1-12 狩猟
――よおし、出発!
窓枠を潜り出て、地面に飛び降りる。衰弱した身体で心配があったのだけれど、筋力強化した脚は難なく着地を受け止めた。
一応周囲を見回し、走り出す。
向かうは、やや裏手方向の森だ。
強化した脚に無理はなく、数ヶ月ぶりの外で駆け足ができる。速さとしてはふつうの子どもと変わらないだろうけど、とにかく脚に力を込められるのが嬉しい、
森を少し抜けると草原が広がる。少し右方向に川が流れ、突き当たった左方向、上流側すぐにさらに深い森が広がっている。
今日の予定は、その河原と森の浅い部分だ。
草原で立ち止まり、イルヴァは深々と息を吸い込む。
――いい気持ち。空気がおいしいよ。
あまり時間を無駄にできないので、森の近くまで寄り木の枝を拾う。
河原に運び、石を積み上げ竈を作る。こんなものを作った経験はないけれど、『知識』の伝えてくるものに頼って見様見真似だ。
運んできた鍋を載せて、下に枝を積む。
木の枝から水分を収納し、カラカラにすることができた。火の基礎魔法で、何とか着火できる。
鍋いっぱいに水を入れ、湯を沸かすのだ。
しばらくは、時間を潰す。追加の木の枝拾い、川の水汲みなどを行う。川からは純粋に水だけを収納するので、飲むこともできるはずだ。
やがて、湯が沸いた。グラグラに沸騰したそれを収納すると、新しい10セター立方空間三個分になった。
鍋にまた水を入れ、薪も足して湯沸しを続ける。今度はそれに、クズ野菜をごっそり入れておく。
その沸騰を待つ時間、少し森に入ろうと思う。
――初めての、冒険だね。
かなり意気揚々と、足を運ぶ。筋力強化が続いていて、足どりは元気いっぱいだ。
もっとも、危険なほど深く入るつもりはない。
ずっと周囲の安全確認のため気配察知を続けているが、それを森に向けるといくつか小さなものの動きが分かった。
比較的近いその一つに、用心しながら近づいていく。
木の幹に身を隠して、そっと覗くと。
――いた!
下草に半ば埋もれて顔を突き出している焦茶色の動物は、森兎だ。森の中では小さな方の獣だというが、イルヴァの腰ほどの高さがある。
聞いた知識では、そこそこ気が荒く賢いそうだ。
強い獣や剣や弓などの武器を持つ人間を見ると、素速く距離をとって近づかない。一方弱い獣や手ぶらの人間を見ると、たちまち襲いかかってくる。本来は草食だが、場合によって獣に噛みついて食う場合もあるのだとか。
――ということは……。
今、イルヴァの隠れた木と兎の間は、十ガターほどの距離だ。
がさ。
木の陰から、イルヴァが姿を現すと。
ピクン、と兎は長い耳を立てた。
イルヴァが一歩近寄ると、開いた口に大きな牙を覗かせ威嚇する様子になる。
もう一歩、近づくと。ぐいと身を低くし、すぐに駆け出す姿勢。武器を持たない小さなイルヴァに向かって、突進を決めたようだ。
――今だ!
そのすぐ頭の上に、イルヴァは取り出し操作をした。
さっき収納した、10セター立方大の熱湯だ。
頭からいきなり、グラグラ沸騰している熱湯を浴びて、
キァァァーーーー!
兎の口に、鋭い悲鳴が上がる。
ゴロゴロバタバタ、地面を転がり。少しずつその動きが、弱々しくなってくる。
やがて、ビクビクという痙攣も止まった。
用心しながら、イルヴァはその脇に近寄る。
ほぼ動きが消えていることを確かめ、その首にナイフを当てた。
獣の命を絶つのは、初めてだ。何とも言えない戦きが、胃の底から湧いてくる。
しかし、そんなことでためらっていられない。自分の命が延らえられるかどうかが、これにかかっているのだ。
なんとか最低限のパンを手に入れることができるようになったとは言え、人はおそらくそれだけでは生きていけない。特に小さな子どもにとって、別の栄養が必要なはずだ。
――悪いけど、犠牲になってもらうよ。
思い切って。ナイフを走らせると、兎の首から赤い血が噴き上がった。
詳しくは分からないけれど。早いうちに血は出してしまった方がいいらしい。後ろ脚を手に持ってできるだけ持ち上げ、しばらく待つ。
持ち上げたとは言っても、頭部が地面を離れる形で固定するまでの腕力はないので、十分ではないかもしれない。
それでも出血がほぼ止まるのを待って、その処置は終わりにすることにした。
兎は大きく、拡大した空間でも収納できない。
このままで持ち上げることは難しいが、腕に筋力強化をするまで魔力値を使いたくないので、妥協することにする。
足を握って獣の頭部をずるずる引きずり、河原まで移動する。
火を点けたままにしていた竈を覗くと。
――あちゃ――失敗したか。
沸騰した湯が噴きこぼれたらしく、下の火は消えていた。とりあえず、鍋の中はぐつぐつ煮え続けている。
薪の被った水分を消し、改めて火魔法で点火する。
そうしてから水辺に寄って、焦茶色の毛皮にナイフを入れる。
解体の仕方など、分からない。とにかく肉の食べられそうな部分を残して、皮や骨やその他要らない部分を切りとっていくだけだ。
かなりぐちゃぐちゃと形のなくなった部分の肉は、石の上でさらに食べやすい大きさに切り分ける。汚れを収納で除き、入るだけ鍋の中に放り込む。
ある程度形の残っている肉の塊は、ナイフの切れ味の許す限り薄く切り分けていく。それらを木の枝に刺し、竈の火にかざす。
焼いているその肉と鍋の汁に塩で味つけをすると、何とも食欲をそそる匂いが立ち昇ってきた。
薄切りにした焼き肉はもう大丈夫だろう、と見当をつけて齧りつく。
「う――うまい――」
思わず、貴族子女に相応しくない感嘆を口にしてしまう。
こんな料理とも言えない野趣溢れる調理に、「おいしい」というより「うまい」いう表現が似つかわしい。
そもそも貴族の食生活に照らして、とても美味と呼べるような味ではないのだ。焼き具合は場所によりまちまちで、硬いのと生焼けすれすれのが混じっている。振りかけた塩はところどころに固まって、無味と塩っ辛さが混在する。
それでもイルヴァにとって、数ヶ月ぶりに口にする肉は感激の他なかった。噛むたびに溢れる肉汁が、命の基を呼び起こすとでもいうような。
「うう……おいしいよお……」
焼肉二枚を平らげ、鍋でぐつぐつ煮上がる汁を小鉢によそって口に運ぶ。
こちらからは、とろとろに柔らかくなった野菜を多く腹に入れることにする。
長く続いた絶食すれすれの生活で、イルヴァの胃は多くのものを受け付けなくなっている。それでもバランスを考えて、できるだけ野菜も取り入れたいと思うのだ。
クズ野菜は皮や芯の部分がほとんどだけど、長時間煮込んだことでかなり柔らかく、食べやすくなっていた。
肉野菜ともにとても貴族の食卓に上る材料、調理ではない。しかしそれでも、必要な栄養は摂れるものと信じたい。
「ふう……」
すぐに、イルヴァの腹はもう限界を伝えてくる。
鍋の中も焼いている肉も、まだ大量に残っている。それらをすべて、10セター立方空間に入るだけ、分けて入れていく。空間の一つ一つは小さくても、すでに個数は十分に確保しているのだ。汁物と焼肉、それぞれ空間三個ずつに収納できた。
それでも、肉も野菜屑もまだ残っている。
空にした鍋に水を入れ、肉の塊を切り分けて串に刺し、再び同じ調理を始めることにした。




