2-9 一行
商会長の目が丸められ、ぽかんと口が半開きになっている。
そのまま、胸の前で両掌を振って。
「いやいやいや、そんなことには決してならないから」
「危険には、近づかない」
「いやいやいやいや」
恰幅のいい男は、両手で頭を抱えてしまった。
「信じてもらえないだろうか。とにかく万難を排してもお願いしたいのだ。決して貴方には不利益にならないようにする。何でも要望は聞く」
「…………」
「貴方に窃盗の疑いをかけるなど、決してあり得ない。そう――そうだ、その旨、誓約書を書いてもいい」
「誓約書?」
「そう、この彫刻に関して、クートさんに盗みの疑いをかけることは決してない、と。商人の間で正式に成立する誓約だ」
「ああ、商人の間で取り交わした誓約は、もし違えたらすべての信用を失うと言いますね」
「そう」
ヨウシアの相槌に、商会長は真剣な顔で頷き返す。
そうして身を乗り出し、黒覆面を覗き込まんばかりにして、
「この場合こちらの副協会長ヨウシアさんに証人になってもらえば、正式に誓約書は成立する。それで納得してもらえないか」
「ありえないでしょ、それ」
「え?」
「そんな誓約作ってしまったら、預かったその品を僕が引き渡さなくても何もできないことになってしまう」
「そこは、貴方を信用させてもらいます」
「いやいや」
「いや、本気なのです。失礼だが、貴方のことは事前に少しばかり調べさせてもらった。まあかなりの部分秘密に包まれていることは分かったが、人目についている限りで。さっきご自分でも言っていたが、その魔法袋を使えばいろいろ違法に利益を得ることが容易にできてしまうのは明らかなのに、貴方は一切そのようなことをしていない。信用に値すると判断している」
「はあ……」
「正直言ってしまえば、その彫刻を貴方が個人所有しても仕方ないだろうし、何処かで売り払ったという事実が判明したらさすがに国の法で裁かれることになる。つまり貴方がうちの商会やこちらの協会からの信用を危うくする覚悟で彫刻を盗む動機は、まずあり得ないわけで」
「まあ……そうだね」
「何度もくり返しになるが、貴方には決して不利益にならないようにするし最大限身の安全を守る、十分な報酬を用意する。とにかく何としても、この依頼を受けていただきたい」
「…………」
「こりゃクート、大店の会長さんにここまで譲歩させて、断るというのも難しいぞ」
「うう……」
副会長が声をかけると。
黒装束は目の前のテーブルに肘をついて、両手で頭を抱えてしまった。
「何も聞かず、余計なこと言わず、頭から断るべきだった……」
「まあお前さんの判断ミスだな」
「うう……」
「協会としても事前に会長さんから要望があって、通常この旅程ではあり得ない数の護衛を集めている。現状最も実績のあるヘンリッキの組四人とそれに匹敵する面子で、合わせて十人の予定だ」
「ヘンリッキ先輩? ならこの機会に、護衛や野宿なんかの要領を教わりたいかも」
「あいつなら、頼めば喜んで教えてくれるだろう」
「いやそういうクートさんの希望なら、それも護衛の依頼に追加しよう。ヘンリッキさんにその任務を追加して、報酬も上乗せする」
「何だか、至れり尽くせりになってるんじゃないか」
ヨウシアに横から覗かれて、クートはますます頭を押さえている。
何か発言するたびに待遇を厚くされ、外堀を埋められ、拒絶困難な立場に追い込まれているという感覚だ。
「ただクートさんには、実際の警護や夜間の見張りなどにはつかないようにしてもらう。指導者から要領を聞くだけに留めてください。こちらは私とあと職員二名が同道するので、荷物を入れた魔法袋だけを肌身離さず携え、我々と離れないように徒行してもらうことになる。他に多少運搬する荷物があるので巌牛に車を引かせるが、進行はクートさんの徒歩速度に合わせる」
「護衛たちへの指示で、最重要警護対象はクートと会長さんということになっている。つまりはVIP待遇というわけだな」
「……わあ」
当初渋ってはいたものの、提示された報酬額はクートにとってもありがたいものでまちがいない。と言うよりもこの年若い者にとってそうそう手にすることができない、ふつうの狩人が一年かかっても稼ぐことができないだろうという金額だ。いろいろな意味で危険が少ないという条件になるなら、頑強に拒み続けることでもないという様子になっている。
最終的に承諾の意を示しながら、黒装束の狩人は強く念を押した。
「この魔法袋については、絶対これ以上他に知られることがないようにして」
「分かりました。当方に関しては絶対口外無用を徹底する」
商会長が頷き、協会副会長も同意する。
それでも完全に人の口に戸を立てられないのは、それぞれ承知しているところだ。
打ち合わせを進め、出発は三日後早朝と決まった。
出発日、予定通りオラヴィ商会の前には屈強な男たち十名が集まった。
顔見知りのヘンリッキと挨拶をしていたクートは、まず一人だけ店の中に呼ばれる。
奥の部屋に安置されていた彫刻は輝くような純白の外観で、翼を大きく開いた人の背丈ほどの鳥が今にも空高く飛び立ちそうに見えている。
「凄いね」
「だろう?」
会長に促されて、クートはそれを収納する。家宝が一瞬で姿を消す様に、予定通りとはいえエーリクは目を瞠っていた。
軽く息をつき、その目が決意を固めて細められる。
「これで、すべてはクートさんに委ねられた。くれぐれもよろしくお願いします」
「うん」
その後、旅支度を調えた会長と職員二人とともに、外に戻る。
クートは遠距離歩行に適した靴を履いた以外いつも通りの装いで、荷物も背負い袋一つだけになっている。道中の面倒はすべて商会の方で受け持つ、本人はとにかく身軽で動きやすいようにと念を押されているのだ。
十名の魔狩人たちは当然遠出の準備万端で、巌牛に繋がれた荷車を囲んでいた。
なおこの男たちに対して、ヘンリッキたち事情を知る数名を除いて魔法袋と彫刻運搬については説明していない。エテラヴオリまで片道六日間予定の道中で会長とクートを警護せよ、という任務が伝えられているだけだ。
小柄な黒装束仮面の狩人を噂程度に知っていても実際に対面するのは初めてという数名は、何処となく状況を理解できていないという面持ちになっている。それでもこうした護衛の任務はただ依頼者とリーダーの指示に従って動くだけ、と割り切っているはずだ。
会長から簡単な挨拶を受け、リーダーに指名されているヘンリッキの指示で狩人たちは配置につく。大まかには会長とクートが牛車の脇を歩き、狩人たちはそれを囲む形になる。
「よし、出発」
ヘンリッキの号令とともに、職員が両側についた巌牛が動き出す。その速度に合わせて、全員が足を運ぶ。
空は、旅立ちに相応しい快晴だ。春の盛りで、暑すぎず寒すぎずそこそこ歩きやすい天候が予想されている。
一行の中では最年長だが旅慣れているという会長も、軽快に歩を進めている。
「クートさん、この速さで歩きにくいということはありませんか」
「大丈夫」
「疲れを感じるようなら、すぐに言うんだよ」
「分かった」
過保護とも言えそうな声をかけられながら、小柄な狩人も周りと変わりない足どりになっている。
間もなく一行は町の防壁を抜け、広い野原を抜ける街道へと踏み出した。




