このケミライネン子爵邸が最も近場の稼ぎ先ということになるらしい。
その村長の家に、小さな子どもを連れた件の男が住むようになった。子どもは男の実子ではないようで、どうも身分が高いらしいと噂されている。
その辺の詳細はともかく、近々の新しい情報として、その男が村の子どもたちに剣の稽古をつけるようになったという。秋の収穫期を過ぎて、手伝いから解放されて体力を持て余す農家の子どもたちの退屈しのぎがもっぱらの目的らしい。
「あたしたちはめったに見られないけど、その騎士様の剣を振る姿、目の保養らしいよお」
「そうなのお。一度見てみたいねえ」
「ねえ」
中年女の話に、若い娘たちもキャッキャと盛り上がっていた。




